ひらめきの天才【KAC20223・第六感】

カイ艦長

ひらめきの天才

 なにかが変だ。


 俺の中のなにかがそう告げる。

 これまでに何度も覚えた違和感は、つねになんらかの異変を示唆してきた。

 今リングで三ラウンドを戦っている挑戦者の攻撃にもなんともいえない雰囲気が伴っている。


 触れば倒れそうな、足元がおぼつかないような立ち方をしていながら、放ってくるパンチは鋭く、急所を的確に突いてくる。


 すぐに倒せそう。


 その感覚に「なにかが変だ」というシグナルがかぶさってくるのだ。

 この足取りはこちらを誘い込むための罠ではないか。

 違和感の正体をそう捉えた。


 そこで反撃されるのを覚悟のうえで、右の大砲から繰り出すストレートを出してみた。

 無論「見せパンチ」である。

 すると敵は素早くダッキングしてすんでのところで回避し、そのまま下から俺のレバーへボディーアッパーを放ってきた。

 しかし体重を後ろ足に残してあったので、サイドステップひとつでパンチを回避する。すべて想定通り。もし反撃を考えに入れていなければまともに食らっていたかもしれない。

 やはり挑戦者はこの変則スタイルで勝ち上がってきたのだろう。

 しかし織り込み済みであれば、怖くはない。


 であれば。


 まず誘いの右ストレートを放つ。相手がとりにきたカウンターをさばくと同時に左ボディーへ一閃する。狙いはカウンターへのカウンターだ。


 カーン!


 ゴングが鳴り、第三ラウンドが終了した。赤コーナーへと素早く戻った。



「どうした、急いで戻ってきて」

「次のラウンドに仕掛ける」

「倒しに行くのか? まだ様子を見たほうがよくないか?」

「ヤツはあえて弱そうな素振りを見せながら、思わぬ角度からカウンターをとりにくるタイプだろう」

「確かに弱そうだが、戦績は無敗なんだよな」

「だから罠を仕掛けてチンを獲りにいくつもりだ」

「それは危険すぎないか? それとももうクセを掴んだとか?」

「いや、ヤツに合わせる必要はない。こちらのペースに巻き込むのみ」


 場内にブザーがなる。一分間が過ぎたのだ。

 コーナーの椅子から立ち上がると、リング中央へ悠然と歩いていく。

 あえて日本王者の雰囲気をまとって。


 ヤツの狙いはわかっている。しかしまだ、


 なにかが変だ。


 という違和感は残り続けている。

 まだなにかあるというのか。



 ゴングが鳴ると挑戦者とグラブを交わしてすぐ身構える。

 先ほど試した「カウンターへのカウンター」を放ってみるか。


 挑戦者はガードをことさらに下げてこちらを誘っている。

 あえて構えないことで、攻撃のきっかけを悟らせないつもりだろう。


 まず左ジャブを丁寧に突いて、挑戦者をコーナーへと追い込んでいく。

 ここまでは教科書どおりの展開だが、それでもまだ、


 なにかが変だ。


 と感じている。

 あえてこちらの大砲を誘っているのではないか。

 そして、その狙いがバレたときの対処まで考えられているのだとしたら。


 しかし悩んでいたところで敵を倒せるものでもない。

 ヤツのはかりごとが気になりながらも、ジャブで態勢がぐらついたところを見逃さなかった。

 右の大砲をぶっ放す。


 挑戦者はまたダッキングしてギリギリでかわすと同時にボディーアッパーを狙ってきた。

 これをサイドステップで潰し、左フックをテンプルに向けて打ち込んだ。


 スウェーでいなすと同時に真正面から右のストレートが飛び込んでくる。


 やはり隠し玉付きか!


 わずかに冷や汗をかきながらも、左足へダッキングしストレートを流し、そのまま相手の顎に向けて右フックをねじ込んでいく。

 さすがにこれは予想外だったのだろう。

 右フックが顎を寸分違わず襲った。グローブ越しに手応えが伝わってくる。


 なにかが変だ。


 右を振り切ったとき、挑戦者はマットに沈んでいた。



 「ニュートラル・コーナーへ!」


 レフェリーの指示に従った。

 一辺六メートルほどの正方形のリングの片隅に、挑戦者が倒れていた。


 ワン、ツー、スリー、……。


 カウントが進む。

 すると場内から驚きの声が湧き立った。


 クリーンヒットしたはずなのに、挑戦者が立ち上がってきたのだ。


 違和感の正体はこれか。

 おそらく俺の放ったコンビネーションはヤツの想定内だ。

 だから顎を正確に射抜いたはずなのに、手応えがおかしかったのだろう。


 立ち上がってファイティングポーズをとった挑戦者に、レフェリーが戦う意志を確かめる。

 足元もグラブもぐらついていない。たいした精神力と集中力だ。


 レフェリーがこちらとヤツの間から離れていく。


「ファイト」



 挑戦者は再びガードを下げた姿勢で近寄ってくる。

 今、考えなければならないこと。

 それは「ヤツがどこまで先を読んでいるのか」である。


 頭脳派のチャンピオンに、先読みで対抗しようという。見上げた度胸だ。


 互いの汗で足元が若干滑るのが気になる。しかし冷静にさばいていればいずれチャンスは来る。こちらはダウンを取っているのだから、このまま進めばヤツの判定負け。こちらをダウンさせなければ勝ち目はない。


 距離をとって様子を見ていると、挑戦者はリングの中央で立ち止まった。

 ここで仕掛けるパターンも持っているのか。


 しかし先ほどのダメージはすぐに抜けないはずだ。このまま回復する時間を稼ぐつもりなのだろう。


 そうはさせるか。


 すぐにステップインすると左ジャブから右ストレートを見舞った。

 ワンツーを次々と浴びせるが、上体を揺り動かして回避していく。


 やはりそうか。


 ヤツがディフェンス能力に長けているのは確かだろう。

 しかし先ほどのダウンで心理的な優位を欠いている可能性がある。


 ワンツーを連打しながら、挑戦者の変化を読み取っていく。

 見た目では上体を揺すって的確に攻撃を回避しているようだ。しかし足元のふらつきは隠しようもなかった。これは懸命のディフェンスである。態度ほどの余裕はないのだ。


 チャンスが巡ってきた!


 長年の戦績から得た直感が俺に訴えかけている。

 落とすなら今しかない。回復される前に押し切る。


 ヤツがリングの中央にいるのは、コーナーへ追い詰められたくないからだ。

 だから中央で懸命に堪えるしかない。


 引導を渡してやる。


 幾度目かのワンツーののち、左のボディーブローを叩き込んだ。

 上体を揺するディフェンスは頭部への被弾を避けられるものの、ボディーががら空きになる。並みの選手であれば上体の動きに焦れて自滅していくのだろう。

 しかしこちらも伊達にチャンピオンベルトは巻いていない。

 動く上体をあえて攻撃する必要などないのだ。

 上体がこれだけ揺れるなら、腰から下はほとんど動かない。いや動けない。

 そこで渾身のボディーブローを見舞ったのである。


 俺の必殺技は右の大砲であるストレートだが、戦いを優勢に進めるための武器として左ボディーブローを備えているのだ。

 ヤツはこちらを挑発して上体へ攻撃を集中させようとしたのだ。

 しかしそれは勘が異変を知らせてくれていた。


 吹き飛ぶヤツを追いかけながら、右アッパーを顎めがけて叩き込む。

 ボディーブローは確実に効いている。そして右アッパーの手応えは抜群だ。

 挑戦者は受け身もとれずにひっくり返ってリングに落ちていく。


 これは立てない。


 右手を高く掲げた。勝利を確信したのだ。

 動かないボディーを叩き、落ちた顎を狙い撃つ。

 完璧なコンビネーションである。


 「ニュートラル・コーナーへ」



 ヤツの体の変化を逃さないよう見つめながら、レフェリーの言葉に従う。

 全身の力が抜けたように手足を放り出して横たわっている挑戦者は身じろぎもしない。


 カウントを進めようとしたレフェリーが異変に気づき、挑戦者に近づく。

 そして両手を頭上で交差させる。戦闘不能の合図だ。

 リングサイドからゴングが連打された。

 俺の日本タイトル防衛が決まった。



 もはや日本は狭すぎる。

 より強い敵を求めて世界へはばたこう。

 目指すは世界チャンピオン。

 そこまでノンストップで駆け上がる。そう心に決めると、セコンドがグローブのテーピングをハサミで切った。グローブを外していると、ドクターに検査されていた挑戦者が起き上がってこちらへ歩いてきた。


「チャンピオン、あんた、かなり強いな……。負けたよ」

「お前もたいしたもんだ。変則スタイルでクレバーな選手は戦いづらいったらないな」

「少しは肝が冷えたかな?」

「すべて想定内だ」

「そうかい、じゃあなチャンピオン」

 面白みのない返答に飽きたのか、ヤツはセコンドに抱えられながらリングを後にする。


 俺の強みは代名詞の右ストレートでも、左ボディーブローでもない。今日のフィニッシュブローである右アッパーでもない。


 なにかが変だ。


 試合中にそう感じられる勘のよさ、ひらめきこそが最大の強みなのだ。

 これを武器にして、世界を駆け上ってやる。

 待ってろよ、世界チャンピオン!



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