第6話 マギアポリア

 とてつもない量の砲弾がマギアポリア市街の残骸に降り注ぐ。

 キフルーシ軍の将兵とマギアポリア市民は瓦礫の中に身を潜め、リュールカ軍の砲撃を耐え忍んでいた。

 それはある意味いつものことだったが、普段とは様子が違っていた。

 普段の三倍はあろうかという量の砲弾が、市街全域に降り注いでいたのだ。

 もちろんミシチェンコは咽を嗄らしながら加護の言葉をがなり立てた。

 だが彼の権能が届かないところにも降り注ぐ砲弾の炸裂音が彼の言葉をかき消し、結果、被弾する建物が続出する。

 火災と砲弾による破壊で、次々と建造物が倒壊していく。


 マギアポリア防衛司令官である海兵三六連隊連隊長は、あらかじめミシチェンコにも因果を含めてあった。

 すなわち、


「現今より苛烈な攻撃が行われた場合、地下道を使って住民を含めた全員をマギアポリ製鉄所に避難させる」


 としていたのだ。

 複数の戦術核での攻撃さえも視野に入れて設計・建設された製鉄所には、まさに要塞と呼ぶべき巨大な地下避難施設が存在する。

 この戦争が始まる前にすっかり入れ替えられた食料や水も、一個連隊がたっぷり三ヶ月持久できる量が蓄えられていた。

 そこまで逃げ込めれば、少しの間はゆっくりできる。


 実際、この瞬間にも住民避難は進行している。

 ならばミシチェンコや兵士たちは、なぜその場に残っているのか。

 決まっている。

 住民たちの背中を守り、退避する時間を稼ぐためだ。

 その代償は、彼ら自身の血と肉で支払われる。



《スナイペルより地上ステーション、こちらスナイペル。応答せよ》

《スナイペル、こちらラースカ。送れ》

《ラースカ、スナイペル。認証コード、ビュリュヌイ・モヘア。認証せよ》

《スナイペル、ラースカ。ビュリュヌイ・モヘア、認証した。貴編隊の位置を送れ》

《ラースカ、スナイペルはマギアポリア中心部から南東四〇キロ、腐海上空で旋回待機中》

《了解スナイペル。ラースカは現在マギアポリア外苑北東部。すまんが位置は明かせない。敵に盗聴されてる》

《了解ラースカ。スナイペルは指示を乞う》

《スナイペル、待機せよ。待機せよ。一〇分後に再度連絡する》

《了解、ラースカ。スナイペルは待機する。アウト》


 無線から聞こえるアンドロポフと地上部隊の交信を、ヴァシーリーは無表情に聴いていた。

 速度は巡航以下。エンジン出力を下げ、高度をわずかずつ下げながら大半径旋回中。燃料節約のためだ。

 飛行機は空を飛ぶだけで燃料を食う。大パワーの戦闘機、それも馬鹿みたいに重い爆弾を山ほど積んでいればなおさらだ。

 それなのに、あと一〇分も待機してたらいくらも戦闘機動などできなくなる。

 それで魔法使い、それも呪いデバフ屋を仕留められるか?

 そいつが実は対戦闘機戦闘もできるようなヤツだったら?

 なにより。


 グリエフの亡霊がまだ飛んでいて、こっちに来たら?


 

「ミシチェンコ! 撤退命令だ! 二ブロック下がるぞ!」


 ミシチェンコがその日の拠点にしていたマンションの一室に、地元の市民防衛隊の隊員が駆け込んできた。

 部屋の元の持ち主はとっくの昔、開戦四日目に避難を終えている。

 ミシチェンコは自分の携帯電話で放送し続けている海賊放送、その音源ソースを自分のお祈りの録音に切り替えた。

 当然ネットを通じて接続されているスピーカー、それらが放つミシチェンコの言葉の権能は著しく落ちる。

 それでも砲弾で砕かれたビルの破片よけ程度にはなる。


「わかった! 行こう!」


 ミシチェンコは身の回りのもの詰め込んだバッグとカービン銃、箒をひっつかむと立ち上がり、片足跳びで廊下に出た。

 廊下の窓から製鉄所の威容が伺える。

 市民防衛隊員が窓を開け放ち、ミシチェンコに手を貸して窓枠に座らせた。


「市営住宅四号棟で落ち合おう! そこを短時間防衛したら、地下道から製鉄所へ!」

「了解! 気をつけろよ!」


 ミシチェンコと市民防衛隊員が拳を突き合わせて別れようとした刹那、衝撃と爆炎が二人を襲った。

 敵の砲弾が先ほどまでミシチェンコが居た部屋を直撃したのだ。


「うわぁ!」


 それでもミシチェンコは咄嗟に箒を掴み始動させていたから、なんとか地面に叩きつけられることは免れた。静止したのは地面からわずか一インチ。

 しかし市民防衛隊員は地面に叩きつけられ、ミシチェンコの眼前で、首を妙な方向にねじまげて身動きをやめていた。

 即死だった。


「……くそ!」


 ミシチェンコは彼の認識票と無線機をもぎ取ると、市営住宅四号棟へと向かって飛び始めた。

 振り返ることはない。

 味方が目の前で死ぬのは、これが初めてでもなければ最後でもないからだ。

 彼はそれに慣れてしまった。


 市営住宅四号棟までは僅かな距離だった。

 ほんの四〇〇メートル。

 その僅かな距離の間を低空で飛びすぎるうちに、人だかりが見えてきた。

 避難民の列、などという生優しいものではない。何千人もの避難民だ。

 市営住宅四号棟には、製鉄所地下施設への入口がある。

 彼らはそこへ殺到しているのだ。


 彼らを守らねば。

 敵の砲撃はすぐ後ろまで迫っている。

 ミシチェンコはその矮小な才能が許す限り、高度を上げた。



《ラースカよりスナイペル。ラースカよりスナイペル。ヤツが頭を出した。グリッド4572-3321》

《スナイペル、ラースカ。4572-3321、コピー……住宅街のど真ん中じゃないか》

《そうだ。やつはそこにいる。これより五分間、当該グリッドへ砲撃を実施する。貴編隊は七分以内に投弾を開始せよ》

《……コピー。スナイペルは七……六分三〇秒後に4572-3321へ投弾を開始する。コースは1-2-5から3-0-0、9000》

《急げよスナイペル。ラースカ、アウト》

《スナイペル全機、続け。マックスパワー。……とっとと終わらせて、さっさと帰るぞ》



 高度九〇〇フィート──三〇〇メートルまで上昇したミシチェンコは、すでにぜぇぜぇと喉を喘ぎ、肩で息をしていた。

 髪の毛は真っ白になり、頬はげっそりとこけ、目は落ち窪んでいた。

 できる限りの大声で、持てる限りの機材で、呪いの言葉を吐き続けることすでに五分以上。

 彼はそこですでに一〇〇発近い敵砲弾を無力化していた。

 信管と炸薬を石に変えてしまえば、砲弾はただ地面にめり込むだけだ。

 敵砲弾が炸裂する前に呪いをかけてやれれば、炸裂音に言葉が邪魔されることもない。

 おまけにありがたいことに、つい先程から敵の砲撃は沈静化している。

 下を見やれば、地下道入口に殺到している群衆はいくらか減ったようだ。

 目の良い誰かが空に浮かぶミシチェンコを見つけ、手を振っている。

 彼はひどく弱々しい笑みを浮かべ、そっと手を振り返した。力がかなり失われている。おそらくそう長くはないだろう。

 そこへ、ビュウン、ザップ、と風切り音が頬をかすめる。

 敵の狙撃兵だ。遮蔽物もなしに宙に浮かんでいるなど、いい的でしかない。

 慌ててミシチェンコは地上に降り、手近な瓦礫に身を潜ませる。

 地下道へは移動しない。彼は自分が敵にとって厄介なもの、高価値目標であることを知っている。

 今のタイミングで地下道へ行けば、敵狙撃兵も追ってくる。民間人の巻き添えなど気にせず、ミシチェンコを攻撃してくるだろう。

 そのように考えてのことだ。実際それは正しい。地上に降りてからも、敵の狙撃兵は執拗に彼を狙ってくる。遮蔽物にした瓦礫が敵弾に砕かれ、白い砂ぼこりが盛大に舞った。

 だがミシチェンコは不思議と怖くなかった。

 地下道の入口に殺到している群衆はあと二〇〇〇人は居そうだが、屋外にいるものはその数を急速に減らしていた。避難誘導はうまくいっている。

 敵弾がミシチェンコのつま先を砕く。痛みはあるが、感覚は鈍い。

 自分が死にかけていることを自覚する。

 痛いの痛いの飛んで行け、とつぶやくと、痛みは消え失せ血も止まった。

 ミシチェンコは満足感を覚えた。

 学校でも市民防衛軍でも落ちこぼれだった彼が、できるだけやって、できるだけの人を救うことができた。

 ならばそれでいいじゃないかと、彼は思ったのだ。

 とても穏やかな気持ちだった。


 ふと目を空にやると、南東の空にいくつもの黒いシミがあった。

 それはどんどん大きくなり、数も増していった。全部で二四機。

 敵戦闘機の大編隊だった。それらは腹の下に、多数の丸っこいものを抱えている。

 爆弾だ。


 それを認識した瞬間、ミシチェンコの意識が鋭敏さを取り戻した。

 群衆の避難誘導は完了していないし、あれだけの量の爆弾で叩かれたら、鉄筋コンクリートの建物だって崩れて瓦礫になってしまう。地下道も崩れてしまうかも。

 そして戦闘機の群れは明らかにこちらに向かっている。


 だめだ、だめだ。

 みんな逃げてくれ。

 もう俺ではみんなを助けられない。

 早く、早く、早く。


 ミシチェンコは叫びたかった。

 だが喉から漏れ出るのは擦れた息ばかり。

 群衆に向かって手を伸ばし、その掌を敵狙撃手に撃ち抜かれる。

 そんなことはどうでもよかった。

 早くみんな逃げてくれ!


 そうする間に敵の戦闘機の群れが、まるで魚が子供を産むように、ぽろぽろと爆弾を落とし始めた。

 あの距離、あの高度、あの速度。

 敵の戦闘機たちはミシチェンコのいる一帯を絨毯爆撃しようというのだ。

 そしてそれはもうミシチェンコには止められない。

 

「あ、あ、あ、ああああああ」


 ミシチェンコが絶望の吐息を漏らしたその時だ。


「いただき、ます!」


 とすぐそばから女の声がし──製鉄所の上部構造物と降り注ごうとしていた爆弾、おまけに敵戦闘機の一部までもが、音もせず、まるで画像編集ソフトで消しゴムをかけたみたいに──。


 きれいさっぱり消えてなくなってしまった。

 


《なんだ? 爆弾の反応がレーダーから消えたぞ!?》

《スナイペル01! スナイペル01! 編隊の後ろを見てくれ! 五小隊と六小隊がごっそり消えてなくなっちまった!》

《ラースカ、ラースカ! スナイペル04! 見てただろ!? 今何が起きた!! ラースカ! おいラースカ!》


 途端にスナイペル飛行隊の無線は喧騒に包まれた。

 全二四機の飛行隊、そのうち八機が、飛行隊が投弾した全ての爆弾と一緒に消え失せてしまったからだ。

 ヴァシーリーは戦慄せざるを得なかった。インターカムに向かって叫ぶ。


《02より01、アニキ! 奴だ! じゃなけりゃ野郎並みのヤベーヤツだ!》

 

 それを聞いたアンドロポフの判断は早かった。


《01より全機、編隊ごとに散開せよ! 警戒態勢!》


 生き残りの編隊は直ちに散開──とはいかなかった。

 キフルーシからの生き残りたちは流石に反応が早かったが、新入りたちはもたもたしている。

 訓練時間が短すぎ、機敏に反応できないのだ。

 ヴァシーリーは歯噛みした。


 畜生、このままじゃ全滅しちまうぞ!

 


 女の声は頭上からした。

 ミシチェンコが仰け反るようにして見上げると、遮蔽物にしていた瓦礫の上から、大柄な赤毛の女がミシチェンコを覗き込んでいた。

 陸軍の迷彩服を着て、四眼の暗視鏡を付けたヘルメットをかぶっている。

 肩から一昨年前に特殊部隊が制式採用したカービン銃を吊り下げ、迷彩服の肩口には空挺徽章と特殊部隊徽章をつけていた。


「お。まだ生きてるなぁ。重畳重畳」


 と、そこに敵銃弾が数発。

 どういう理屈かわからないが、女はそれらを見事に躱した。

 

「んもう、うるさいなぁ」


 女はあたりを見回し、敵狙撃兵が潜んでいそうな方向に向かって親指と人差指で輪っかを作り、覗き込んだ。

 大口を開ける。


「いただきます!」


 と女が齧る動きをすると、女の向いたほうがトンネル状に丸く無くなった・・・・・


「もういっちょう!」


 またマンションの一角がトンネル状にかき消えた。


「ふー、お腹いっぱい!」


 と女は瓦礫の前に突っ立ったまま、腹をぽんぽんと叩いた。

 お腹いっぱい、と言う割には腹は膨れていない。

 そんなところに居たら危ないぞ、とミシチェンコは言おうとしたが、敵の銃弾は飛んでこなくなった。


「あ……あんた、一体……」


 とミシチェンコが弱々しく問いただすと、女は彼を振り返り、ニカッと笑う。

 年の頃は三〇手前だろうか。

 生命感あふれるその笑顔に、ミシチェンコは引き込まれそうな感覚を覚えた。


「お前さ、アレだろ、DJマギアだろ? ドノヴァンでも聴いてたぜ、お前のヘッタクソなラジオDJごっこ!」

「ドノヴァンて……あんた、まさか、ドノヴァンのデブ……げっほ?」


 ミシチェンコは不意に咳き込んだ。喉が灼ける感触。血を吐いたのだ。

 目眩を覚え、倒れそうになる。

 死にかけているのだ。


「あっ、やっべ」


 言って女はミシチェンコを抱き上げ、深く口づけした。

 ミシチェンコが驚いているうちに、女の甘い唾液が喉に流し込まれる。

 一分ほどもそうしていただろうか。女はようやくミシチェンコを放し、ミシチェンコは尻餅をついて後ずさった。


「ぷっはー!」

「げっほ、げほ、げほ! あ、あんた一体何を!」

「おっし、ちったぁ元気になったな。重畳重畳」

 

 言われてミシチェンコは気がついた。

 体に力が、魔力が戻っている。


「これは……あんたが?」


 女は優しくほほえみ、無線機に手を伸ばした。


「伯爵。こちら山猫。小僧は確保、魔力補充もしてやったよ。当面は大丈夫」

《了解。ようやった。イタチ野郎ラースカは?》

「……駄目だ。気配が失せた。こりゃあアレだ、千里眼持ちだな、野郎は。補足するのに手間が折れるぜ」

《ふむ。まぁ良いわ。それよりお主らも早う隠れい。始まるぞ。儂らは予定通り、敵砲兵を襲撃する》

「いっけね。じゃあまた後で」


 女は無線交信を終えると、ミシチェンコを担ぎ上げ、そのまま公営住宅四号棟へ向かって走り出す。


「あの、今のは……?」


 多少ふらつきながらミシチェンコは尋ねた。

 女は努めて明るい声で返事をしてやる。


「あ? ああ、今のは伯爵。聞いたことあんだろ? クバイコフの魔法騎士団だよ。マギアポリアがめちゃめちゃやばいってんで、こっちへ連れてこられたんだ。いやあ、間に合ってよかった」

「じゃあ、やっぱりあんたはドノヴァンのデブ猫……」

「デブ猫って言うなよ。プロパガンダのうえに隠蔽工作ってことでそんな名前で呼ばれてるけどさ。こんないい女捕まえてデブはねーだろデブは」


 言われて女のスタイルの良さを意識する。

 ミシチェンコは耳まで赤くなった。


「お、いいねぇそういう反応。さては童貞か~?」

「ほっとけよ! それで、なんで隠れるんだよ」


 女のからかいにミシチェンコは声を荒らげ、ついで疑問を口にする。

 女はにぃっと口を歪めた。


「来てるんだよ、亡霊が」

「え?」

「グリエフの亡霊が、この街に来てる。みんなに知らせてやれ。亡霊が来たぞってな!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グリエフの亡霊 高城 拓 @takk_tkg

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ