推し事

紫栞

推し事

私、鈴宮心陽(すずみやこはる)の周りは中高生の時から、男女限らずアイドルグループや、2次元に推しがいるという友達は多かった。

でも私はそういう類に全く疎く、特に興味もなかった。

たしかにみんなかっこいいし、かわいいと思う。

全く否定する気は無い。

といっても興味がないので、推し活と呼ばれる行動をしたこともなかった。


大学に入ると1番仲のいい友達が地下アイドルの追っかけをしていた。

地下アイドルといっても、そもそもの箱が小さいためチケットを取るのは大変な事だと聞いた。

何度か一緒にチケットを取るお手伝いをしたことがある。

これを毎回しているのかと驚いた。

でも取れた時の感動と、ライブ翌日の友達の幸せそうな顔を見ていると悪くないなと感じていた。


そう感じつつ、推したい人も現れずそのまま気がつくと普通にOLになっていた。

慣れない仕事に忙殺され、推しがどうだなんて話はすっかり忘れていたある日、普段よりも早く帰れたので家で久々に動画でもと思いアプリを開く。

見ないうちに知らないVTuberが沢山出ていたり、知らない有名らしいYouTuberが沢山いた。

「いつの間にか私浦島太郎状態だったのかなー」

と、動画を見るためにCMを見るともなしに眺めているとすごく耳に優しい声が流れてきた。

そこには配信アプリの名前が書いてある。

「配信アプリ…聞いてみようかな」

きっかけは些細なことだったが、心陽はアプリを入れた。


配信アプリは顔が見えないラジオタイプのもので大半が一般人だと言う。

「普通の人がこんなに配信とか出来る時代なんだねぇ…あ、この人さっきの人?どうやって聞くんだろう?ん、これを押して…あ!」

枠と呼ばれるらしいところに入室すると、ついさっきCMで聴いた声が私に挨拶をしてくる。

「はるさん、こんにちはー!初めましてですよね?よろしくお願いします。」

こちらの声は聞こえないので文字を入力する。

すごく身近なラジオみたいな感じだ。

心陽はそのままコメントも打たず聞ききながらいつの間にか寝ていた。


朝目が覚めると、アプリ内にメッセージが来ていた。

『配信に来てくれてありがとう〜!奏人は毎日貴方のそばに。』

いかにもテンプレートという感じではあったが、メッセージが来るとなんとなく嬉しいものだ。


通勤時間帯にも配信をしていたので、聴きに行くことにした。

「あれ?昨日も来てくれましたよね?はるさん、おはようございます!」

覚えていてくれたことに喜びを感じた。

そのままコメントもそこそこに配信を聞いていた。

内容はリスナーからの質問や意見に答えたり、雑談だったが、落ち着いたその声は通勤の嫌な気持ちを吹き飛ばしてくれた。

配信が終わると昨日と同じ文面のメッセージが届いていた。


段々と使い方を理解し、アイコンを設定したり、配信通知を受け取れるようになったりした。

配信者の奏人は他のリスナーとのやり取りからほとんど私生活を明かしていないようだし、オフ会などもやっていないようだった。

どんな人か分からない分、より想像力が掻き立てられ、勝手にイメージが膨らむ。

まだ2日しか聴いていないのに気がつくと心陽は奏人の事が気になっていた。


奏人は基本的に朝の通勤時間と夜の寝る時間辺りに定時配信をしており、それ以外にも不定期配信を何回かやっていた。

心陽は時間帯がちょうどいいこともあり、欠かさず枠に行くようになり、常連として認知されるようになった。

さらに、配信アプリ内のイベントがあると投げ銭を使って応援するようになった。

1つのアイテムは大した金額ではなかったが、いくつも投げるとそれなりの金額になった。

それでもイベントで上位になったりすると嬉しかった。


推しは単調で退屈な生活に彩りを与えるだけじゃなく、仕事を頑張る意欲にも繋がった。

朝は頑張ってと応援されるし、夜はお疲れ様と労ってくれる。

仕事で稼いだお金で応援することも出来る。

楽しくて仕方がなかったが、それと同時にやはり私生活が気になった。

どんな仕事をしているのか、何歳なのか、どんな容姿をしているのか、趣味は何か、彼女はいるのか、気になることは沢山あった。

でも質問しても答えてはくれないし、知ってしまってはつまらない気もした。


新年度を迎え、気付けば推し活も2年が経っていた。

配属先が変わり、同じ建物内での異動をした。

そしてそこで運命的な出会いをする。

異動先の先輩の声が奏人にそっくりだったのだ。

しかし奏人は私生活を明かさないし、先輩とも異動したてで話すきっかけが見つけられない。

ずっと気になったまま1ヶ月が経った。

先輩かもしれないと思いつつ、推し活は変わらず継続していた。

それが楽しくて、生きがいだから先輩かもくらいで辞められる時期はとうに過ぎていた。


先輩と同じプロジェクトに配属されるという奇跡が起きたのはそれから半月後だった。

「よろしくね、鈴宮さん。」

他部署の先輩も複数人いたが、同じ部署からは2人しか参加していないため必然的に話す機会は増えた。

初めは緊張していたが段々慣れてくると休み時間や会議の後に少し雑談をする機会も増えてきた。


そんな中でふとある時、配信アプリの話題になった。

心陽の趣味を聞かれた時に他に思い当たる趣味もなく思わず答えてしまったのだ。

答えたあとで恥ずかしくなり顔を赤らめるが、先輩は気付いていない様子だった。

それどころか「おー、俺もやってる」と乗ってきた。

テンションが上がりそのまま配信アプリの話を続けているとやっぱり奏人は先輩であることが発覚した。

そしてはるは自分であることを伝える。

「え、あの毎日来てくれてるはるさん?うわ、そうだったんだ!なんか…なんだろ?恥ずかしいね」

照れ笑いする先輩を見て私も笑った。

「この件は……」

「内緒にしといて」

ほぼ同じタイミングで同じことを考えていたことにまた2人で笑っていた。


それからは配信終了後に面白かったことや配信中の出来事を電話して話すようになり、急激に距離が近くなった。

秘密の共有は男女の距離を縮めるとはよく聞く話だ。

2人はどちらからともなく付き合い始めた。


2人の交際は穏やかに進んだ。

奏人は変わらず私生活を明かさず配信をしていた。

私も変わらず配信を聞いていた、推しとして。

それ以外はデートに行ったり、家でだらだら映画を見たり、普通のカップルだった。


心陽の28歳の誕生日。

「心陽、俺と結婚してくれないか?」

夜景の綺麗なレストランで、静かな声でそう言われた。

「もちろん、私でよければ」

嬉しさに涙目になりながら快諾する。

そして2人は奏人のリスナーに祝福され結婚した。

それを機に奏人は配信アプリをやめてしまった。

同時に心陽の推し活も終止符を打った。


そして、心陽は30歳になった。

今お腹には2人にとって最も愛おしい存在が宿っている。

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推し事 紫栞 @shiori_book

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