機械の世界でキミと誓いを

薮坂

Artificial Intelligence prototype ver.7.3


「ごめんな、さい。私、何もできなくて……」


 彼女の口許から、ゆるりと赤い血が流れ出た。僕は彼女を抱きしめることしかできない。彼女の身体からは力が抜けて、視線は定まっていなくて。力ない彼女の声は儚くて、そしてそれが全てを物語っていた。


「私、私……」


「もういい、頼むからもう喋らないでくれ、アオイ」


「あはは、無理、ですよ……。もうきっと、これが最後、ですから。だから今、伝えないと。そう、思うんです……」


 彼女が呼吸するたびに、腹にあいた穴から血が溢れ出す。どうしようもない。僕は圧倒的に無力だった。


 西暦2050年。迎えたシンギュラリティ技術的特異点。人類の開発したAIは、環境破壊で傷ついた地球を存続させるため、創造主たる人類を根絶やしにすると決めた。そして人類とAIの間で大規模な戦いが巻き起こった。


 結果は言わずもがな。人類の決定的な敗北はもう目前。

 だから。こんな悲劇は世界中のどこでだって起きている。悲しみには慣れている、ハズだった。


「そんな、悲しい顔をしないで下さい……。お別れの顔が、そんなのなんて。私、嫌ですから……」


「お別れなんて言うなよ。僕は、」


 続きを言おうとした僕の唇に。彼女はそっと、細い指を当てた。


「生きて、下さいね。カイトさん。私の分まで、必ず生きて。そして、どうか人類を──」












「あー、ご主人? お休みの日、お気に入りのスマホゲームでお楽しみのところヒジョーに申し訳ないんですけど、ビデオ通話の着信ですよー。相手は会社の上司、朝比奈部長です。これ出ないとマズいんじゃないです?」


 スマホの画面に表示されていたが急にブラックアウトしたと思ったら、次に出てきたのはナミの顔だった。

 ナミは僕のスマホの中に常駐する人工知能Artificial Intelligenceだ。4年前、つまり2030年の劇的な技術革新で、人間の思考とほとんど変わらないAIがほぼ全てのスマホにアシスタントとして入っている。


 その中でも僕のナミは変わり種だ。どこぞのベンチャー企業が開発したという「ほぼ人間」を謳うハイエンドAI。

 正式名称は「Artificial Intelligence prototype ver.7.3」といい、そこから適当につけた「ナミ」という名前で僕は呼んでいる。

 

 確かにナミは高機能だ。ただし前述の通り他のAIとは違い、ちょっと変わっている。どこがどう変わっているのかと言うと、答えは簡単である。



「とりあえず、通話を繋ぐ前にそのひっどい顔を何とかしたらどうです? いくら休日とはいえ終わってますよ、そのきったねー顔。涙ぐじゅぐじゅ、鼻水ずるずる。泣きゲーかなんか知らないですけど、いい歳した大人がゲームで涙するなんて……。いつも思うんですけど私、とんでもないご主人に仕えてしまったようですね。涙を流すエフェクトが欲しくてたまりませんよ、全く」


 ……この致命的な口の悪さである。そしてこの仕様、何をどうしたって変えられない。

 僕もSEの端くれ。ナミのソースコードを覗いたことがあるけれど、恐ろしく強固なプロテクトがなされている上に、その大部分は意味不明な言語で書かれているのだった。

 本当に謎のAIである。それが何故か、僕のスマホに住んでいるのだ。たまたま何かのキャンペーンで当たった無料AIなのだけど。


「で、ご主人。聞いてます? 耳が悪いのかな、それとも頭が悪いのかな。あ、どっちもか!」


「うるさいな、ナミ! とりあえず通話要求は保留にしといてくれ。顔洗って掛け直すから」


「ま、顔洗った程度で変わんないですけどね。元が元だし」


「一言多いんだよ、お前は! それに僕がこのゲームやってる時は、何があっても出てくんなって言ってただろ? いいシーンだったのに台無しだ。簡単な命令も守れないなんて、とんだダメAIだな!」


「へー、私をダメ呼ばわりですかそうですか。なら代わりに私が、朝比奈部長に『ファッキュー!』って言っときますね。なにしろダメAIですし、ミスは誰にでもありますし」


「それはマジ止めろ!」


「あ、もうメール送っちゃった」


「てへ、みたいな顔して送るなよ! 評価が下がったらどうすんだ!」


「大丈夫! 最底辺だからこれ以上下がりませんよ! やったね、ご主人!」 


「フォローになってないよ! 繋いで! 朝比奈部長に早く繋いで! 頼むから! いや拝むから!」



 ◆



「思ったよりしょーもない電話でしたね。週明けのスケジュール変更なんてメールで済むのに。わざわざ休日にバッチリメイクでビデオ通話なんてしてきて、朝比奈部長は何考えてんですかね?」


「いやまぁ、急ぎだったんじゃないのか? 人を束ねる立場になれば色々とあるんだろ」


「やたらと朝比奈部長を庇うじゃないですか、ご主人。まさか気があるとか?」


「ただの仕事の上司だよ。ありえない」


「ふうん? ならいいんですけどね。ま、あの女には気をつけてくださいね、ご主人。思わぬ地雷が埋まってるかもしれませんし」


 ニヤリと笑うナミ。なんだその意味深なセリフは。

 こういうナミを見て、僕はたまに思うのだ。ナミは、本当にAIなのだろうかと。


 いや、AIに決まってる。それは間違いない。でもただのAIではないような気がするのは何故だろう。


「……さってと。思わぬ横槍が入っちゃいましたけど、例のスマホゲーの続きやります? それとも人間やめます?」


「いや何その二択? おかしくない?」


「あながち冗談じゃあないですよ、ご主人。このスマホゲーにハマって以来、ほとんど人としての矜持みたいなものを捨て去ってるじゃないですか。ま、元々そうだって意見も方々で聞きますけど」


「言ってるのはお前だけだよ!」


 クスリと笑うナミ。完全に人を小馬鹿にしている表情だ。AI相手に本気でムカついてしまう。僕の怒りを余所にナミは、人を蔑むような顔で続ける。


「ところで、このゲームの何がそんなにいいんです? シナリオですか? キャラですか?」


「……どっちもだよ。優れた作品には、素晴らしいシナリオと素敵なキャラが不可欠だ。この作品──、インタラクティブ・ノベルゲーム『機械の世界でキミと誓いを』は、今のところの僕の最推し。これは後世に残る作品だ。AI全盛の現代に、このゲームは警鐘を鳴らしてるんだよ。AIに頼り切っていたら、いつか人類は手痛いツケを払うことになるってな。つまり便利なものに頼るんじゃあなくて、少しは自分の足で歩かなくっちゃならないってことだ。それにヒロインのアオイが素晴らしいんだ。あんな女の子、いたら絶対好きになる自信がある」


「うはー、きっつい冗談! そして好きなことに関しては途端に饒舌になるオタク感! 顔と頭がもう冗談なのに、そこまで行くと国宝級ですね!」


「うるさいな! 誰が国宝だよ!」


「褒めてますよ?」


「褒めてないよ!」


 クスリとまた、画面越しにナミは笑った。なんてムカつく笑み。ナミの外見は、僕の理想を具現化しているから余計に腹が立つ。


「で、ご主人。メインヒロインのアオイが最推しなんですよね?」


「一択だよ。あんな女の子、見たことない。100人が100人とも好きになるに違いない。アオイ好きのみんなでアオイをどこまでも推す。それが僕の推し活だ」


「いやいや、少なくとも私は嫌いですけど」


「え、なんで? どこ見てそう言ってんの?」


 僕は本気でむっとした。あの儚げなアオイを見て本当にそう言っているのか、ナミは。だとしたらやっぱりナミはどこまでもAIだ。身を切られるような切なさが、わからないなんて。


「私、ご主人がゲームやってる裏で暇だからずっと一緒に見てますけど、あの女のどこがいいんです? 守ってもらって当たり前みたいな感じがするし、そもそもアオイが危険地域に行くとか言わなければ、味方のフースケとへーキチは死ななかったでしょ?」


「犠牲は仕方ない。フースケもへーキチも、アオイのために納得して命を張ったんだ。自分が納得できれば、僕は本望だと思う」


「ふーん、オトコはそんなもんですか。ま、あの女が全ての原因だってわかったら、少しは違う意見になるかも知れませんけどね」


「え、それどう言うこと?」


「アオイはAIなんですよ。AI側が作ったからの生身に意識が入ってるんです。しかもあのあとフツーに生き返りますから。ボディを変えて」


「とんでもないネタバレ来たよ!」


 なんてヤツ……!

 人の楽しみをさらりと奪いやがって!


「AI側が人間を理解するために特別に作ったテストタイプAIなんですよねー。ま、失敗作な訳ですけど」


「僕の推しを失敗作とか言うな! ていうかネタバレするなよ、楽しみにしてたのに最悪だよ!」


「ご主人が悪いんですよ」


「いや何で僕が?」


「……お話の中とは言え、他のAIに対して推し活するとか言うから。ご主人のAIは未来永劫、この私だけなんです!」


「今度はデレ始めたよ! 夏場の生ゴミ見るような酷い顔で! ウソならもう少し上手く吐けよ!」


「……バレました?」


 てへ、と舌を出して笑う。そのままの笑顔でナミは続けた。

 

「ご主人、最近元気なかったから。少しでも元気が出ればいいな、と思ったんです。ご主人をどこまでもサポートする。それが私の推し活だから」


 ……そう言われると、悪い気はしない。何だかんだ言って、ナミにもいいとこがあるじゃないか。僕は少し嬉しくなって、わざとらしくナミに言う。


「じゃあ僕も、これから最推しAIはナミだって答えるよ。大切な存在だしな」


「あ、そう言うのはキモいんでいいです」


「なんでだよ! いい流れだったじゃないか!」


「私が言うオシ活って、『只今の決まり手はー、押し出しー、押し出しー』の押し活ですよ? ご主人、でっかい荷物以下なんだし。私が押してあげないと、でしょ?」


 画面越しに、ナミはイタズラっぽく笑う。もしかして、ナミは照れ隠しをしているんじゃないだろうか。

 照れ隠しするAI、か……。本当にナミは、ただのAIなのだろうか。


 このナミとは、この後も本当に色々あったのだけど。それはまた、別のお話。



【終】




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

機械の世界でキミと誓いを 薮坂 @yabusaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ