君がインスピレーションって言うから

白里りこ

インスピレーションで決めてよ

 私がヒロくんに会ったのは中学校の手芸部でのことだった。うちの中学は生徒全員が何らかの部活に入らないといけないと校則で決まっている。そんな中で、週に一度しか活動日のない手芸部は、学外で打ち込みたいことがある生徒にとって都合の良い存在だった。

 私は家でピアノの練習をしたいから手芸部に入った。ヒロくんはヴァイオリンの練習をしたいからだと言った。ヴァイオリンなんて珍しいね、と言うと、そうでもないよ、と返ってきた。


「プロになりたいの?」

「いや、そうじゃない」

「そうなんだー! 私も同じ!」


 そんな感じで気が合った。その後何やかんやあって何となく付き合うことになった。

 先週はヒロくんが私の家に来た。今日は私がヒロくんの家に行く番である。私はうきうきしていたし、少し緊張もしていた。ヒロくんはというと普段通りの顔つきだった。彼はあまり感情を表に出さない、というか感情の起伏に乏しい。いつも淡々としている。そんなミステリアスなところも嫌いじゃない。

 対照的に明るい性格の私は、今日も一方的にヒロくんにお喋りを聞かせる。ヒロくんは「うん」とか「ふうん」とか言うだけだが、ちゃんと話を聞いている。


 ヒロくんの家は普通の一軒家だった。もっと豪邸に住んでいるのかと思ったから驚いた。


「普通の家だね!」

「うん」

「お邪魔しまーす!」


 靴を脱いで家に上がる。ヒロくんが二階に案内してくれたので、わくわくしながら階段を登る。

 ヒロくんの部屋はきちんと整頓されていた。思っていたより物が多い。本や漫画、ゲーム機、それにヴァイオリンケース。


「わあっ! ヴァイオリンだー!」

 私ははしゃいだ。

「ねえねえ、弾いてみてよ!」

「そんないきなり……」

「いいじゃない! 先週は私がピアノを弾いたんだから!」


 せめてお茶を出すまで待って欲しいと言うので、私はおとなしく待つことにした。ヒロくんが紅茶とクッキーを持って戻ってくると、私は催促した。


「ヴァイオリン! ヴァイオリン!」

「分かった、分かった」


 ヒロくんはケースから楽器を取り出した。綺麗な赤茶色の本体と、細い弓。

 すぐに弾くのかと思ったら、ヒロくんは本体に何か道具を取り付けたり、弓に何か擦り付けたりしている。こまごまと準備を進めながらヒロくんは聞いた。


「何の曲がいい?」

「えーっ。私よく知らないしなぁ。ヒロくんが決めて!」

「どうやって……」

「んー、こう、第六感的なもので!」


 ヒロくんはきょとんとした。


「第六感……?」

「インスピレーションで決めてよ。これだ! っていう曲を」


 ヒロくんはしばし考えるように少し下を向いた。


「インスピレーション……ね。うん、分かった」

「何々?」

「初歩的な曲でいいなら……。それにちょっと長いから、飽きちゃうかも」

「そんなことないよ。楽しみ!」

「ありがとう」


 楽器を構える。姿勢がきりっとしていて格好いい。

 ヒロくんは軽く弦を鳴らして音を調整した。それだけで私はおおーっと思った。ヴァイオリンの音をこんなに間近で聴くのは初めてだ。


「では、いきます。ヴィヴァルディ作曲、ヴァイオリン協奏曲ニ短調より第一楽章、です」


 弓が跳ねた。音が響き渡った。

 普段のヒロくんからは考えられないほど、情熱的な出だしで始まる。

 最初の主題が色んなパターンで変幻自在に現れる。時に楽しげに、時に寂しげに、時に優しげに、そして最後には速いリズムで盛り上がって駆け上がる。

 そして堂々のフィナーレ。力強い弓使いと目一杯のビブラートが最後の一音を彩る。


 ヒロくんは楽器を下ろした。


「……終わり、です」


 私は盛大な拍手を送った。


「すごいすごい、すごく良かったよ!」

「ありがとう……」

「すごかった! もうすごかった! とっても上手かったよー!」

「そうでもないよ」

「曲もいい曲だったね! 私に合ってるって感じたの?」

「いや、そういうわけじゃ……。ただ、ハルちゃんがインスピレーションって言うから」

「……うん?」

「この曲は……ヴィヴァルディの『調和の霊感』っていう曲集に収録されているんだけど……」

「調和の霊感……?」


 聞き慣れない語感に私は首を傾げる。


「原題はイタリア語だけど、英語では『The Harmonic Inspiration』なんだよ」

「ハーモニック・インスピレーション……? ……って、だからかぁ!!」


 私は床に手をついて天井を仰いだ。


「何それ〜! 私に聞いてもらいたい曲をチョイスしてくれたのかと思ったのに〜!」

「ご、ごめん……気に食わなかった……?」

「ううん、そんなことないよ〜!」


 私はニコニコしてヒロくんに向き直った。


「今の曲とっても良かったもん! ヒロくんの新たな一面を知れたって感じ!」

「……なら、良かった」

「じゃ、次」


 え、とヒロくんは私の目を見た。


「次はどんな曲を聴かせてくれるの?」


 私は期待を込めてヒロくんを見つめ返した。ヒロくんは珍しく照れ臭そうに笑った。


「じゃあ、今度はインスピレーションで決めるよ。ハルちゃんに合ってると思う曲を」

「やった〜!」


 ヒロくんは楽器を構えると、スッと集中した顔つきになった。

 そして再び、弓を弦に当てがった。



おわり

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君がインスピレーションって言うから 白里りこ @Tomaten

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