瀬尾さん、もっとご飯食べて!

佐古間

瀬尾さん、もっとご飯食べて!

 瀬尾さん、と呼びかけると、パソコンに齧りつくようにして作業をしていた男がぱっと顔を上げた。

 顔に見合わぬ大きな黒縁の眼鏡、あちらこちらに跳ねた癖の強い黒髪はそのままで、今日も野暮ったいセーターを着ている。総務部の瀬尾は、私の顔を見とめると一瞬戸惑った表情をした。

「足立さん。どうしました?」

 首を傾げて問う瀬尾に、意識的に笑みを浮かべて「明日の会議なんですけど、」と言葉を続けた。極力瀬尾の顔を見ないようにして、彼のセーターから覗く首筋あたりに視線を止める。

「営業部の数字に一部計上漏れがあったみたいで。修正版が田中課長から届く予定なんですが、もう印刷まで終わらせちゃいました?」

 問えば、瀬尾はぱちりとゆっくり瞬きをした。

「……印刷はまだなので大丈夫です。いつ頃になりそうですか?」

「さっき確認を入れて、今日の五時までには上げてほしいって伝えてます」

「それならギリ間に合いますね」

 うん、と、瀬尾の小さな顔が頷く。私は安堵したのを悟られないように、「お手数おかけします」と頭を下げた。

 再び瀬尾の顔がパソコンに向いたのを見届けて、そっと席を離れる。彼が集中しやすいことを知っていて、あまり他者とつるむタイプではないことも知っていた。そろりと自席に戻ると、隣の席の後輩が「先輩先輩」とひっそり声をかけてくる。

「瀬尾先輩の事、怖くないんスか?」

 今年入社したばかりの後輩は、覗き込むように瀬尾を盗み見て、それからふるふる頭を振った。近寄りがたい印象を受けているらしい、私は先ほどと同じように、意識して笑みを作った。

「別に? 同期だしね」

 勝手に仲良いと思ってる、と続ければ、後輩は「瀬尾さんの親しい人とか、全然想像できないっス……」と暗い声を出す。曖昧に笑みを浮かべて、「ほら、仕事仕事」と後輩の事を押しやった。



 瀬尾廉次は、私と同じ月に入社してきた同期である。

 当時、営業志望で営業部に配属された私と異なり、瀬尾は人事部に配属された。配属部署は違ったが、その月の入社者が私と瀬尾と、既にやめてしまったもう一人の三名のみであったこと、入社後の全体研修が部署関係なく執り行われたため、互いに「顔見知り」以上の関係性を感じていた。単純に言えば、「同期」の間柄である。

 入社してから今までの三年間で、瀬尾は人事部から総務部に、私は営業部から総務部に、互いに異動になって、何の縁か今は同じ部署にいた。

 社内における瀬尾の評価は、極端に悪いわけでも、極端に良いわけでもない。

 仕事の評価はおおむね良い。臨機応変になんにでも対応ができ、業務効率がよく、ミスが少ない。社内の連絡手段にメールやチャットなど、テキストツールを使いがちのため急を要する確認事項が後手に回りがち、という難はあるものの、普段の業務態度から見れば些末事だ。入社三年で彼は既に主任に昇格していたし、実際、有能な人だと私も思っている。

 反面、コミュニケーション能力に若干問題があって、兎に角他者と関わろうとしない。普段から業務外で言葉を発することが少なく、挨拶はきちんとするものの、それだけだ。いつも野暮ったい服装で出勤していて、外見でいえば少し悪目立ちしていた。当然、気さくなタイプではないので、同じ部署の社員からもとっつきにくいイメージを持たれている。

 そういうわけで、瀬尾との円滑な交流を図るのに、「同期だろ」という大義名分を出されることは間々あった。

 社内イベントの時の座席割、班分けが発生する何某か、あまり頻繁に発生するものではないが、そうした行事で私と瀬尾は常にセットの扱いを受けている。

 悪い噂はないものの、「瀬尾さんってとっつきにくいよね」くらいの噂は常に囁かれている男なので、私もまた、先ほどの後輩のように、どこか悪感情を押し隠した言葉で憐れまれることが度々あった。

「怖くないんですか?」

「よくお話しできますね」

「足立さんがいて助かりました」

 あたりは聞き飽きた言葉である。その度、私は曖昧に笑って返事を誤魔化している。



 ぽーん、と、時計が昼休憩の時間を鳴らして、フロアにいた面々がぱっと顔を上げた。

 もう昼か、と囁き合う声と共に、静まり返っていたフロアが俄かにざわめきだす。私も作業していたファイルを閉じると、お弁当を持って休憩室へ移動した。

 社内に数多くある規則・ルールの中で、最も「良い」と思うルールは、自席で昼食をとってはいけない、というルールである。このルールのために、昼休憩の時間になると会議室が解放されていた。会議室のモニターは地上波を受信するので、大画面でテレビを見るのも許可されている。

 基本的には会議室で昼食をとる人の方が多いのだが、もう一か所昼食をとれるスペースがあって、それが休憩室だった。

 給湯室に隣接しているスペースで、自動販売機とテーブルとイスが並ぶだけの、小さな部屋である。こちらにはテレビがないが、代わりに電子レンジとウォーターサーバーがあった。利用者が少ないわけではないが、常に満員でもない。私も、総務部に異動してからは休憩室で食事をしている。

「あ、瀬尾さん、こっちどうぞ」

 お弁当を広げていると、休憩室に瀬尾が入ってくるのが見えた。大きな包みを手にしていて、思わず緩みそうな顔を引き締めて声をかける。瀬尾は私に気づくとほんの一瞬顔を明るめて(といっても、本当に僅かな変化なので、私の幻覚あるいは勘違いの可能性も否めない)小さく会釈した。もごもごと「いつもすんません、」と謝罪しながら、私の目の前の席に座る。

 総務部に配属されてすぐからだったと思う。会議室で昼食をとろうか、休憩室で昼食をとろうか、はたまたビルのエントランスか、公園か、いっそ外食してしまおうか、なんて、昼食について悩んでいた私は、休憩室で昼食をとる瀬尾の事を見つけた。

 当時、同じ部署に配属されたばかりだった私たちは、今ほど声を掛け合うこともなく――当然、「同期」なので互いの認識はあって、他の社員よりは多く言葉を交わしていたが――特段瀬尾に興味も抱いていなかった。せいぜい、もう少し髪を切ったらいいのになあ、とか、メガネをやめてコンタクトにしたら結構顔が良いよなあ、とか、そんな不毛なことを考えていたくらいだ。

 追いかけたわけではなかったが、なんとなく「瀬尾もいるし」と休憩室に入り込んで、なんとなく、瀬尾の近くで昼食を広げた。特に何の意図もない行動だったが、結果として、その後もずっと、休憩室で食事をする原因になっている。

 というのも。


(……あ~~~~今日も瀬尾さんめっちゃいい顔でご飯食べてるね~!)


 普段野暮ったい印象の拭えない、ありていに言えばダサくて目立たない男が、昼食を食べるときだけ子供の様に顔を輝かせて頬張るのである。

 最初に見た時はから揚げだった。

 拳くらいはあるんじゃないの? というような大きなサイズのから揚げを、ぎゅうぎゅうに弁当箱に詰め込んで、その一つ一つを心底幸せそうに頬張っていたのである。普段そんなに口を開いているところなんて見たことないぞ、というくらい、大きく口を開けて、リスみたいに頬張っている。

 それを見た時の衝撃と言ったらなかった。思わず休憩室にいる人々を見回したくらいだ。誰も、誰一人、瀬尾の事など気に留めてもいなかった。

 から揚げを頬張りながら、メガネの奥で瀬尾の目が優しそうに、愛おしそうに細められているのを見つけてしまった時の私といったら。

 心臓が破裂したかと思った。急に動機息切れを起こして、瀬尾を直視できなかった。

 思考を支配したのは「めちゃくちゃかわいいんですけど!?」の一言である。この場合の「かわいい」が、どちらかと言えば愛玩動物などに向ける「かわいい」と同種であることは理解している。



 そういうわけで、瀬尾の昼食を見守ることがすっかり日々の癒し、兼、楽しみになってしまった。

 普段料理なんてしないのに、瀬尾の昼食を見守りたいがために弁当作りを始めて、かれこれ一年だ。図らずも料理の腕が上がってしまった。



 今日の瀬尾の昼食は、二段弁当の内の一段が太麺で作られたナポリタン。もう一段に、厚焼き玉子とウィンナーと小さなオムライス、ブロッコリーの和え物と……と、おかずがぎっしり詰まっていた。

 最初に見た時から毎日思っているが、瀬尾は決して太っているわけではないし、背も高くないし(私と同じくらいだ)、男性の基準でいえばどちらかというと細身で小柄な体型なのに、食べる量がとても多い。

 弁当箱、と簡単に言っているが、見た目は完全に重箱である。重箱サイズを一人で完食しているのだが、かといって食べるのが早いとか、汚いわけではなくて、見ている限りよく噛みよく味わって食べている。

(このお弁当、誰が作ってんだろ)

 既婚者である、という話は聞いたことがないが。恋人がいてもおかしくはない。手が込んだ弁当の製作者を、聞いてみたい気も、聞きたくない気もした。

 瀬尾は私の目の前で、私の事など全く気にせずフォークでくるくる巻いたナポリタンをぱくりと口に収めていた。その頬が見る間に血色づいて、とろん、と幸せそうな眼差しになるのを、私は噛みしめるように眺めていた。


(うん……弁当の製作者、どうでも良し)


 すっかり冷めている自分の弁当は放っておいて、心中で瀬尾に拝む。瀬尾の食事を眺めていると、不思議と残りの業務も頑張ろう、という気持ちになれた。こういう存在の事を「推し」というらしい。

(瀬尾さんが美味しいご飯食べられるように、私も頑張りますかね)

 昼食でこれほど幸せそうなのだから、夕食は瀬尾にとってもっと至福の時間に違いない。

 それを間近で見られないのは残念だったが、瀬尾の食事に多少貢献することは私にもできた。すなわち、瀬尾に残業をさせずに帰らせること。

(今日も推し活がんばるぞぉ)

 そのためには自分も活力を入れねばなるまい。冷めたおかずを口に放り込みながら、瀬尾の事を盗み見た。

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