最終話 『辰砂のミーティア』
最終話.
砂漠の蒼闇の中を、一騎のストームカラッパが横断していく。
現在、座標は骨喰都市と称される異形遺跡群の中心部を示している。
潜行モードのカラッパは四対八本の歩脚を動かし、踊るように遺跡の間をすり抜けた。そして奇岩群の中でも一際高く頑丈そうな廃ビル跡にたどり着くと、その麓で動きを止める。やがてエンジンの駆動音が止んで甲殻部のハッチが開き、中から特殊合成繊維戦闘服にヘルメットをかぶった廻慈雨が現れた。
慈雨はウィンチを手繰り、次から次へとワイヤーを引っ掛けながら、あっという間にビルの骨組を屋上まで昇っていった。
ややあって無事着地すると、彼女は天を仰いで溜息をついた。
「……よし。間に合った」
今夜は数十年に一度の天文現象が拝める、またとない夜だ。
通称・水無流星群。ユーフロリア彗星のダストトレイルと地球の公転軌道が交差し、多くの流星物質が地球大気に突入して流星群が見られるのだという。
普段の夜空は赤い風による砂嵐のためにノイズめいて見える。だが今日の夜半すぎに限っては嵐が晴れ、ちょうどその時間帯が流星群の発生と重なるらしい。天体ファンにとってはまさに奇跡の廻り合わせなのだそうだ。
……しかし、時間には少し早かったかもしれない。慈雨は風が止み、空が晴れるのを待つことにした。深夜の冷え込みに備え、魔法瓶に熱い珈琲を淹れて持参してある。それに緋酒の瓶も。これはルツのお気に入りの酒だ。もっとも慈雨は目下禁酒中なので、こちらに手をつける予定はないが。
今夜は便利屋や探索者でさえ、その多くが奇観の天体ショーを肉眼で見ようと砂漠に出ている筈である。が、どうやらこの遺跡には自分以外には誰も来ていない。知る限りの穴場を選んだのもあるが、少し得をした気分だ。
慈雨は遠慮なく屋上の真ん中までいって腰を下ろした。そして毛布を被り、ミルクがたっぷり入った珈琲を一口啜る。ほんのり苦い珈琲が冷えかけていた身体の芯に染みわたっていくようだった。
――三か月前。
慈雨は自分が新しい命を宿していることを知った。
奇しくもルツと入れ替わるかたちで芽吹いた命は彼女を奮い立たせ、いつも通りの廻慈雨として振る舞えるようにしてくれた。
積層都市では子どもが育つのも子どもを育てるのも過酷なことだ。しかし、慈雨は彼の命を刈り取ろうとは思わなかった。そう、彼。胎の中の子どもはどうやら男児であるらしい。
地下都市での襲撃事件。あれは慈雨たち便利屋の手には余る出来事だった。
おそらく広域多摩連合は事件について既に嗅ぎつけている筈だ。現に千葉電脳砦との間では都市間戦争の緊張が高まりつつある。だが、それで今すぐにどうなるというわけでもない。あくまで廻商会としては金儲けに有利な側につくだけだ。
事件後、倚水留一は姿を消した。というのも、砂漠の端まで慈雨自身が運び、わざと逃がしたからである。
どの道、任務に失敗した彼はもう助からない。倚水自身もそれを分かっていた。慈雨は追い詰められた彼がどうするか、それに興味があった。ひょっとすると、あの男が新しい種を蒔くことになるかもしれない。それが争いの火種であろうと、だ。
夜半。
赤い風が止んだ。
凪の中で高まる生命の気配を、慈雨は肌で感じ取った。ぴりぴりとした緊張感が微電流のように背筋を駆け昇った。
――――…………くる。
一瞬ののち、蒼穹が弾けた。
空の真ん中から四方に向かい、星が次々と流れ始めた。
その光景を慈雨は瞬きするのも忘れて目に焼き付ける。
「もちろん、長期的にみればって話だけれど――」
以前、ルツが寝物語に喋っていた。
今思えばいつもルツの感性は優れていた。
「案外、赤い風は壊れかけた地球環境をリセットするための舞台装置なのかもしれないよ。落下した隕石は荒廃したこの星の環境を改変し、新たな命を芽吹かせるための生命の石だったのかもしれない。今は環境改変の、その真っ最中なのかもね」
生命の石。流れ星。
嫉妬深く、慈愛に満ちた命そのもの。
「隕石衝突は古来より地球生命圏の進化に大きな影響を与えたと考えられている。ロングスパンで見れば、それと同じことが起こっているだけかもよ?」
ルツはルツのくせに頭よさげにそういって、人懐こい笑みを慈雨に向けたのだった。
焼きついたあの眼差し、あの面影はもう二度と消えないだろう。
ルツが、わたしにつけた傷。わたしの中に置き去りにした残り火。それこそまるで流星のようだと慈雨は思った。
そうして自分の腹のあたりに手をあてる。単なる思い込みなのだろうが、小さな心音が伝わってくる気がする。数百年前に起きたという隕石落下。ならばこれはルツがわたしの中に落としていった命の炎だ。
全身の砂塵化。それも自らの意志による――。あのような芸当が可能なのかどうか、今でも慈雨にはわからない。砂塵肺については解明されていないことのほうが多い。でも、もしかすると火事場の馬鹿力――集中力の高まりにより、あの瞬間のルツには自らの砂塵化体質の制御ができたのかもしれない。もしくは、もともと手の施しようがないくらいに体内外の砂塵化が進んでいたせいなのかも。
なんにせよ、慈雨はどこにもルツのことを報告していない。カシムや周囲の同業者には、ルツは死んだとだけ伝えた。砂塵化を制御できる者がいると外に漏らせば、同じ病の者たちがオアシスの非道な人体実験に巻き込まれることは目に見えている。ならば今は隠し通さねばならない。
……どうにもこうにも、自分には秘密ばかりが増えてしまった。それでも悪い気はしない。
それに、もうひとつ。
慈雨には誰にも話していないことがある。
別れ際、慈雨は倚水があの研究所から秘密裏に持ち出したというサンプルを託された。唯一運び出せた過去の実験の遺物。それはたった数個の種子だった。
「これをどうするかは貴女次第です、廻慈雨さん」
倚水はそう言い残して西多摩オアシスから去った。
慈雨は悩んだ末、それを自分で育ててみることに決めた。植物なんか育てたことはないから、市場で鉢や肥料の代わりになりそうなものを買い込んだ。
あの男のことだ。よもやまともなものが育つとも思えない。かといって放っていくわけにもいかない。慈雨は毎日根気よく水をやり、陽光をたっぷりと浴びせてやった。意外なことに種からは芽が出て成長し、花の蕾をつけるまでになった。
そして、今朝――明け方に蕾は花開いた。淡い薄桃色の花々は慈雨の眼が冴えて眠れないくらい甘い匂いを放っていた。たしかな予感が胸をよぎった。慈雨はそれを掴まえて離さなかった。
その温かな想いは今、胸の奥で大きく膨らんでいく。
今朝の出来事を思い出すと笑みがこみあげて、ふくく、と慈雨は小さな忍び笑いを漏らした。
§
ひとつふたつと流れていた星は、やがて数え切れなくなった。本格的に流星群が始まったのだ。今夜のそれは生命の大嵐、流星嵐であった。
いくつかは燃え尽き、いくつかは砕かれ、それでもこの星のどこかに欠片が降って、僅かな可能性の萌芽を孕ませるだろう。
赤い風は吹き続け、蒔かれた種が緑となって芽吹くときがくるまで、命の欠片を隠し続ける。
慈雨も同じだ。歩き続ける。止まることはない。燃える星の欠片を胸に抱いて、この大砂漠を突き進むだろう。
遠くへ、どこまでだって遠くへ。
辰砂のミーティア 津島修嗣 @QQQ
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