この世は広シ

ペーンネームはまだ無い

第01話:この世は広シ

 俺こと鉄村ヒロシの選挙公約は「ゲームキャラクターである瀬尾モニカに市民権を与える」だ。


 瀬尾モニカは、恋愛ゲーム『恋ラブ♥ぬかみそ掻き混ぜデート(通称:ぬかデー)』に登場するキャラクターのひとりだ。主人公の幼馴染の女の子『岸谷ユイリ』の親友という位置づけのキャラクターで、名前こそ設定されているもののモブキャラクターと言っても過言の無いキャラクターだった。

 それでも俺の推しキャラは瀬尾モニカ以外には考えられない。


 トライアスロンに参加していた岸谷ユイリが負傷したときに、治療にあたった瀬尾モニカが砂糖と間違えて塩を傷口に塗ってしまうシーン。ドジっ子であることを自覚しながらも自分にできることを精一杯やり遂げようとして、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら岸谷ユイリの傷口に塩を塗りこむ姿を見てオレは胸を打たれたんだ。あの日から俺は瀬尾モニカの虜になった。


 瀬尾モニカのファンになった俺に、最初に立ちはだかった壁は推し活だった。瀬尾モニカを推すための活動……とはいうものの、モブ同然の彼女にはキャラクターグッズなんてものは存在しなかったし、公式設定ですらほとんど存在せず誕生日を祝うこともままならなかった。俺にできるのは、せいぜいSNSで彼女の魅力を語り広めたり、同人誌を作成してタダ同然で配布したりして、彼女のことを世間に認識してもらえるように努力するくらいのことだった。

 とてもじゃないが、そんなことだけで俺の推し欲は満たされなかった。マグマのように煮えたぎる瀬尾モニカへの想いを完全に持て余していた。もっと僕にできることはないだろうか? 彼女が望んでいることは何だろうか? 日々、自問自答を繰り返す。


「だから、俺、政治家に立候補しようと思うんだ」

 ファミレスで推し仲間と食事をしているとき、俺はみんなの顔を見渡して言った。

「それは良いアイデアだね」と言ったのは柑子山ヒロシだった。

「金さえ積めば選挙など簡単であーる」と言ったのは石油王ヒロシで、

「邪魔をする者は抹殺すべし」と言ったのは暗殺拳ヒロシだった。

 3人は俺が布教活動をしてきた中で得た友人で、俺の推しに賛同してくれている仲間でもあった。俺がリビドー全開で暴走してしまうときなんかは、しっかりと手綱を握ってたしなめてくれる。そんな彼らから反対意見が出なかったことで、俺は自分のアイデアに確かな手ごたえを感じていた。


「俺は選挙に出馬して『瀬尾モニカに市民権を与える』って公約を掲げる。そうすれば、ゲームに興味のない人たちにもモニカちゃんのことを知ってもらえる切っ掛けになると思うんだ。万が一、メディアやネットで『頭のおかしな立候補者がいる』とでも話題に取りあげてもらえれば、さらに効果が高まるだろ」

 念のためにと立候補しようとした理由を簡単に説明したが、3人はさも当たり前というように「鉄村の考えていることくらい解るよ」と言った。 三者三様の言い方ではあるものの「推しキャラのために何かをしたいと思うことは素晴らしいことだよ」と俺を励ましてくれた。

「それで、当選した後のことは考えてあるのかい?」と言ったのは柑子山だった。

「まさか。俺が当選するはずなんてないだろ」

 俺が笑い飛ばそうとすると、3人は「そんなことない!」と猛烈に否定した。その剣幕に驚きながらも、3人が言うなら……と思い、当選した後のことを考えてみた。


「そうだな。もし当選したら、まずは公約通りにモニカちゃんに市民権をあげられるように尽力するよ。それで、もし本当にモニカちゃんに市民権が与えられたなら――」

 そこまで言ってから俺は恥ずかしくなった。俺は何を言おうとしているんだか。照れくさくなって乾いた笑いをあげる。

 なんでもないよ。そう言おうとして3人を見ると、彼らは真剣な顔をして俺のことを見ていた。続きの言葉を待っているのだ。

 俺は意を決する。

「モニカちゃんは尊くて、尊すぎて、こんなことを思うのも身の程知らずだとは思うんだけど。もし本当にモニカちゃんに市民権が与えられたなら――俺はモニカちゃんと結婚したい」

 そこまで言い切ると、少しだけ間があってから3人から笑い声が漏れた。

「その気持ち解るよ。僕も推しと結婚出来たら幸せだと思う」と柑子山。

 対して石油王は、

「吾輩は推しを食べてみたいとすら思うのであーる」

 と言い、暗殺拳に至っては、

「命を奪って永遠に我が手元に置いておきたい」

 とまで言っていた。

 3人の言葉を聞いて、俺はホッと胸を撫でおろした。推し活と称して瀬尾モニカを世界に広めようとしているのに、それに反して瀬尾モニカを自分だけのものにしたいと願ってしまっていたことが、3人に受け入れられるかが不安だったからだ。

 自然と「ありがとう、みんな」と言葉があふれた。


 かくして俺の選挙活動が始まった。

 ……とはいうものの、呆気なく俺は当選を果たした。

 石油王が有無を言わさぬほど賄賂をばら撒き、暗殺拳が対立候補者を次々に暗殺し、某国大統領の柑子山が圧倒的国力で内政干渉してくれたお陰だった。

 早速、俺は独裁政権を敷くと公約通りに瀬尾モニカに市民権を与えた。続けて結婚しようとプランを立て始めたのだが、思わぬところから待ったがかかった。反対意見をあげたのは、この国の……いや、世界中の瀬尾モニカを推す人々からだった。

 選挙活動を含めて俺が今まで行ってきた推し活は、いつの間にか大きな実を結んでいたらしい。数十億にも及ぶたくさんの人々が、死をも恐れぬ覚悟で「モニカちゃんを独り占めしないでくれ!」と声高々に懇願しているのだ。その光景に俺は目頭が熱くなった。俺の推し活は無駄じゃなかったんだ。


 俺は瀬尾モニカとの結婚を取り止めて、声明を出した。

「瀬尾モニカは人類が生み出した至高の宝だ。後世まで全ての人類に共有されるべきかけがえのない人だ。決して何人たりとも彼女を独占することを許されない」

 世界中から歓喜が湧いた。空前絶後の瀬尾モニカブームが到来したのだ。

 商店街を歩いてみれば、瀬尾モニカ印のコロッケやメンチカツ、物干しざおに扇風機などなど、視界に瀬尾モニカのグッズが有りふれるようになった。


 しかし、そういうときにこそやらかすのが公式だ。

 公式はブームに便乗しようとして、勝手に瀬尾モニカの設定を追加していったのだ。身長や体重、スリーサイズはもちろんのこと、わんぱくな妹がいることや、超合金の兄がいること、チェーンソーで大根のかつらむきをすることなんかも設定として追加されていった。それらの設定はまだ全然いい。

 最悪だったのは過去の恋愛歴だった。陽キャから半グレ、果てはマフィアまで108人の元カレがおり、瀬尾モニカの背中には元カレの名前のタトゥーがびっしりと刻まれている……と、公式は勝手に言っているのだ。『108人の元カレに惨たらしく捨てられる度に、背中のタトゥーを油性マジックで黒く塗りつぶす瀬尾モニカ。彼女の心を救えるのはあなただけです』などと、どこの誰が得をするのかわからない設定が存在するかのように公式は吹聴するのだ。

 俺はかつてないほどに絶望した。信じたくはなかったが、世間では瀬尾モニカはそういう女性だという認識が広まっていった。


「だから、俺、推し変しようと思うんだ」

 ファミレスで推し仲間と食事をしているとき、俺はみんなの顔を見渡して言った。すると3人は意外に軽い口調で「良いと思うよ」と言ってくれた。裏切り者と罵られて半殺しにされるくらいの覚悟をしていたが、どうやら杞憂だったようだ。

 安堵の息をついてから、俺は3人に尋ねた。

「みんな案外あっさりに賛成してくれたけど、もしかしてみんなも推し変を考えてた?」

「何故であーる?」

「いや、だって、今までずっと清純派だって思っていたのに、煩悩と同じ数の元カレがいるなんて騙されたみたいじゃないか」

 少し強めの口調でそう主張すると、3人は顔を見合わせて笑った。

「我らの間には誤解があるようだ」

 暗殺拳が目を細めて言った。

 誤解? いったい何のことを言っているんだ?

「鉄村は、僕たちが瀬尾モニカ推しだと思っているんじゃないかい?」

「当たり前だろ、他に誰を推すって――」

 そこで俺は気づいた。彼らにはいるじゃないか。賄賂をばら撒いたり、対立候補者を暗殺したり、圧倒的国力で内政干渉したり、自分の手を犯罪に染めてまで推しているやつが。

「じょ、冗談だよな? そうだよ、冗談に決まってるよな。だって、柑子山は推しと結婚したいって言っていたし、石油王は推しを食べたいって言っていたし、暗殺拳は推しの命を奪って手元に置いておきたいなんて言ってたし……」

 そう言って俺が彼らの顔を見ると、みんな満面の笑みを浮かべていた。でも、目の奥では全く笑っていなかった。

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