忍ぶ恋こそ美しい

透峰 零

彼女は推し活について語る

【調書:大葉揚羽(抜粋)】


 ――世間一般で言われる推し活、というものが嫌いなんです。


 そう、大葉おおば揚羽あげはは語った。

 都内某所の警察署内にある取り調べ室でのことだ。

「握手会には絶対参加。CDやDVDは保存用と鑑賞用と布教用に三枚は必ず購入。なんですか、それ。他にも買いたい人がいるかもしれないとか考えないんですか? 無駄に買って売切れたら、他に買いたい人はどれだけ苦労するとか考えないんでしょうかね。というか、無駄じゃないですか。それに握手会とか撮影会。あそこで向けられる笑顔は自分だけのものだと思ってる神経にも虫唾が走る。自分だけが特別だ、と。おこがましいにも程があるでしょう? というか、そもそもアイドルだって一人の人間なんですよ。そりゃあ仕事ではあるでしょうけど、だからといって見知らぬ赤の他人にベタベタされて気持ちがいいはず無いと思うんです。しかもそうやって『アイドルとしての顔』しか見ていないくせに、平気な顔して部屋に上がり込むとか――正気を疑いますね。本当に好きだっていうなら、彼女には迷惑をかけないようにソッと見守れば良いじゃないですか。騒がしくせず、彼女にも気づかれないように、影のようにありのままの彼女の姿を享受すれば良いのに」


 訥々とつとつと語る揚羽は、真っ黒な髪をベリーショートにした活発そうな女性だった。真っ赤なルージュを引いた唇が、悔しそうに噛みしめられる。

桃香ももかが可愛そう」

 そう、最後に言ったきり口を閉ざした。

 聴取を担当していた舘端たてはむらさきは、彼女の顔を正面から見つめて慎重に切り出す。

「――つまり、部屋にいた斑尾まだらおさんを襲ったのは萱嶋かやしま桃香さんを守るためだと。そういうわけですね」

「それが理由かと言われれば、違います」

 揚羽はゆるゆると首を振った。

「私の理由も目的も、守るという限定的で極地的なものではありません。私があの男を襲ったのは、愛ゆえにです」

「愛って……でも、萱嶋さんは女性よ」

 戸惑ったように言ったのは舘端ではなく、補佐官の志染しじみ千代ちよだ。揚羽は、彼女の言葉に心底不思議そうに目を瞬かせた。

「はい、知っていますよ」

「……志染」

 最近はLGBTという言葉も広く認知されるようになっている。国民の心に寄り添って職務を遂行すべき警察官が、前時代的な恋愛観念に囚われているのはよろしくない。

 ――たとえ内心がどうであっても、それを悟られてはいけないのだ。

 言外に込められた舘端の意図を察したのだろう。志染は「申し訳ありません。偏見が過ぎました」と即座に謝罪をした。

 揚羽もそれ以上の追求を行うつもりはないようだ。

 一応の区切りがついたところで、舘端は再び聴取を再開させる。

「では、次に萱嶋さんが以前から訴えていた付きまとい行為についてお話を聞かせてもらいます」


【調書:萱嶋桃香(抜粋)】


 揚羽からの聴取が一段落し、廊下に出たところで志染が呆れたように言った。

「いやあ、ストーカーって怖いですね」

「そうだな。しかも本人はそれが『推し活』と思っているのが、また始末に負えない」

 二人が次に向かったのは、被害にあった萱嶋桃香の元である。

 ちょうど、彼女の聴取を行っていた取調官と共に部屋から出て来たところだった。

 すでに幾度となく会っていたから憶えていたのだろう。萱嶋は、二人が声を掛けるよりも前に立ち止まって軽く頭を下げた。背中まである真っ直ぐな黒髪が、さらりと肩口を滑る。

「こんにちは。すみません、またお世話になります」

 アイドルという職業もあるのだろうが、こんな場所であっても彼女は人目を引く。廊下を行く職員が残らず振り返っていく中で、舘端は慌てて手を振った。

「止めて下さいよ、萱嶋さん! 謝るのは、ストーカー被害に対して後手に回っていた僕らの方なんですから。」

「でも……パトロールの強化とか、注意喚起までして頂いていたのに」

 俯く萱嶋を元気づけるように、志染も舘端の後ろから小さくガッツポーズを作って言い添えた。

「今回は傷害罪でがっつり引っ張ってこれたからね。余罪についてもガッツリ吐いてもらうつもりだから、安心して!」

「そうだな、気合入れるぞ。――萱嶋さん、安心して下さい。よう、しっかりと対処していきます」

 顔を上げた萱嶋は「お願いします」と力なく微笑んだ。

「彼女、かなり熱が入っているので大変だとは思うんですけど……期待しています」

 最後まで丁寧に頭を下げると、萱嶋桃香は踵を返した。



【調書:―――】


 アイドルグループ『パピヨン4』のメンバーの一人である、萱嶋桃香には一カ月前から付き合っている男性がいた。

 斑尾という彼はグループ結成当初からの熱心なファンで、特に推しである萱嶋とはライブや握手会を通じて距離が縮まっていき、ついに付き合うことになったのだ。

 だが、萱嶋には悩みがあった。それは執拗なストーカー被害。

 担当署の警官が幾度にも渡り警告をしていたが、彼女の行為は止まず――そして、ついに合鍵を使って侵入した萱嶋の部屋でかちあった斑尾と言い争いになり、勢いあまって室内にあった花瓶で殴るという凶行に走った。


「……とか、そういう感じなんだろうなあ。落としどころ」


 迎えにきていたマネージャーの車に乗り込みながら、萱嶋は呟く。

 車が走り出し、警察署は遠ざかっていく。小さくなっていくそこに向け、萱嶋は小さく笑みを浮かべた。脳裏に浮かぶのは、端正な顔をした真面目な担当警察官の顔。

「――頑張ってね、舘端さん」


 大葉揚羽は、のだ。

「だって、彼女の推し活の相手は私じゃなくてあなたなんだから」


 揚羽から貰った報酬は、バレないように少しずつ銀行に振り込めば良いだろう。

 斑尾が予想外に頑張って邪魔をしてきたことは驚いたが、ちょうど別れ時だったので良いタイミングだった。彼には不運だったと諦めてもらうしかない。


「あーあ。私、推し活だけはしたくないわあ」

 広い車内で伸びをしながら、萱嶋はそう漏らす。心の底からの本音だった。


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