隣の奥山さん

惟風

隣の奥山さん

 夕方、仕事から帰ってくると、マンションの前にCMでよく見る引っ越し業者のトラックが停まっていた。撤収作業をしているところのようだ。

 誰か越してきたのかもしれない。単身者用のマンションだし、三月だから珍しくもないなと思った。

 三階に上がって廊下を歩いていると、私の住む部屋の手前側の玄関が開いた。


「大丈夫大丈夫! ユウちゃん荷物の片付けがあるんだからそのままいなさいって!」


 小柄なお婆さんが杖をつきながらひょろりと出てきた。


「いやいや送ってくって! 待ってよばーちゃん!」


 大柄な男性がぬっと顔を出した。


「わっ」


 いきなり人が二人も出てきて驚いた私の声は、思ったよりも廊下に響いてしまった。


「あらあすみません、ほらユウちゃんもう閉めて、お嬢さんが通れなくなっちゃってるから!」


「え? ……ああすみません!」


 大きな男の人は私に目を留めると、慌てて扉を閉めた。

 お婆さんにどうぞと促され、そそくさと前を横切る。通り過ぎようとしたところで声をかけられた。


「あの、お騒がせしてすみませんね。私、今日ここに越してきた奥山おくやま優司ゆうじの祖母です。今のがその優司。引っ越すっていうから見に来ちゃって。来なくて良い! って言われたんだけどね、やっぱり心配でね。あんまり喋らないけど、優しくって良い子なんですよ。よろしくお願いします」


 私よりも頭一つ分ほど身長の低い彼女は、ニコニコとお辞儀をした。初対面だというのに何とも親しげに話しかけてくる。でも全く悪い気はせず、こういうのを愛嬌があると言うのだろうな、と少し羨ましく思った。


「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします」

 つられて私もぎこちなく頭を下げる。もう社会人になって何年も経つのに、人見知りで、こういう挨拶の時はいつも緊張してまごまごしてしまう。


「ちょっとばあちゃん! びっくりしてるでしょ!

 ほら、送ってくから行こう!」


 いつの間にか外に出てきていた男性――奥山さんが、大きな手で彼女の肩をぽんぽんと優しく叩いた。私に向かって会釈したが、その耳は真っ赤だった。

 奥山さんは、ラグビーをやっているのかと思うようながっしりとした体型をしている。シャツの上からも筋肉がしっかりついているのがわかった。よく見ると年齢は私とそんなに変わらないように思える。


「ハイハイ。じゃあこれで失礼しますね。ふふふ」


 終始にこやかだったお婆さんは奥山さんに手を引かれ、去っていった。彼女の身体を支える奥山さんの後ろ姿は、小柄な祖母に合わせて背を丸めていて、腰がしんどそうだった。

 廊下の角を曲がる直前、こちらを振り返った彼は私に向かってもう一度頭を下げた。


 奥山さんと結ばれる人は、きっと幸せになれるだろうなあ。良いなあ。

 二人の背中を見送りながら、ふとそんなことを思った。




 その第六感は、二十年経った今、当たっている。

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隣の奥山さん 惟風 @ifuw

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