第5話 ミシチェンコ

 そうしてキフルーシ空軍第四二三航空魔法飛行隊は、文字通り全滅した。

 ヴァシーリーはあの日以来亡霊に出会ったことはないし、軍の公式被害報告でもグリエフ近郊での箒乗りによる被撃墜はなくなった。

 キフルーシのプロパガンダでは盛んに亡霊の健在を謳ってはいたし、実際に被撃墜がなくなったわけでもなかったが、ヴァシーリーとアンドロポフには、亡霊が活動しなくなったことははっきりわかった。

 それでスナイペル小隊は後方に下がり、五日間の休養と再編ののち、スナイペル飛行隊として南部戦線に配置替えとなった。


「また無茶苦茶だよなぁ。訓練期間が短すぎるよ」

「なぁに、こっちにゃ亡霊はいないんだ。楽なもんだろ」


 哨戒飛行から戻ってきたスナイペル2-1と2-2がそんなことを言いながら肩を組んで歩いているのを見て、ヴァシーリーはもしそうならどんなにいいだろうかと思った。

 グリエフ方面で被撃墜が減ったのは、作戦自体が減ったからだ。

 支援すべき陸軍の連中も、その動きははっきりと鈍くなっていた。

 つまり、彼の祖国は戦争を失いつつあるのだ。


 グリエフ攻略が正式に中止されたのは、その三日後のことだった。



 開戦三十四日目。

 指揮所に呼び出されていたアンドロポフが戻ってきていうことには、敵側の保持している都市マギアポリア、今はすっかり包囲されて瓦礫の山になりつつある街にいる魔法使いを狩れ、ということらしかった。


「へぇ、で、相手は何人なんです?」

「一人だ」

「へ?」

「一人だ。たった一人の、ろくに飛べもしない魔法使いのせいで、あの街を制圧できないでいるらしい」


 アンドロポフの説明に、スナイペル飛行隊の古参パイロットたちは黙り込んだ。

 新入りたちは軽口を叩きたがったが、古参たちが黙らせた。


「俺たちの次の任務は空爆だ。そいつがツラを出したら陸軍の連中が教えてくれる。そのあたりに向かって、とにかく爆弾放り込め。精密爆撃は無しだ。面制圧でいく」


 俺たちにはレーザー誘導爆弾JDAMなんてないからな、とアンドロポフは吐き捨て、待機所での待機を命じた。

 出撃は三時間後。

 そのあたりで陸軍が攻撃を仕掛ける事になっているらしい。



午前八時。


「イエーイ! マギアポリア・レディオの時間だ! お相手はDJマギアこと俺! 毎日変わりなくてすまんね! 今日の天気は快晴! 雲量二、東の風、風量一とくりゃ、絶好の爆撃日和だ。晴れ時々砲弾、ときに爆弾が降り注ぐでしょう! おばあちゃんおかあさん、おねえちゃん坊ちゃん嬢ちゃんたちはしっかり地下に隠れてな!」


 ウラディミール・ミシチェンコがマイクに向かって語りかけると、彼のSNSアカウントにメッセージが殺到した。おはようDJマギア! 今日もいい戦争日和だね!

 ちょっと離れたビル──砲弾に砕かれ、火災の跡が痛々しい公営住宅──からは「くたばれ! DJマギア!」と笑いを含んだ大声が聞こえてくる。


「ヘイヘイヘーイ、聞こえてるぜ? 今の声はアブラモヴィチか? お前がくたばれ! ああいやウソウソ、お前の狙撃術にはみんな助けられてる。だからくたばるのは最後にしてくれ」


 SNSに同意と笑いを示すメッセージの山。

 ミシチェンコのラジオは、インターネットを使った音声ストリーミングサービスの流用だ。

 その音声を、カーオーディオ用のものを違法改造したFMトランスミッタで出力している。

 だからラジオか携帯電話かパソコンが有れば、どこでも聞ける。

 瓦礫の山になったこの街でラジオ送信機を維持する電力と携帯電話・インターネット網が生きているのは、未だに脱出せずに残っている住民たちが命を賭してそれを維持しているからだった。

 ラジオと電気と携帯電話網は、いまや水と食料と銃弾と同じぐらいに、この街の防衛にとって大事なものになっていた。

 このあたりは敵のテレビやラジオの電波が支配的となれば、それに対抗せねば抵抗運動もままならない。


「さて今日のお便り。エレナおばあちゃん! まだくたばってなかったのか! 俺も嬉しいよ。さてリスナーのみんな、今日のエレナ食堂のメニューはカブと人参の塩スープだそうだ! なんと羊肉もちょっぴりつくらしいぞ! 楽しみにしてくれ、だってさ! 次は六区のジェーニャさん。六区じゃ下水道が詰まって大変らしい。が、詰まっている箇所がどうやら七区、敵の陣地の真下だと。下水道完全に破壊してもいいから、詰まったクソを奴らのメシにぶっかけてやりたいってさ! ジェーニャ、ロジェンスキ中尉の工兵隊があとで相談したいそうだ! みんなで奴らに一泡吹かせようぜ!」


 またSNSに笑いと同意の渦。

 ミシチェンコも切り株のようになった左太ももを叩いてひとしきり笑った。

 

 ウラジミール・ミシチェンコはまだ十九歳だ。国土防衛隊の構成員で、正規兵ではない。

 魔法使いで箒にも乗れるが、そっちの才能はあまりない。

 開戦初頭の出撃ではろくに戦果を挙げないうちに、敵弾によって左脚を吹き飛ばされてしまった。

 そんな重傷を負った彼が、なぜ元気にラジオDJごっこができているかといえば、彼の魔法は加護バフ呪いデバフに才能を割かれているからだった。

 加護バフ呪いデバフは薬のようなもので、彼が声をかけた内容によって良くも悪くもその方向性が決まる。

 つまり彼の左脚が化膿せずにすんでいるのは、彼自身の加護魔法によってある程度治癒してしまったからだし、他にも、彼の言葉のおかげでなんとか死なずに済んだものは大勢いる。

 彼が自分の本当の才能に気がついたのは、皮肉にも、自分の脚をぶっ飛ばされ、仲間も大勢重傷を負ったその時だった。

 それ以来、彼は自分の「ラジオ」の拠点と放送スピーカーをあちこちに増設してまわり、出来るだけ自分の声を多くの人々が聞けるようにしていった。

 

「さて、今日のお祈りだ。みんな、出来るだけボリュームを上げてくれ。……天にまします吾らが神よ。今日もどうかお恵みを。そのご加護によりクソ敵弾は吾らマギアポリアの民を避けて通らせ給え。吾らの怪我をいち早く治らせ給え。腐れ水を飲んでも腹を下すことなく、粗食に耐える力を与え給え。リュールカからやってきた敵には死を、然らずんば、そうっすね、今日はせめてもひどい下痢をもたらせ給え」


 妙な節を付けて吟じられた彼の言葉は瓦礫の山と化しつつある市内に朗々と響き渡り、市民の顔色はわずかながらに、だが明らかに良くなった。

 不幸にもその声が聞こえる範囲にいた敵兵は、何名もが物陰に逃げ込み尻をまくり、あるいは間に合わずに水音と妙な匂いをさせながら情けない顔をする羽目になる。

 遠くのほうから悲鳴のような、DJマギアを呪う声が聞こえた。


 もちろんそれほどの魔法を扱うとなれば、代償は存在する。

 今やミシチェンコの顔は十九歳にしては皺が深い。

 彼は急速に老化しつつあるのだ。

 奇跡を分け与えるとは、そういうことだった。


 お祈りを終えた彼は、携帯電話の音楽アプリでEDMを掛け始めた。

 頭の悪そうな、やたら陽気な音楽。

 どうせ戦闘になれば、子供を落ち着かせるためにゆったりめのクラシックを掛け続けることになる。

 ならばそれまでは、自分の好きな音楽を聞いていたかった。

 

「さて、ニュースの時間だ」


 ニュースの時間は良い話と、悪い話が半々だった。

 良いニュースは、首都グリエフと北方の都市ジルニヒウでは軍の反攻作戦が開始され、順調な進捗を見せていること。東部の工業都市クバイコフでは軍と住民一丸となった反攻作戦を展開し、着実に敵占領地域を奪還しつつあること。そこでは嘘か真か、80歳をとうに過ぎたであろう老人が家宝の魔法甲冑と槍を持ちだし、地域の乗馬クラブの面々を率いて襲撃活動を行っていること。東南部での特殊部隊破壊活動は今なお盛んで、ドノヴァンのデブ猫と呼ばれるエージェントが敵後方かく乱活動でまた戦果を挙げたこと。冬撒きの小麦が芽を出したこと。

 プロパガンダでも何でもいいから、とにかく明るくなる話題を提供した。

 一方で悪い話は、マギアポリア全域の戦況の報告が主だった。詳細は延べない。それは住民同士がSMSで情報交換し合っているから。それと戦闘に巻き込まれて死んだ民間人。その名前は、出来る限り伝えることにしていた。生きている間は忘れてはいけない名前だった。それを覚えることはミシチェンコと、彼のリスナーには必要なことだった。


 彼らはすでに生きるために生きる段階を通り過ぎていた。

 敵に復讐し、あるいは生きて故人の分まで生きるために生きていた。

 DJマギアとマギアポリア・レディオを称する海賊放送は、そのためのインフラとなっていた。


「俺たちは亡霊だ。グリエフの亡霊はもう飛ばないかもしれない。だが俺たち一人ひとりがマギアの亡霊となって、奴らを打ち倒す。守るべき人々を守る。だからグリエフの亡霊よ、お前の力を俺たちに分け与えてくれ」


 ミシチェンコはいつものようにそう唱え、ニュースの時間を終えた。

 そろそろ寝坊助の敵兵どもが攻撃を仕掛けてくるころあいだ。

 彼は街を守る一員として、まずは生き延びねばならなかった。

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