真鶴良太の名が知れるまで

真鶴良太の名が知れるまで

　真鶴良太と結ばれたいと思ったことは一度もないです。私は彼という役者の一番のファンでいたいんです。

　恋人？　さあ、いるのかもしれませんね。

　先程も申したとおり、私は一番のファンでありたいんです。真鶴良太のプライベートを詮索するつもりはないですし、そもそも彼のプライベートには興味がありません。真鶴良太が誰と付き合っていたってかまいませんし、将来誰かと結婚しても私は心から祝福しますよ。舞台の上で輝き続けていてくれたら、私は満足だったんです。

　ああ、そうですね。おっしゃるとおり、満足だっていうのは嘘になりますね。もっと大きな舞台で観たかったんです。あれだけの才能ですから。

　劇団多角形の公演は、いつも裏通りの小劇場なんですよ。百数十席しかない劇場ですけど、七割埋まればいいほうで半数に満たないことがほとんどでした。彼を追いかけるようになって五年くらい経ちますけど、一度だって満席になったのを見たことがありません。だから劇団が有名になって、劇場のキャパシティがステップアップしていくなんてことは夢物語でした。

　私、真鶴良太に直接訊いたことがあるんです。出待ちして声を掛けたら、彼はまさか自分を待っていたとは思わなかったみたいで、「笹本ならもう帰りましたよ」なんて言われてしまいましたけど。

　笹本ミキト――劇団多角形の看板役者です。だいたい主役を演じることが多いし、ちょっと艶っぽい雰囲気のある人なので人気があるんです。人気があると言っても劇団の集客力がそもそもあれですから、たかが知れてますけど。

　笹本みたいなタイプの役者は好きではないです。笹本ミキトというナルシストが笹本ミキトのまま、台詞を読み上げているだけです。そんなのは演技とは呼べません。アナウンサーがニュース原稿を読み上げているのと同じです。勘違いしないでくださいね。演技の在り方の話です。ニュースを伝えるのも難しい仕事であることはわかってます。

　役者って、演技が下手なのはお話になりませんけど、上手だと思われてしまうのもまた違うと思うんですよね。本当に上手な人は、上手さを感じさせないんですよ。真鶴良太がまさにそうで、彼は舞台に溶け込んでしまうんです。耳の聞こえない執事をやったときも妹思いな金庫破りの役のときも地球人になりすまそうとしてなりきれていない宇宙人を演じたときでさえ、彼はそのものとして舞台の上にいるんです。だから彼の上手さを噛みしめるのは、いつも帰路でした。電車に揺られながらその日の芝居を反芻して、やっと彼の上手さに気づくんです。

　ああ、そうでした。彼に直接訊いた話でしたね。

　真鶴良太はわざとらしさのない、そういう役者ですから、本当は凄いのに気づかれないんですよ。悪く言えば、目立たない役者なんです。私はそれが悔しくて。でももっと多くの人の目に触れれば、絶対に彼の才能に気づく人が現れるはずなんですよ。そういう人たちが少しずつ増えていけば、やがて世間が彼を認めるだろうって。

　それで真鶴良太本人に訊いたんです。別の劇団に移る気はないのかって。あなたはもっと大きなところでやるべき役者だって説得しました。

　彼は「僕なんか」って笑ってました。彼自身が彼の才能に気づいてなかったんですよ。自分たちで立ち上げた劇団だから愛着があるし、笹本ミキトら劇団の仲間と活動するのも楽しいって言っていました。

　でも私は諦めきれなくて、彼に好きな演出家を訊ねたんです。そうした存在にスカウトされたら、さすがに真鶴良太も考えを改めるだろうって思ったんです。

　幸いにも彼は四野詩郎の名前を上げました。ご存知のように四野詩郎に見いだされて、厳しいレッスンの末に有名になった役者はたくさんいます。四野さんほどの演出家なら、真鶴良太の才能を見逃すはずがないんです。一度公演に足を運んでいただけさえすればよかったんです。

　四野さんの事務所宛にチケットを添えて、何度も手紙を送りました。でも四野さんは来てくださいませんでした。

　ええ、絶対にです。間違いありません。四野さんがいらっしゃったら、きちんとお礼を申したくて、手紙を送ってからは劇団にお願いして、チケットもぎのお手伝いをさせてもらってましたから。

　勿論そういうときもありましたよ。用事でお手伝いをできなかったことは確かにありますし、公演は毎回、金、土、日の三日間だけでしたが、初日の金曜日は私も観客のひとりとして楽しみたくて、お手伝いはしていませんでしたから。開演時間のぎりぎりまで手伝うことはできたかもしれませんが、客席でドキドキしながら開演を待ちたかったんです。

　つまり、私が観劇していたときにこっそりやってきて帰ったのかもしれないとおっしゃりたいんですよね？　でも半券の山を確認すれば、わかるんですよ。四野さんに送ったチケットの裏面には印を付けてましたから。

　観に来ていただけない。手紙の返事もいただけないとなると、直接お願いするしかないと思いました。四野さんの事務所に電話をかけましたが、本人には繋いでもらえませんでした。そこで小細工を弄することにしたんです。

　ちょうど四野さんが女子高生と関係を持ったというスキャンダルが持ち上がった頃でした。結局その女子高生と思われた人物はきちんと成人していて、法的にはなんの問題もなかったようですが、四野さんには何かやましいところがあったのでしょうね。電話口である週刊誌の記者を騙ると今度は本人に繋いでもらえました。

　事実確認の電話取材に応じていただけない場合は事実と見做して刊行すると脅したせいか、電話に出た四野さんの声は裏返っていました。

　私は開口一番謝りました。ひたすら謝りました。それから何故そんな嘘を言ったのか説明しました。怒鳴られることを覚悟していましたが、四野さんは紳士的な方でした。

　おかしそうに笑いながら、「情熱に負けた」とおっしゃって、真鶴良太の演技を観ると約束してくださったんです。

　ですが、四野さんは来てくださいませんでした。

　ええ、わかっています。お忙しい方ですから、待ちましたよ。一年と三ヶ月待ちました。公演のチケットは欠かさず送っていました。それだけ待って、やっと気づいたんです。社交辞令だったのだなって。あるいは、チケットの裏の印のことなんて知らないでしょうし、最初から観に行ったということにしてやりすごすつもりだったのかもしれません。

　酷いと思いませんか？　観に来るつもりがないのなら、最初からそう断ったらいいんです。そしたら、私は四野さんには頼らない、別の方法を探ったでしょうから。

　劇団多角形は、一ヶ月後の公演を最後に解散するんです。笹本ミキトは役者を続けるつもりのようですが、真鶴良太はこれを機会に役者を辞めてしまうそうです。

　私は残念ながら最後の公演を観ることはできなそうですが、信じているんです。真鶴良太が役者を続けてくれることを。

　ええ、そうでないと困ります。最後の公演は、絶対に満席になりますよ。主要なマスメディアは彼には触れないでしょうけど、週刊誌やネットニュースの類は飛びつくはずです。そうやって真鶴良太の演技に注目が集まれば、スカウトしようっていう劇団や芸能事務所が現れるに違いないんです。

　刑事さん、怨恨というのは少し違います。一年と三ヶ月という日々のことを思うと腹は立ちますし、そのことがあったから対象を選ぶときに真っ先に四野さんのことが頭をかすめたのだと思いますが、恨みに思ってというのはやっぱり違います。

　四野さんが有名な方だったからですよ。誰もが知るそんな彼を轢き殺せば、動機に注目が集まりますから。真鶴良太という役者がいることを知って欲しくて、四野詩郎を轢いたとなれば、大手マスコミが真鶴良太の名を報じなくても真鶴良太の名は世間に知れ渡る。今はそんな時代でしょう？

　方法は何でも良かったんです。でも相手は成人男性ですからね。刃物で襲いかかるのは不確実だと考えました。で、ふとある言葉が脳裏をよぎったんですよね。

　推してダメなら、轢いてみろって。