4
くるりとターンして、麻友子は調理場を出て行った。あとにふわりと、女の子らしい残り香が漂う。
調理場の真ん中に置かれたテーブルには、剥き身の林檎が山盛りになっていた。私はその一つを手に取り、齧りつく。
しゃくり、という確かな歯ごたえとともに甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
先輩のことを想いながら、麻友子が剥いた果実。アダムとイブが禁忌を犯してまで食べた実と、どちらが
そんなことを考えながら一つ平らげ、再び林檎に手を伸ばす。二つ減っても、お皿の上は相変わらず山盛りだった。
ちょっと剥きすぎたかな。でも早く食べないと変色しちゃうし、どうしよう……。
二個目の林檎をうんざりしながら咀嚼していると、横からスッと腕が伸びてきた。
「俺も一つもらっとく」
晴哉だ。いつの間にか自分の部屋から出てきたらしい。大きな手で林檎をひょいっと掴むと、私と同じようにそのまま齧りつく。
「いくらなんでも剥きすぎだろ。どうすんだよこれ」
「私も今、同じこと考えてた」
「それに肝心の麻友子がいねーじゃん。帰ったのか?」
「塾だって。後片付けなら私がやるよ」
すると、晴哉は溜息交じりに言った。
「なんか損な役回りだよな、お前」
損か……。確かにそうかもしれない。
自分も好きなのに、言い出せない。だから好きな人が別の人とくっつくのを応援する羽目になる。
でも仕方ない。多分これは、どうしようもないことなんだ。だって……。
「よっしゃ。じゃ、片付けるか」
ふいに、晴哉がお皿を持ち上げた。
「残った林檎、どうするの?」
「ジャムにする」
調理台の前に立つと、晴哉はそのまま包丁を手に取り、慣れた手つきで林檎を細かく刻み始めた。
料理人の息子だけあって、実は私より晴哉の方がずっと料理が上手い。
人に教えるのも上手いはずだけど、今回は女の子同士の場ということで、口を出さなかったようだ。
「理瀬、砂糖とってくれ」
「うん」
勝手知ったる幼馴染の家。晴哉が鍋に水を張っている間に、私は棚から砂糖を取り出す。
晴哉の手によって刻まれた林檎と砂糖が鍋に投入されると、やがて甘い香りが立ち上ってきた。
「生のままより保存が利くだろ」
香り立つ鍋を見つめたまま、晴哉が言った。
「そうだね。ジャムなら毎朝パンに塗れば、無理なく食べられそう」
「ケーキとかパイにも使えるぞ」
百六十七センチある私より頭一つ背の高い晴哉は、節くれだった男の子っぽい手で、一生懸命鍋をかき回している。そのギャップがちょっとおかしくて、私は思わず微笑んだ。
「おい、ちょっと味見してみるか」
三十分ほど煮込んだところで、晴哉が私を振り返った。
「うん」
「じゃあ、ちょっと待ってろ」
晴哉は冷凍庫から何かを取り出した。
「ねぇ晴哉、それ何? アイスみたいだけど」
「そのものずはり、アイスクリームだよ。まぁでも、ただのアイスじゃねぇな」
「ただのアイスじゃないって、どういうこと? 晴哉が作ったの?」
「そうだ。食べてみろ」
あつあつの林檎ジャムが、白いアイスの上からたっぷりかけられた。
林檎の甘酸っぱい香りと、アイスに入ったバニラエッセンスの香りが、鼻腔の中でハーモニーを奏でている。
食べる前から美味しそうだった。
食べたら予想以上に美味しかった。
林檎ジャムは甘すぎず、酸味がほどよく残っている。果実がごろりと入っているのは手作りならでは。できたてのあつあつがたまらない。
さらに、アイスクリームが驚くほど美味しかった。
口当たりが滑らかで、どこか素朴な味がする。後味もしつこくなく、コクがあるのにあっさりしていた。こんなアイス、食べことがない。
アイスとジャムが合わさって、口の中がとても幸せだ。
「このアイスは、どうやって作ったの?! すごく美味しかった!」
晴哉が差し出してくれたガラス皿をあっという間に空っぽにして、私は思わず聞いてしまった。
「それは親父から教わった『ふるさと風味の豆乳アイスクリーム』だ」
「ふ、ふるさと……?」
豆乳が入っているのは分かったが、あとは想像できない。
ひたすら首を傾げている私に向かって、晴哉はニッと口角を上げて見せた。
「裏ごしした里芋を練り込んであるんだよ。里芋は親父の出身地の特産らしくてな。だから『ふるさと』。クリーム系の材料の代わりに豆乳を使った。それだけでもまぁ
「へぇー、そっか。うん、とっても美味しかった! 麻友子にも食べさせてあげたかったなぁ~」
麻友子は甘いものが好きだから、とっても喜んだだろう。
「ジャム、できたぞ。瓶に詰めてやるから持って帰れ」
「うん。ありがと晴哉」
鍋の中で、林檎はとろとろに溶けていた。
溶けて混ざって甘さが濃くなって……。煮詰めた想いを、私は瓶に詰めて持ち帰るのだ。誰にも言えない気持ちを閉じ込めて。
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