六 『血煙ブルーバード』

 




6.




「慈雨、ふせろ!」


 叫ぶが早いかルツがぶつかるように覆いかぶさって慈雨を押し倒す。


「なにが――」みなまで問う必要はなかった。たった今まで二人が立っていた位置を銃弾が掠めていくのが慈雨にも見えた。


「くそっ、襲撃か。いったいどこの馬鹿!?」


 慈雨は悪態をつきながらもルツの視線の行方をたどる。

 温室の外――ちょうど広間の入り口をふさぐ形で黒い合成特殊繊維戦闘服を纏った武装グループが陣を敷いていた。目視できうる範囲で数は一分隊、八から十人。


「完全武装しているけど、あのシルエット。陽風化成からリリース予定の最新型だね」

「待って。倚水留一は応用化学部の社員だろ。どうして会社の試作部隊が出てくるの……って、ああ、イヤな予感!」


 中腰の姿勢のまま、慈雨は天を仰ぐ。


「たとえば、そう……完全に出し抜かれたとか?」


 隣で同じく身を低くしているルツが邪悪な笑みを浮かべる。ルツの微笑は悪辣なことを考えているときほど淫靡で美しい。だとすれば今は何を考えているのか。あまり想像はしたくない。


『……廻慈雨さん、邪堂院ルツさん。いらっしゃるのはわかっていますよ。今出て来て下されば手荒な真似はしないとお約束します』


 フロアに響くのは倚水の声だ。

 ルツが言った通りの事態を示す最悪の展開だった。


「手荒な真似はしないって、ひと思いに殺してくれるって意味かなァ?」

 空気を読むということをしないルツが良く通るその声で問い返す。

 否定の言葉はない。かわりに倚水がくつくつと笑う気配があった。


『おもしろい。あなた方は本当に興味深く有能な便利屋でした。このフロアを実際に見つけ出し、我々を導いてくれるとは思いもよりませんでしたよ。おかげで良いサンプルを持ち帰ることができます』

「で、目的のものを探し当てたらボクらは用済みってわけだ。遺物を奪って証人ごと――いや、もしかしたらこの研究所ごと消す気かな? そうすれば広域多摩連合を出し抜く形で自社の手柄として全ての技術を独占できるものね。どうせ千葉電脳砦の中枢部がバックにいるんでしょ? あっりがち~」


 資源や思想をめぐって睨みあいを続ける対立都市から秘密裏に過去の遺産を盗み出し、失われた技術ロストテクノロジーを独占する。なるほど、そのためには慈雨たち目撃者はおろか証拠のすべてを消してしまえばいいのである。

 しかし――


「冗談じゃない。ここにどれだけ価値のあるものが眠っていると思ってるの!? ここにあるのは砂漠の緑化……それだけじゃない、この国全土の極限環境を改変することができるかもしれないものなんだぞ!」

『だからこそ、ですよ。今このタイミングで状況を変えられては困るんです。混沌状態が続けば続くほど我々は利益を得ることができるのですから』


 慈雨の反論を倚水が冷たく一蹴する。「狂ってやがる」そう吐き捨てて顔を上げる。ルツと目が合った。ルツは赤い唇に凄艶な笑みを浮かべている。


『さあ、観念して出て来て下さいな。さもなくば温室ごと君たちを爆破する』


 そこへ響く最後通告。これ以上話を引き延ばすことはできそうにない。

 しかし、ふたりはどちらからともなく視線を交わしていた。


「ねえ、慈雨。ボクに考えがあるよ?」

「奇遇。わたしも同じことを考えていた」


 この窮地を脱するための策。言葉にしなくともわかる。出来ることがひとつだけある。ルツが不敵に微笑み、慈雨は唇をへの字に引き結ぶ。


「でも、これではルツにばかり負担を強いてしまう」

「そんなのは言いっこなしでしょ。今はなによりこの状況から抜け出さなくちゃ」


 ルツはいつもの調子で艶然と微笑んだ。「行こう」と言ってそのまま慈雨の指先をそっと握る。


「……ありがと」


 ルツが繋いでくれた手を握り返し、導かれる形で慈雨は立ち上がる。


「今出ていく!」


 外に向かって宣言してゆっくりと歩き、温室から一歩、二歩……と踏み出す。

 先に予想した通りの形で周囲は完全に包囲されていた。数にして十三。陽風化成お抱えの精鋭部隊十数人が温室ごとふたりを取り囲んでいる。いまや無数の銃口がこちらを狙っていた。

 そして、数メートルを隔てた扉の傍には倚水の姿。倚水は二名の部下を伴って慈雨たちと向かい合う恰好で立っている。


「このキツネ野郎が」

「貴女こそぬかりましたね、慈雨さん。さあ、お二人とも武器を捨てて投降してください」


 その言葉に、まずルツが自らの装備していた武器を床に放った。慈雨は反応しなかった。慈雨は武器を捨てるかわりに、毅然たる態度で立つルツの背中にそっと手を触れた。


「どうしました? 早く銃を捨てないとルツさんを撃ってしまいますよ。貴女が我々の依頼を受けたのも、元はと言えば彼のためだったのでしょう?」


 倚水の言う通りだ。

 でも――だからこそ、今ここから生きて帰る必要があった。

 そう……ルツとふたりで。


「廻慈雨の名において―íːdɪkt―命ずる――拘束解除、封印解錠。ただひたすらに罪深く―ɡəˈvalt―行え」


 花開くように。

 星が砕け散るように。

 拘束服の紐束が弾けるように解かれ、縛められていたルツの全身が解放される。


「よーし、出血大サービスで暴れちゃうぞ~!」

「なっ、あ――!」


 倚水たちがようやく事態に反応を示した瞬間、ルツの姿が霧のように掻き消えた。

 だが、これは魔法や異能の類ではない。

 ルツは流星の如くに駆け抜け、あっという間に一人目の男に肉薄していた。不可視の業が銃を構えた男の手首を砕く。ルツは勢いのままに、どう、と襲いかかると男の首を一瞬にしてへし折った。獣のように低い姿勢からルツが顔を上げる。乱れた黒髪の間から爛々と輝く蒼い眼が覗く。慈雨以外の全員が慄いた。ルツはこの上なく邪悪に微笑んでみせた。

 慈雨は――さきほどルツに〈点穴〉を施したのだった。

 点穴とは、大陸由来の武術における技である。全身に存在する特定の経穴ツボを衝き、経脈を遮断することで内力の循環を止め、各種の身体機能を封じる術だ。

 ルツの拘束衣は経絡経穴における気血栄衛の流れを捉えた上で設計された特別製の囚人服。その縛めを解くということは、彼が本来持つ爆発的な身体能力を解放することに他ならない。音声入力呪文によって起動する旧型特殊装置の封印を解くことで、慈雨は彼女自身の権限によりルツを縛めから解き放ったのだ。


「さて、お次はだぁれ?」

「うぅ……あぁぁあああぁぁっ!」


 恐怖が故か、それとも勇猛さからか。二人目の男が果敢に刀を突き出し、ルツに向かっていく。だが、ルツはろくに触れずに掌をついと動かすのみ。僅かに触れた相手の身体がふっ飛び、壁に激突して沈黙する。


「さあ、数で押したいのなら今のうちさ! ボクがまとめてお相手するよ?」


 それを皮切りに戦闘が始まった。

 ルツが二人同時に襲いかかってきた男の手首を拳で砕き、回転を加えた動きで喉元に肘を叩き込む。骨が軋み、減り込む耳障りな音が響いた。果実が爆ぜるように血を吹き、男どもは見た目以上の力でもって地面に叩きつけられた。


「――やらせない!」


 ルツに背後から狙いを絞っていたヘルメット姿を、慈雨のライフルが撃ち抜く。

 その間に縮地のごとく間合いをつめたルツが不可視の一撃を放つ。二人の兵士が内側から弾けて倒れ伏した。


「だぁらぁぁぁッ!」

「おっと」


 八人目。急所を狙って迫る兵をルツは回転して避け、返す動きで胸を砕く。螺旋勁が四肢末端に作用し、男の身体が弾け飛んだ。勢いよく突き出された刃が飛んで壁に突き立つ。さらに慈雨がもう一人のスナイパーのヘルメットを撃ち抜く。

 引金を引くこともできず、後方で立ち尽くしていた男の眼前でルツの右拳が止まる。


「あはっ、ここで止めると思ったァ? 残念!」


 寸勁――至近距離から放たれた不可視の勁がその顔面を粉砕。

 別の兵が横合いからナイフを投擲するもルツの拳が刃を殴り落とし、慈雨が引金を引く。炸裂BLAM

 獣のような踏み込みでルツが出口へ一歩を踏み出すと、ついに倚水の両脇に控えていた護衛が動いた。一人は銃を、もう一人はナイフを構え、ルツめがけて走りだす。ルツも止まらない。幾本もの帯をたなびかせて疾駆する姿は流星の如く。銃弾が頬を掠め、その頬を刃が薙いでもものともせずに懐へ飛び込む。ルツはすべるように回転して攻撃をかわし、翻した掌でナイフ男に一撃を見舞った。さらに身を翻し、銃の男の足首を蹴り砕く。すべては浸透勁のなせる業。一瞬あとには血を吹きながら地面に叩きつけられる男どもの姿があった。


「あ……れは、武術? でも、なぜ」


 一人残された倚水がうわごとのように呟く。

 大陸より伝わったとされる功夫カンフー。隕石落下によりその使い手自体も数百年前に滅んだとされている暗黒時代の拳法――。


「さー、なんでだろうねぇ?」

「待て、待ってください。その技……秘密裏に存在したという、東方の暗殺部隊の……でもあなたが、なぜ……」

「あんたには関係ない」


 言葉にされていく疑問を遮ったのは慈雨だった。

 ルツの身辺について、これ以上気取られたくはなかった。

 大量殺人犯として民間刑務所に幽閉されていたルツだが、その正体は旧東京特別環状都市ヤマノテオアシスに飼われていたアサシンだった。ごく少数名からなる精鋭殺人部隊。その存在はあくまで秘密裏のものであり、故にルツは任務後の処理のために投獄されていたのだ。

 ただ、大量殺人を犯したという罪業については偽らざる真実だった。彼の過ち――慈雨はそれを看破されるのが怖くて、倚水に銃をむけていた。


「ね、見て。ほら、キミ一人になっちゃったねぇ。さて、どうしよっか?」


 むしろそんな慈雨の内心を読んだかのように、ルツが口火を切った。彼の指摘する通り、もはや形成は完全に逆転している。しかし――、


「わかりました……完全に我々の負けですよ。研究所の破壊は諦めましょう。……そうとでも言えば満足でしたか?」


 倚水は虚しく微笑むと、纏っていた防塵マントの下から小さな装置を取りだした。手巻き式オルゴールのような箱型の物体だった。


「あいにくですがね、ルツさん。私とて、はじめから生きて帰れとは言われていないのですよ」

「……キミも末端、所詮は捨て駒ってことかよ」

「これは手動起爆装置です。おそらくはあなたが私を殺すよりも先に、この空間に仕掛けた爆弾を起爆させることができるでしょう」


 ……そうか。そういうことか。

 ルツが理解するより早く、慈雨には倚水の意図が汲み取れた。

 倚水は自分の眼前、出口に立っているルツを狙っているのではない。命を賭して奴が壊したがっているのはこの場所――庭園と、そして他ならぬわたしだ。


「ルツさん。慈雨さんを殺されたくなかったら、これ以上の抵抗は諦めて、私に仕事をさせてくださいな」


 倚水はルツが動けば慈雨ごと温室をふっ飛ばすといっているのだ。

 ルツの表情がみるみる凄絶な憎悪の形相に変わってゆく。


「おまえ……慈雨を人質にする気か! ふざけた真似をッ」

「ルツ」


 しかし、それをやさしく押しとどめるように慈雨はルツの名を呼んだ。

 くやしいけれど、覚悟は一瞬で決まっていた。


「……ルツ。もういい、手詰りだ。だからルツだけでも逃げてよ」

「なにいってんのさ、慈雨! キミがいないとボクには……なにも……なにもなくなってしまうんだよ! お願いだ、ボクをおいていかないで!」

「認めたくないけど、あんたと組めて楽しかった。さよなら、ルツ」


 ――……ああ。こういうときは好きだというのがセオリーだろうが。まったく。

 わたしは本当に強情だ。結局ルツには一度もまともに好きと言ってやることができなかった。ルツにばっかり好きだの愛しているだの言わせて……いっぱい貰っておいて、なにひとつ返すことができなかった。

 でも、いい。

 倚水が起爆スイッチを押した瞬間、慈雨の射撃が肩を打ち抜く。苦鳴をもらし、倚水がその場にくずおれた。

 今わたしにできるのは、これが精一杯。

 けれど、ルツが逃げるための状況さえ作り出すことができたらなら――それでいい。


「慈雨――――!!」


 爆轟。

 砂埃が上がり、背後で温室のガラスが砕け散る。

 ごごご、という地鳴りと共に四方の柱が爆ぜて、フロアが崩壊を始める。天井だか、柱だか、ひどく大きなコンクリートの塊が慈雨めがけて崩れ落ちてくる。

 えらくゆっくり、スローモーションのように終わっていく。わたしが、世界が。

 慈雨は自分を押し潰そうとする礫ではなく、去っていく背中を見ないで済むように、そっと瞼を閉じた。

 慈雨。

 もう一度自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 ルツ。



 ザ   ア   ッ   !



 瞬間。

 全身に風を感じた。とても強い風だった。

 風が吹き荒れ、真っ赤な砂嵐が慈雨の体を包み込んでいる。

 思わず目を開けようとしたが、殆ど叶わなかった。世界は光で溢れ、まるで目蓋ごしに初夏の日差しを感じているようだった。気がつくと、慈雨の視界はきらきらと輝く赤い砂粒で覆われていた。

 わたし、知ってる。

 この温もり。この匂い。この感触はルツの身体だ。

 …………でも、どうして?

 柔らかくて血の匂いのする赤い砂が慈雨を覆う繭となって、実験フロアの倒壊から――そして死から彼女を「隔絶」し「断絶」していた。



 §



 気がつくと、慈雨は崩壊したフロアにたった一人で倒れていた。

 瓦礫の直撃を免れ、奇跡的に傷を負うこともなく、大量の砂を被った状態で床に投げ出されていた。

 起き上がると髪や肩からさらさらと赤い砂が零れた。濃密な血の匂いが立籠めている。全身がひどく痛む。爆発に巻き込まれた衝撃に膝が笑ってしまっている。げほげほと咳をし、口内に入った砂粒を吐く。

 背後では温室が砕け散り、瓦礫の下敷きになっていた。

 鳥籠のエバーグリーン。地下室の庭園はもう失われてしまった。暗黒時代のテクノロジー、その遺産ごと。


「ルツ……どこだ!? いるなら返事しろ! ルツ!」


 いくら呼べども返事はない。

 はっとして階段のある入り口の方向を見やれば、倒れている倚水の姿があった。そして、そこから少し離れた場所には見慣れた黒い拘束服。解けた幾本もの帯が束となって床に広がっている。衣服から弾け飛んだ赤い砂の跡が慈雨まで軌跡を描くように続いていた。でも、どこにもルツ自身の姿はない。

 知らぬ間に握りしめていた掌を開く。砂が指の隙間から音もなく零れていった。流れ出る血液のように。


「……ルツ?」


 間違いない。ルツだ。

 これは、ルツの命そのものだ。

 わたしがルツを殺してしまったんだ。

 慈雨はふらふらと出口に――ルツだったものが蟠り、今は拘束衣だけが落ちているその場所までくずおれるようにして歩いていった。そうして、ルツの拘束衣を胸に抱く。袖口や襟ぐりから赤い砂が零れて、慈雨の膝や床に散った。あとには骨の欠片すら残らなかった。

 ルツ。ルツ。ルツ。

 ルツがいなくなってしまった。

 この体をすり抜けて、ルツは消えてしまったんだ。ずっと一緒だったのに。傍にいたのに。

 本当は――彼が罪囚であることに安堵していた。ルツの身体に幾重にも枷を重ね縛めて、繋ぎとめていたかったのは慈雨の方だった。

 ルツはきっとそれさえ見透かした上で、それでもわたしを好きだといってくれていた。最後も名前を呼んで、咄嗟に救ってくれたんだ。自分の命さえ投げ出して。

 喉の奥から声にならない叫びが溢れた。

 気がつくと、慈雨は大声をあげて泣いていた。

 次々と零れおちる涙が頬に付着した赤い砂を固めて、やがて完全に剥がしていった。

 喉が破け、染み出た血が唇を伝っても、慈雨は泣き叫ぶのをやめなかった。




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