ある日、推しが死んでしまって…

凪野海里

ある日、推しが死んでしまって…

「少年ステップ」という週刊誌に掲載されている漫画『トランプ・カルテット』(通称・トラカル)に咲良さくらが出会ったのは兄が毎週欠かさず買っている「ステップ」を読んでからだった。

 内容は4人の少年少女が世界に災いをもたらしている魔王を倒すために旅をする、王道ファンタジー。連載当初から咲良は『トラカル』が大好きになり、特に女性騎士・クローバーが推しだ。

 クローバーは、一族を魔王の仲間によって皆殺しにされたという暗い過去を持ち、一族の仇討ちのために主人公たちの仲間になった。新緑のごとき長い髪を風になびかせながら、剣を振るう姿は凛々しさのなかに雄々しさも兼ね備えており、ファンたちを魅了している。

 登場したての頃は復讐に燃えるキャラだったゆえか、無口な上にとにかく感情を表にださない子だった。けれど、主人公や仲間たちと交流を重ねていくうちにだんだんと心の壁が崩れていって、笑顔を見せるようになったのだ。


 ちなみに咲良は、公式がだしているクローバー関連のグッズをほとんど全て手に入れている。

 学校や友人関係に悩んでいるとき、部屋に祭壇として飾っているクローバーのコースターやキーホルダー、アクスタ(アクリルスタンドの略)、ストラップ、フィギュアなどを眺めていると、自分の悩みなんてちっぽけに思えるし、クローバーも頑張っているのだから自分も頑張ろう! なんて、勇気も得られるのだ。

 推しがいるから、明日も頑張れるのだ。ところが――。


***


 夏休みが来週に迫り、周囲のクラスメイトたちが浮き足立っているなか。朝からまるでこの世の終わりのような顔色をした咲良を見て、親友の四葉よつばは「どうしたの?」と思わず声をかけた。

 ついでに、ポニーテールに縛った髪をほどく。剣道部の朝練帰りだ。


「よつばぁ……」


 いつもは元気が取り柄の咲良が、今日ばかりは泣きそうな顔をしていた。


「今日、学校来る前に、『トラカル』の最新話を読んだんだよ……」


 四葉は、咲良の『トラカル』好きを。そしてそのなかでもクローバーという女性騎士に夢中であることを知っていた。


「へえ。たしか、もう魔王と対決してるんだよね」


 内容は詳しく知らないが、毎週咲良が楽しそうに感想を聞かせてくれるのでだいたい覚えている。


「そう。でもどんなにみんなの力を合わせても勝てそうにないんだよ……」

「まあそれがラスボスってものだし」

「……で、さぁ」


 咲良は両手で顔を覆った。まるで現実を見たくないと言いたげに。それきり咲良は黙ってしまった。

「で?」四葉は先を促した。


「……クローバーさんが、仇の敵幹部と相討ちになって、死んじゃったの。明日から、どうやって生きていけば良いんだろう……」


 悲嘆に暮れる咲良を前に、四葉は何も言えない。もう一度言うが、咲良がクローバーにどれだけ夢中なのか、四葉は知っている。『トラカル』は咲良の話程度にしか知識はないが、彼女の付き添いでコラボカフェに赴いたこともあるし、ランダムでもらえるコースターで四葉がクローバーを引き当てたとき、喉から手がでるほど欲しいと言いたげな顔をしていた咲良に、「そんなに見られなくてもあげるわよ」と笑ってコースターを渡した。咲良はそれはそれは嬉しそうな顔をして、「一生大切にする!」と言ってくれた。


「あたしにとって、クローバーさんはもう。存在だけで尊いんだよ……。クローバーさんが復讐に身を費やしてるのを見ると、あなたが生きてるだけで良いんだよって言いたくなるくらい好きなの。でもそんなのクローバーさんは望んでないのもわかるの。一族を皆殺しにされたときの気持ちとか、全然わかんないけど。クローバーさんの全ての始まりってそこだから、それを否定したくもないの。とにかくクローバーさん好きなの。なのに……」

「咲良がクローバーを好きな気持ちは、傍にいる私が1番わかってるよ」


 咲良は「それもそうだね」と言って、初めて自分の顔を覆っていた指の隙間から四葉を見つめた。四葉には散々、クローバーについて話している。


「相打ちってことは、敵幹部は倒せたんでしょ?」

「うん、倒せた……。すごいボロボロになってたよ。でね、クローバーさんは最期に笑ったの。『父上、母上、一族のみんな。ようやく私は皆の敵を討つことができました』って。仲間たちの腕に抱かれて、静かに息をひきとった姿が、とにかくもう綺麗で尊くて素敵で、あのシーンを額縁に飾って、毎朝拝みたいくらいに好き……」


 推しが死んで悲しいというのに、推しの死に顔を額縁に飾って拝むってどういう神経をしているんだと、四葉は多少あきれるが、あえて何も突っ込まないことにした。一応、今の咲良は喪中なのだろうと解釈して。

 案外、推しの死に顔を眺められて満足して。立ち直りかけているのだろうかと、四葉は考えるが、「でもさぁ」と咲良は、今度は机に突っ伏した。


「クローバーさんが死んだのは、耐えられない……。クローバーさん。復讐を遂げられて良かったんだろうけど、幸せだったのかなって」


 咲良にとって、推しの幸せが自分の幸せ、みたいなところがあることを。四葉は知っている。


「クローバーの気持ちは、クローバーにしかわからないだろうけど……。でも、クローバーは前に言ってたよね。仲間の――えっと、ハートだっけ。その子に初めて笑顔を見せたときにさ。『復讐にばかり囚われていたけど、私も当たり前の幸せを皆と享受できて良いんだな』って」

「……そこ、結構好きなシーンなんだけど。あたしが教えたんだよね?」


 さらっと暗唱して見せた四葉を前に、咲良は目を見開いて驚いていた。

「うん、まあ」と四葉はうなずく。


「よく覚えてるね」

「たしか、35話よね」

「よく覚えてるね!?」


 ひとしきり驚いたあと、咲良はしばらくまた黙った。

 何か声をかけるべきだろうかと、四葉は一瞬迷うが、その必要はなさそうだと瞬時に悟った。あんなに暗い顔をしていたはずなのに、どこか吹っ切れたような顔をしていることに気づいたからだ。


「クローバーさん、ちゃんと幸せだったんだよね」

「そう思うよ」


 四葉はうなずいた。


「そっか」


 よし、と咲良は不意に意気込むと。机の脇にかけられていた鞄から自分の財布を取り出した。


「安心したら、なんかお腹空いてきちゃった。ちょっと自販機で菓子パン買ってくるわ」

「早くしなよ。もう先生、来るよ」

「わかった」


 咲良は急いで教室を飛び出し、食堂に向かって走って行った。

 その姿が見えなくなるまで見送ってから、四葉はため息をついた。彼女の目は、隣の席にある咲良の鞄に付いたクローバーマークのアクリルキーホルダーへと注がれる。

 あのアクキーは、『トラカル』のクローバーのシンボルマークとして、公式が商品化したものらしい。汚れたり、傷ついたりしないようにという配慮ゆえか、丁寧にビニルのカバーがかけられている。


「うらやましいなぁ」


 誰にも聞こえないほどの声量で、四葉は独り言ちる。


 嫉妬の先は、『トラカル』のクローバーだ。


 あんなに咲良を夢中にさせて、そういうところが二次元の特権というか、めちゃくちゃうらやましい。

『トラカル』も、その話の内容も、クローバーも。四葉はさして興味ないし、はっきり言ってどうでも良い。だけど咲良が楽しそうにいつまでもいつまでも話しているから、そんな彼女の笑顔を見ていたくて。ある程度の知識は身に着けていた。

 でも、どんなに知識を身に着けたって、きっと咲良は自分に振り向いてくれないし。これからもずっとクローバーが好きで居続けるのだろう。


「あーあ、うらやましい」


 ちょっと声が大きかったか。前の席にいたクラスメイトが振り向いて「何が?」と聞いてくる。四葉は「なんでもないよ」と笑って応える。

 ああ、本当にクローバーがうらやましくて妬ましい。


***


 食堂でクリームパンを買った咲良は、教室への道を歩きながら。パンにぱくついていた。クリームパンは『トラカル』のクローバーが好きなパンだ。

 でも、そのクローバーも死んでしまった。来週からの本誌にクローバーはもう登場しない。彼女の遺体は「あとで故郷で弔おう」と仲間たちの手によって岩の陰に隠された。

 本当、来週からどうやって。生きていけば良いんだろう。


 ――恋を、続ければ良いんだろう。


 別に咲良は、クリームパンみたいな甘い系は好きではないし、どちらかというと、辛いもののほうが好みだ。でも好きな人が好きだから、食べている。

 初めてクローバーのことを知ったとき、咲良は「四葉に似てる!」と思った。小学校の頃から親友の四葉は容姿端麗で剣道が得意で、髪も背中に届くくらい長い(色はさすがに違うけど)。それに、四葉とクローバー。名前も同じだ。

 クローバーは咲良にとって四葉に重ねてしまうくらいにひどく似すぎているキャラクターだった。


 そして。クローバーは咲良にとって、良い隠れ蓑だった。

 四葉に告白したらきっと引かれる。でも、クローバーというキャラクターを好きだったら、四葉に知られずに鑑賞することができるのだ。

 でも時々、自分の行いは果たして正しいことなのだろうかと疑問に思うことがある。

 クローバーはクローバーで、四葉は四葉だ。全然別人。そんな2人を相手に重ねて見てしまうなんて、双方に失礼な態度ではないか? と。

 だからクローバーが死んでしまったとき、今まで夢を見ていたところを一気に覚醒させられた気分を味わった。いい加減、キャラクターに他己投影していないで現実の彼女を見なさいと。クローバーの生涯は終わってしまったけれど、あなたの好きな人は生きているし、あなたの物語はまだまだ続いているのだと。


「もうちょっと、真剣に向き合わなきゃ、駄目だよね」


 そう独り言ちながら、クリームパンの最後のひとかけらを口に放り込む。まもなく予鈴のチャイムが鳴ってしまうだろう。

 考えることはたくさんあれど、とにかく今は教室に戻らなきゃと。咲良はそこまでの道のりを全力疾走した。

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