ヲ探偵 モゲラ

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

推し活と言う勿れ

 密室、そして殺人――。

 ではなく。

 状況的密室と、無惨に砕けたフィギュアがそこにあっただけだった。

 驚きで声の出せない女生徒三人と、うだつ・・・のあがらない男性教師一人。

 教師は床にひざまずき、かつてフィギュアだった破片を見つめながら、ぽろぽろと涙を流していた。


     *


 わたしがその探偵事務所を訪れたのは、兄から勧められたからだった。手書きにしては丁寧でわかりやすい地図の肝心の場所には矢印が引かれ、書かれた文字は悪筆だった。

「……モゲラ?」

 なんだモゲラって。

 呟き、見上げて、視線が止まったのは雑居ビルの3階で、テープで手作りしただろう「モゲヲ探」の四文字があった。

「……『ラ』じゃねーじゃねえか! あと『偵』まで頑張れよッ!」

 乙女にあるまじき悪態をついて、雑居ビルの端、喫茶店とおぼしき一階の店舗の脇にある細い階段を昇った。

 予想に反して、モゲヲ(ラ?)探偵事務所はこざっぱりとしていた。

「どーぞぉ」

『探偵』と書かれた机上札の載ったデスクに足を投げ出した格好のまま、モゲヲ探偵が新聞から目を離さずいった。

 天然なのか自らそうしているのかモジャモジャの頭に、黒の丸眼鏡。ワイシャツにサスペンダー。なんかもうどっかで見たような要素だらけでどこから突っ込んだらいいかわからない。もしかしたら新聞で読んでいるのは囲碁の欄かもしれない。

「えーと、モゲヲさんですか?」

 そこで初めて探偵はこちらを見た。「あれ、もしかしてお客様?」

 探偵は新聞を投げ出し、デスクを回り込むように愛想よく近づいてきた。

「てっきり友人の妹がやってきたのかと。失礼、探偵のモゲヲです」

 差し出された手を訝しく思いながら、

「友人かどうかまでは聞いてないですけど、立花の妹です」

「……愛想よくして損した」

 デスクに腰をあずけて、探偵はズボンのポケットからしわくちゃの煙草を取り出した。器用に振り出し、一本、咥える。

「おっと。小うるさいこというなよ。ここは俺の城だ、立花の妹」

藤子とうこです。……煙草はどうでもいいですが」

 火を点け、一口目を美味しそうに深々と吸って、吐きながら探偵は笑った。

「いや、あいつの妹なら。きっと俺のことをモゲラって呼ぶと思ったからさ」

 ラで合ってたのかよ。


 探偵の名は茂毛尾 界人もげお かいととかいうらしいが昔の話を咲かせようとしていたのでさえぎって、わたしはここに来た用件を話した。

 推し活三人娘トリオと陰で噂されているクラスメイトたちに起こった悲劇と、その犯人究明の依頼を――

「しかし、それは俺の範囲外だろ?」

「え、だって兄貴が」

 病院にあるようなお粗末な仕 切 り パーティションに隠れていた応接セットに、わたしと探偵は向き合って坐っていた。

「正式な依頼なら猫探しだろうが初恋の人探しだろうが引き請けるが、君は別件だろう? だって立花の妹だろ」

「いや、何が別件かわからないですけど、ヲタクが絡んだ事件ならあなたに限ると兄貴が――」

「まあな、俺はヲ探偵だからな」

「なんです、それ?」

「ヲタ関連に詳しいヲタ探偵、略してヲ探偵」

 わたしは肩を落として深々と溜息をいた。

「……いえ、確かに高額な依頼料は払えないですが、それなりの謝礼は支払うつもりですし、そもそもヲタとか言われても」

「立花の妹だろ? 君もヲタに決まってる」

「ヲタクは別に遺伝しないと思いますけど、だったらなんだと?」

「親近感が湧く。同時に金にならないな、とあきらめる」

「なんかまだ本題に入らないうちから疲れるんですけど」

「喉乾かないか?」

「は?」

 ヲ探偵を名乗るモゲラ(ヲ?)は立ち上がり、

「下の喫茶店で話を聞こう。喉が渇いた」



 推し活三人娘は、TOWトウというボーイズグループの大ファンだ。クラス中に布教して、信者を増やそうとしている。そもそもTOWというのは略称で正式には「Top Of the World」といい、トワイライトさん(ミュージシャン。XXX所属)主催のオーディションを勝ち抜いてデビューした新人五人組だ。

 モーニングショーの中でオーディション風景が毎朝流され、新型コロナで休校だの時差通学だのしていた彼女らはすっかりそれにハマってしまったというわけだった。

「ヲタと一口にいっても色々あるのは君にだってわかるだろ?」

 トーストを頬張りながらモゲラ。

「どう考えてもボーイズグループとか推しとか範囲外だろ、俺は」

「わたしも実際に見てからならそう思えたでしょうけど、でも兄が」

「マスター、コーヒーおかわり」

 ヤクザみたいな風体のマスターが「ファミレスじゃねえんだ、わかってるよな」とドスを効かせながらやってきて、風貌に反してやけに繊細な手つきでモゲラのカップにコーヒーを注いだ。

 店に入るなり「マスター! モーニング、あとなんか甘くて暖かいのひとつ」と注文した探偵に、

「ボケが。モーニングっていったら朝しか出さねえに決まってるだろ!」と悪態をつきながらトーストとゆで卵を運んできたところから見て、もしかしたらじゃれあってるだけなのかもしれない。あんまりそそられないけど。

「しかし、まあ」ゆで卵の皮をむきながら、モゲラ。「状況はわかった。――放課後、勝手に机だなんだを教室の隅に寄せ、好きなアイドルのダンスを練習していた三人の女生徒、そのうちのひとりが大事にしていたアイドルフィギュアが他に誰も入ってこなかった教室で、風もないのに勝手に落ちて粉々に砕けた、と」

「ええ。状況的には」

「これ、推理とかいる? そして犯人捜しとか必要?」

「モゲ……ヲさん、話聞いてました? 登場人物はその三人だけじゃないんですよ」

「男性教師だろ? えーと、なんだっけ? 白田先生?」

 そう、その白田先生なのだ、問題は。

 背は低く、小太りで冬でもいつも汗をかいている。妙に早口で活舌も悪く、英語の教師だというのに素人でもわかるぐらい発音もよろしくない。なにより、女子高の教師にはふさわしくないある趣味が――あるとかないとかいう噂で。

 すっかりモーニングを平らげたモゲラ探偵が、阮籍げんせきが俗物に向けたとかいう代物しろものをわたしに向けていた。

「君、ヲタクに偏見があるだろ。……同類嫌悪?」

「どうしてすぐわたしをヲタクにしたがるんですかッ! いや、話を逸らさないでください。さっき話した事件だけでなく、その前にもずっと――推し活をしている子のストラップがなくなっていたりだとか、色々あるんです!」

「そういう嫌がらせを、その白田先生がやっていた、と?」

「そういう噂があるんです」

 やれやれ、とモゲラは肩をすくめてみせた。

「女子高に数少ない男性教師、よくもわるくも注目を浴びるのはわかるけれど、何か起こったらすぐ犯人扱いじゃやりきれないね。かわいそうだよ。ま、それはそれとして。実にそそられない話だが、先を進めようじゃないか」

「ええ」

「まず密室――と君が呼ぶ件。そもそもどこが密室なんだ? 教室に鍵をかけていたわけでもない、三人とも踊るのに夢中で、誰かがこっそり入ってきたのに気づかなかった、とかだって全然ありえるだろ?」

「そうですけど、端に除けたうち、ひとつだけ三人の前に据えた机の上に、ダンス動画が流れるipadとフィギュアが並んでいたんですよ? 誰かがフィギュアに触れたなら気づかないはずがないでしょう?」

「逆にいえば白田教諭がそうしたなら、それに気づかないはずもない」

「そ、そうですけど……」

「その白田さんを犯人にしたいのは、君の意向なんじゃないのか?」



「君は白田に脅迫され、そして弄ばれている――」


 真面目な顔で言ってから、モゲラは爆笑した。

「なんてことあるわけないよな、だって立花の妹だもんな!」

「兄貴は関係ないでしょ!」

「そもそも推し活三人娘トリオとか言っていたけど、君も員数外の、そのうちのひとりなんだろ、ちょっと状況に詳しすぎる。それに付け加えるなら――」


「その白田教諭も、推し活をともにする仲間なんだろ?」


 そうだ。

 だが、なぜこの男はそれがわかったのだ。

 のんきにスマホを見て鼻歌を唄っている探偵を睨むと、いつの間に着けていたのかワイヤレスイヤホンの片耳をわたしに差し出した。

「うん、悪くないね、TOWだっけ? 五人組のダンスを三人でやるのはアレンジとか色々大変だろ? それでなくともファン心理からしたら五人でやりたいでしょ」

 わたしはイヤホンを受け取らなかった。「それだけ?」

「そもそも風で吹かれようが何しようが、机の高さから落ちたぐらいでフィギュアは粉々にはならんよ。仮に陶器製だったとしてもさ。最初から粉々になりかねかったか、何か仕掛けがしてあったか。君の言葉を信じて、三人娘が純粋な被害者だとしたら、あとはその場にいたであろうと白田先生か君、犯人はそのどちらかだよ」

 でも、とモゲラ探偵は続けた。

「自分が犯人だと疑われたくないから、白田先生を犯人に仕立て上げたかったわけじゃないだろ?」


 わたしは悔しくて泣いていた。ぽろぽろ、と。

「このTOWってのには随分若い子がいるんだね。いま調べたら苗字が白田。……白田先生の弟だったりする?」

 わたしは何も言わなかった。

 そうだ、ふたりは確かに兄弟だ。みじめな兄の自分と違って華やかな世界に生きる弟を、恨めしいと思い、それが高じて推しの生徒を傷つけて――と、そういう筋書きにするはずだった。でも、そんな話をする前に、全部見抜かれた。悔しい。

「違うだろ」

 探偵は言った。

「悔しいのは、自分なんかより――それどころか推し活のメンバーの中ですら、白田先生が一番熱烈で愛情を捧げている信者だってのが悔しいんだ、君は」


「まあ、さ。クラスメイトがイヤホンを分け合う相手に自分じゃなくて男の教師を選んだりとか、ホモだと噂されている人が自分の弟を熱烈に推しているとか、色々許せないことはあったんだろうが、噂は噂、だ。なんでもかんでも信じるな」

 探偵はレシートをつかむと、わたしに差し出した。

「依頼料代わりに払ってくれ。それでチャラだ」

 

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