五 『迷宮のエヴァーグリーン』
5.
翌々日。第四竜骨都市、第三五番地下都市遺跡。
ストームカラッパの蒸気/ディーゼルハイブリッド機関が熱い咆哮を上げる。
複眼部の迷宮灯が地下都市遺跡の黒闇を照らし、その中を潜行モードの大蟹が這い進んでいく。
慈雨たちは夜明けとともに〈
最初は円柱状の柱が並ぶ大空間を降りていたが、今はもうだいぶ道幅が狭くなっており、ほとんど人工的な地下道そのままの景色が続いている。都市構造でいう路地ごと埋没しているためか、横穴も非常に多い。そこらの暗がりからは今にも何かが飛び出してきそうだ。それに古い看板や広告塔が非常に多く、頭上が視界を遮るもので溢れているのも気掛かりだった。東アジアの九龍砦――これは赤い風から暮らしを守るために百年前に再構築されたというが――まるでそれにそっくりな光景だった。
「慈雨、もうそろそろカラッパでは進めなくなるよ」
「……待って。今何か見えた」
「どこ?」
「ほらまた……奥でなにか光った」
「あれは――」
ルツが口を開いた瞬間に重い衝撃。
頭上から投擲された何かが炸裂し――再び衝撃。
「爆弾!? これって……」
「アカバク族の縄張りに入っちゃったみたいだねぇ。焦って降りなくて正解だった――かも!」
光がちらついた方向から、禍々しい装備品に身を固めた集団が躍りかかってくる。死体から剥いだ(と噂される)スーツを縫い合わせた衣装、派手なフェイスペイント。間違いようがない、彼らこそがアカバク族である。存在そのものが
彼らは全員が戦槌や大斧を振るい、装甲を破壊しかねぬ重い一撃を放ってきた。それに尋常ではない身のこなしでカラッパの動きにしつこく喰らいついてくる。
逆進化――先祖返りとでもいうべき変貌を遂げた人類の姿が、地下には確かに存在していた。
操縦桿を手繰り、次なる攻撃を躱しながらルツが好戦的に笑う。
「彼ら、おもしろい……! ああ、この手で今すぐばらばらにして中身を確かめたいよ」
「ちょっと! 一族郎党滅ぼす気!?」
「だって、先に攻撃を仕掛けてきたのは彼らでしょう? そのつもりじゃあいけないの?」
「ノー! ダメです! あたりまえだ! 好戦的である彼らを刺激したくはない。それに余計な戦闘は避けないと遺跡が崩れかねない。一度退避して裏道から坑道に入る!」
会話中にも手投げ弾が飛んでくる。足元に着弾。ルツが瞬きひとつの差でカラッパを手繰り、避けていく。
「ちぇ、アカバク族を殺したことはまだないし、これから女族長がお出ましになったりしておもしろくなるところだったのに」
「おもしろくしないで。あんたにも彼らにもそういうの求めてないから」
「なにおうっ! 慈雨はボクにもっと多くを求めてよ! ラブとかセックスとかバイオレンスとかさ!」
「……ひょっとして、ルツもあいつらと同じ一族なんじゃないの?」
ジト目で問うが、ルツには効果がないようだ。ルツときたらひたすら楽しそうに笑い続けているのだから。
カラッパは高速カニステップで退避し、迷宮化した地下都市を疾走。なおも喰らいつこうと追ってきていたアカバク族の戦士たちが口ぐちに何かを叫んでいたが、多分「逃げるな」「戦え」「命を賭けろ」とかそういう意味だろう。彼らを見ていると慈雨はぞっとしない何かを感じてしまうのだが、おそらくこれが普通の反応だ。ルツやアカバク族のほうが異常なのだ。きっと。
背後、というか前方から何度か轟音が聞こえたが、やがてそれらも遠ざかって消えてしまった。
慈雨は内心でほっと溜息をついていた。
§
「ここからは徒歩だ。研究施設……なんでもいい、それらしい場所を発見したら互いに報告し合おう」
「おっけー。ボクが座標を書き込んでいくよ」
何者かの悪夢を具現化したかの如く複雑に入り組んだ路地。これが二○五坑道の特徴的な景色である。かつて……遠い昔、この国に存在したという東京特別区の成れの果て。
ゲートルを巻いた靴にこつんとなにかが当たる。慈雨は足元に転がっていた鉄くずを手にとった。硝子張りの板のようだ。どことなく通信機器を思わせる形状だが、使い方は分からない。機器の下部には薄汚れた小さな縫いぐるみがぶら下がっていた。
「夢の終わりって、ほんとうに来るんだな」
慈雨が呟くと、ルツは馬鹿にするでもなく淡く微笑んでみせた。反応の意味が分からず、慈雨はそっぽを向くとヘルメットをかぶり、システムを起動させた。暗視、熱探、望遠、集音、そして無線機能。リバースエンジニアリングにより再現された前時代のテクノロジー。それらは電子機器への影響が及ばぬ地下世界におかれてはじめて本来の役目を果たす。
ふたりは入り組んだ通路を手分けして探索し始めた。
アカバク族でなくとも別の何かが潜んでいて、襲撃を受ける可能性だって十分にあり得る。慈雨は周囲の様子に気を配りながら道の奥へと進んでいく。と、メイン通りと辛うじていえる状態だった道路がいくぶんか整然としたものに変わっていることに気がついた。天井も――これは堆積した砂や積層都市の造りの影響もあるのだろうが――徐々に高く広くなっていく。
「ルツ、こっちだ」
路地の洞穴を調べていたルツが合流する頃にはさらに道が開け、いつの間にかふたりは大きな空洞に辿りついていた。
そして。その先には、ハニカム構造のドーム型建築物が存在していた。
「もしかしなくても、これが件の研究施設……か。本当にあったんだ」
「彼ら、相当事前のリサーチを重ねていたのかも。さて……目的のお宝があるか、中に入って確かめようか」
§
倚水の説明通り、建造物の中にはこの場所がかつては研究施設であったことを示すものが多く残存していた。建物自体もコンピュータ室とおぼしき部屋や実験室らしきスペースごとに区切られ、稼働当時の面影を色濃く残していた。壁面は所々が崩れているものの、骨組み自体が無事な点を鑑みれば、当時からして頑丈に設計されていたことが窺える。
「あいつの話が本当なら、小惑星上でも成長可能な環境改変植物……そのサンプル、あるいは研究データがどこかにある筈なんだけど。実験室に種とか標本とか記録符とか、そういうものが残されていないか調べて回るべきだろうな。……ルツ?」
背後にいた筈のルツの姿が見当たらず、慈雨の脳裏に嫌な予感がよぎる。
「ルツ、どこに……」
「慈雨! ちょっとこっちへ来てごらんよ」
勝手に奥へ進んでいたルツが朗らかな声で慈雨を呼んでいる。
まったく、階下へは行くなと行っておいたのに。慈雨は舌打ちしてすぐさまそちらへ向かう。
「ルツ、ひとりで階段を下りるなんて! なにかあったらどうするの」
「なにかってなにさ?」
階段を下り、錆ついたまま開け放たれた扉をくぐってルツに追いつく。もう一言二言浴びせてやりたかったが、慈雨は口を開きかけたきり固まってしまった。
「あ……あ……! これって」
「第七天国へ、ようこそ」
ルツが芝居めかして言うのでさえ、最早気にも止められなかった。
だって――慈雨の眼前には緑であふれた秘密の森があったのだから。
「こ、れは、温室? でも、どうしてこんな……!」
「ふむ。どうやら実験は成功していたのかもしれないね。宇宙環境改変植物、そのサンプルを大昔の研究者たちは秘密裏に造り出していたのかも」
「だからって、こんな砂漠の……地下迷宮なんかで花が育つなんて」
すごい、と言ってしまい、慈雨は思わず赤面して押し黙る。まるで子供みたいに振る舞って、このままではルツによるからかいのネタを増やすだけだ。
でも、本当に
絵本の中でしか見たことのないガラス張りの小さな球状ドームが実際に眼前に存在している。その天井は緑の木々によって突き破られ、そしてそこから伸びた無数の枝が空間自体を覆い尽くさんとしている。ドームから溢れる形で生い茂った柔らかな若木は草原と化し、慈雨たちの足元まで届いていた。
「ねーえ、慈雨。どうせだから温室の中を見てみようよ? ボクは見たいんだけど、キミはどうかなァ?」
「い、いいの? そんなこと……勝手に中に入ったりして」
「なんていうか、いいも悪いもないでしょ。ボクら、もともと研究データを取りにきたんだからさ」
珍しく及び腰の慈雨をルツが焚きつける。いつもならルツの誘惑など簡単に振り切ってみせる慈雨だったが、今回ばかりはその囁きに乗ることにした。だって、見たいのだ。自分だって見てみたい。本物の緑を。花を。感じたい。匂いも感触も、すべてを、間近で。
「え、枝とか勝手に折っちゃダメなんだからね!」
「わかってるって」
土を踏み荒らさぬよう細心の注意を払いながら、ふたりは温室へと足を踏み入れる。慈雨もルツも同じことを考えていたようで、中に入るとふたりはほぼ同時にヘルメットを外して小脇に抱えた。
オアシス中枢にでも入らなければこんな光景は見られないだろう。否。もしかすると、オアシスだってここまでじゃないかも。すうっと息を吐き、それからゆっくりと呼吸する。濃密な水と緑の匂いが慈雨の鼻孔を擽った。
「信じられない……」
そこは温室というよりは、もはや小さな森だった。長い年月、人の手を介さず成長を続けた植物たちが生い茂り、独自の生態系を築いた――。奇妙な形状に発達した植物から、ごく単純な草木までが複雑に絡み合いながら同居している。
ルツはわざわざ不気味な植物にばかり興味を示し、つついたり、傍に寄って変顔や謎のポーズをとることで慈雨の気を引こうとした。慈雨は全力でそれを無視、眼前に広がる緑を観察して回った。
そして今、慈雨の眼前には薄桃色の花を咲かせた若木が枝を垂れている。不思議な匂いのする花だった。
懐かしいような、くるおしいような、喩えようのない気分にさせる美しい花々――。
「慈雨。泣いているの?」
ルツから指摘され、初めてそのことに気がついた。頬に指先で触れてみる。慈雨は自分でも知らない間に涙を流していた。
「あれ……どうして、こんな、わたし……でも、知っている。覚えている気がする」
ルツが首を傾げる。
そうだ。覚えている。わたしは知っている。
「この場所、わたし、知ってる」
「つまり、慈雨自身も知らない昔の記憶だね。地下迷宮で目が覚める前にどうしていたのか……。もしかしたら、この場所はキミにも関係があるのかな?」
わからない、と言おうとしたけれど、とても言葉にならなかった。涙が次から次へと溢れ止まらなかったからだ。
いつの間にかやさしい抱擁をくれていたルツが慈雨の零した涙を舐めとって「甘い」と呟いた。慈雨はしばらくそのことすら忘れて、立ち尽くした。
記憶と記録。ルツの言うことが当たっているなら、この場所は以前の自分にどんな関係があるというのだろう?
「……よし、サンプルを採取して戻ろう」
ようやく落ち着いた慈雨がそういうと、ルツは案の定離れたくないと駄々を捏ねた。それをぐいぐい押して離すと、慈雨は目元をぬぐい、ヘルメットを被り直す。
「向こうからはじめようか――」
言いかけた、その瞬間だった。
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