後宮のハジッコ暮らし

はぎわら 歓

短編

 見た目がまあましだということで、がさつな私は父親に宮女として後宮に突っ込まれてしまった。




「うー。しなしな音もたてずに歩くなんて、すっごい負担!」




 家に居るころは兵士の兄たちと、馬を乗り回し、剣を交えていた。楽しい毎日は、辺境から帰ってきたそこそこ上級職の将軍である父親に打ち捨てられる。




「こらあー!! 春鈴っ! それじゃあ嫁の行き手がないだろう!」




 しばらく大人しくしていれば、また辺境に単身赴任してくれるかなと思いきや、位が上がって、もう都にずっといるらしい。粗相のないようにしているつもりだったが、ある時、先代の皇帝陛下から頂いたらしい宝刀を振り回していたところを見られる。




「そ、そなた!!!」


「あ、いえ、お父様、ほこりを払おうかなーって」


「毎日、わしが磨いておる!」




 一緒に遊んでいた兄たちは誰もかばってくれない。母親は幼いころに死んだので、父親から私を擁護してくれる人間は誰もいなかった。




「夫人がいないばっかりに……」


「まあまあ、お父様。これから側室でも迎えればいいじゃない」


「このっ――」




 あきれてものが言えなくなった父親はどこかへふらっと出かけていって、帰ってきたときには私が後宮に入るための馬車が用意されていた。




「春鈴や。もうわしもそんなに若くないのだ。後宮で花嫁修業して淑やかになったら、それなりの息子との縁談をみつけてやるから」


「しょうがないなあ」


「そなたは顔は夫人に似て愛らしいからな。立ち振る舞いだけ何とかすれば」


「わかりましたって」




 しょぼくれた父親を見ると気の毒になってきたので、大人しく従った。父親は辺境で国を守り、死んだ母親だけに一途でいい人間なのだ。あんまりそばには居なかったが嫌いではないし、恨みもない。


 馬車の中から外を見ると、いつまでも父親は見送っていた。




 後宮に入ると、末端のお妃の宮女となる。皇帝陛下にはすでに寵姫がいらっしゃるのでこの一番後から入った李美人は、まだ夜伽を終えていない。




「ねえ春鈴。今夜も陛下は王貴人のところかしら」


「えーっと、どうですかねえ」




 答えにくいので頭をかいていると「ふふふっ」と李美人は笑う。おっとメモメモ。女人とはこのように袖を口元に持って行って首をかしげながら笑うのだ。決してガハハハッと大きな口を開けてはならない。




 寵愛を受けていない人気のない妃は、宮女も少なく質が低い。ここにいる私を見れば一目瞭然だろう。しかし李美人は私から見ると、とても愛らしく寵愛を受けられないとは思えない。性格も優しくて無作法な私を可愛がってくれる。


 同僚の陳佳梅がそっと耳打ちする。




「李美人は後宮に向かないわよねえ。王貴人なんかすっごいやり手らしいじゃない。あの手この手を使って――」




 佳梅のいうことはよく分かる。一度王貴人とすれ違ったが、目力がすごく強く、光線でも出そうな雰囲気で怖かった。腰を落とし頭を下げて王貴人が通り過ぎるのを待つ李美人に対して、睨みつけながら笑っていた。こんな怖そうな女人を愛する皇帝陛下っていったいどんな趣味なのだろうか。無言の圧力をかけられた李美人は可哀想にふるふると震えていた。彼女がのし上がるのは無理だろうなあ。




 とうとう王貴人が男児を産んだ。皇后には女児しか生まれていないので、これはまた将来ひと悶着ありそうだ。王貴人が妊娠中に、夜伽を別の妃が受け持った。その妃は、王貴人が夜伽を復帰させると病死したらしい。


 佳梅がよその宮女からその話を聞いてきて、私に教えてくれた。




「もしも李美人に夜伽が回ってきていたらさあ……」


「だねえ……」




 李美人の耳にはいれないようにした。




 細くて少し飴色の絹糸のような髪を梳く。初めて李美人の髪を梳いた時には、櫛を頭皮に当ててしまい「痛い!」と言われてしまった。その時にクビかなあと思ったが、李美人は「痛がりでごめんなさいね」と涙目で笑んでいた。


 私のがさつさで招く失敗なのに彼女は心が広く優しく許してくれる。




「ああ、春鈴に梳いてもらうととても気持ちがいいわあ」


「さすがにちょっと上達しましたかね」


「ええ、ええ」




 本当に気持ちがいいようで、髪を梳いていると李美人はうつらうつら眠そうになってくる。かくっと頭が私の胸の上に乗せられる。




「あ、やだ。ごめんなさいね」


「い、いえ」


「春鈴の胸って広くて逞しいのね」




 寝ぼけたような顔でぼんやりと話す李美人に少しドキッとする。




「剣を振り回してたせいかもしれませんねえ」


「ふふふっ」




 李美人はあどけなく笑った。




 寵愛を受けられないまま時が過ぎ、いつの間にか佳梅も辞めてしまった。寵姫でもなく、夜伽もなく子を産んでいない妃への配給は最低限に抑えられ、質素な日々を送ることになる。着物もここのところ新調されていなかった。




「もうこのまま陛下はみえないでしょうね」


「は、はあ……」




 皇帝陛下は王貴人の産んだ男児を皇太子に立てると、病に倒れた。もう若くはないので時間の問題かもしれない。




「陛下に何かあれば、もう春鈴とは一緒に居られないわね」


「え? どうしてです?」


「子を産んでいない妃はよくて冷宮に入れられるか、悪ければ殉葬かしら……」




 王貴人に恨まれていることはないので殉葬はないとおもうが、冷宮入りはあるかもしれない。




「そんな顔しないで」




 李美人は小さな白い手で私の両頬を包む。




「ここにきて何も大きな出来事はなかったけど、春鈴と穏やかにすごせてよかったと思うわ」




 この国は広いのにこの狭い後宮しか知らず、更に寵愛を得ることもなく子を成すこともない。李美人が冷宮に入れば、私は家に戻され適当な縁談をうけるのだろう。




「あらあら、どうしてあなたが泣くの?」


「わ、わかりません」




 うっかり袖で目をごしごしこすろうとしたら、李美人が綺麗に刺繍された手巾で目を押さえてくれた。




「こすったら腫れてしまうわ」




 彼女と離れることを考えると胸が苦しかった。こんな狭くて退屈な空間にこれまでいられたのは、李美人が好きだったからだと気づいた。初めて親しくなった女人なのだ。もしも兄ではなく、姉がいたならばこんな感じだったのだろうか。兄たちと剣を交えるのは楽しかったが、李美人とじっと座って刺繍をして、お茶を飲んで甘いお菓子を食べると安らいだ。




 激しい雷雨の晩。あまりにも風が強く騒がしいので、李美人が心配になり寝室の外から声を掛けた。




「大丈夫ですか? 眠れますか?」




 音がうるさくてよく聞こえないが中から「春鈴、こっちにきて」と声がする。




「失礼します」




 そっと寝室に入ると蝋燭が消えてきて真っ暗になっていた。火をつけると寝台の真ん中で小さくなった李美人が震えていた。駆け寄って、彼女に掛物をかける。




「大きい音ってこわいわよね」


「ええ。これが平気な人ってなかなかいませんよ」


「ふふふ。春鈴は平気そうに見えるわ」


「そんなことありません。ここに落ちたらどうしよって――。あっ、怖がらせてすみません」


「ううん。あなたがいるから大丈夫。今日は一緒に寝てくれる?」


「え、そ、それは畏れ多いですって」


「今更、だわ。名ばかりの妃だし、もうこの先どうなるか」




 私はそっと李美人の隣に座る。




「さ、横になりましょう」




 私は言われるまま沓を脱いで寝台に横たわった。李美人がそっと抱き着いて胸の上に手を置いた。その小さな手をそっと握り返す。




「あったかい」




 彼女の体温が伝わってくる。胸がドキドキし始め、音が聞こえるかなと心配になったが、彼女は安心した顔で寝息を立てていた。甘い香りの中、いつまでもこうして二人でまどろんでいたい。どうしたら李美人とずっと一緒にいられるだろうか。明日から何か良い方法はないか考えようと思いながら、雷雨の中穏やかな眠りについた。




 次の日から、私たちは毎日一緒に眠るようになった。おかげで四六時中一緒にいることになる。いつもの朝は、私が水を用意し、李美人の身支度を整え食事の用意をしていた。それがしばらく李美人が私の袖を引っ張り、もう少しゆっくりしようと言う。そこでついついゴロゴロしてしまうので、食堂に取りに行った食事は冷えている。




 意を決して出かけることにした。李美人が心配そうに「どこへ行くの?」と聞いてくる。




「すぐに戻りますから。ちょっとした用事です」


「そう……」




 宮女の仕事の内容は妃たちにはわからないので、こうして出かけることは不思議ではない。さびれつつある李美人の宮から、賑やかになっていく王貴人の宮へ向かう。ここ数日の間に、王貴人付きの宮女には袖の下を渡しておいたので今日やっと王貴人にお目通りが叶うのだ。




 外で声がかかるのを待つ。もったいつけているのか結構待った。扉が開くと、むわっとむせる香の煙がそれ!っとばかりに出ていった。


 跪いて私は「皇后さま、千歳、千歳!」と恭しく唱える。




「ほーっほっほ! 気が早いのう!」




 そう言いながらも嬉しそうな声色だ。




「面を上げよ」


「ありがとうございます!」


「さて、そなたは李美人の宮女よのう。何用じゃ?」


「あの、今後の李美人の処遇についてのご相談なのですが」


「処遇とな?」


「ええ……」


「何が望みじゃ?」


「廃妃できませぬかと」


「それは陛下のお決めになることであって」


「ええ、そうですが」




 王貴人はにやにや笑って、私を下から上まで舐めるように見る。




「廃妃になったらなんとする? 李美人の家に出戻るわけにはいかまい。廃妃とはいえ、利用されてはかなわん」


「もちろんです。あの、李美人は一度も陛下にお目にかかっていないのです」


「おやまあ不幸なこと。ほーっほっほ!」




 一度でも会っていたら、もっと不幸になるだろうと言いたかったが我慢する。




「最初から、妃になっていないことに出来ませんかねえ」


「ほう? そなた面白いことを申すな」


「え? いやあ」




 少し真顔になって王貴人は天井を見上げる。思わずつられて見上げると天上の梁も立派で、あたりの調度品も煌びやかなものばかりだ。李美人の宮と比べると雲泥の差だった。




「最初から李美人などいなかったことにすれば、まあ悪くはない。李美人が冷宮に入ったとしても、家族にはそれなりの財産分与をしなければならぬしなあ」


「そうですよ。国庫を減らすことはありませんよ」


「うーむ。よかろう」


「ありがとうございます!」




 良かった。これで李美人が冷宮送りにならずに済みそうだ。




「ところで、ここから出てなんとする? そなたが面倒を見る気か?」


「ええ、私が終生お仕えしたいと思っています」


「ふーん……」




 高慢を絵にかいたような王貴人は一瞬、優しい目を見せる。




「後宮に入る前に、そなたのような侍女がおったわ。離れた後すぐに病で倒れたと聞いたがな……」


「……」




 もしかして王貴人はその侍女を愛していたのだろうかと思ったが、それ以上は話さないし聞くこともなかった。




「下がってよい」


「失礼いたします」




 機嫌を損ねないように静かに下がって、急ぎ李美人のもとへ戻った。




 3日と経たずに、勅令が下される。李美人は妃としての権限が無くなったので、ひと月の間に出ていくようにとのことだった。




「まあ!」




 李美人は驚いた後、ふうっとため息をつく。




「どうしたんです? よかったじゃありませんか」


「そうねえ。でもここを出て家には戻れないし……」


「大丈夫ですよ」




 とっくに私の実家に戻る算段は済んでいる。




「狭い屋敷ですが、どうぞ私のところに」


「え? 春鈴のところに?」




 まさか、嫌なんじゃ。断られることをすっかり考えていなかった私は胸がドキドキし始め、手に汗をかき始めた。李美人はふわっと私の胸に飛び込んでくる。




「じゃあ、今度はわたしがあなたにお仕えするのね」


「え? え?」


「だって春鈴は孫将軍のご息女でしょ? わたしはなにもないただの女人ですもの」


「そ、そんな!」


「ずっとそばにいられるかしら?」




 李美人は少し見上げて憂い顔を見せる。




「ずっとずっとそばにいます! ずっと李美人にお仕えします!」


「ううん。もう妃じゃないの。雨芳って呼んで」


「あ、うっ」


「ふふふっ」




 胸の中にいる雨芳をそっと抱き返す。父親には妃を連れ帰ったとは言わないようにしよう。多少おしとやかになった私と、可憐な雨芳を見れば父親も気を静めるはず。そのあとのことはまた実家に帰ってから考えよう。




 腕の中の雨芳は、柔らかく暖かでいい香りがする。これから広い外の世界に二人で出て、色々なことを二人で感じたい。だけど夜には小さな寝台で寄り添って見つめあいながら眠りたい。


 春雨が静かに降った後、空には優しい虹がかかっていた。


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