推し活@魔界

有馬 礼

蜥蜴型魔族は推し活の情緒を解するか

「そんなにじっと見ないで。息が詰まるわ」


 アウゲは刺繍針を動かす手を止めて、隣から顔を覗きこんでいるヴォルフを見た。


「おれのことは気にしないで。真剣な顔してる姫さまもかわいいなぁ」


 ヴォルフは蕩ける微笑み(執事頭のメーアメーアに言わせるとだらしない顔)で応える。


「気にしないでいられるなら、こんなことわざわざ言わないわよ」


 アウゲは唇を尖らせて軽くヴォルフを睨む。

 次期魔王ヴォルフはいつものように執務を抜けて、アウゲの邪魔をしに来ているのだった。


「いま姫さまが刺繍してるそれ、この前異界で食べた料理ですよね。肉を衣で包んで揚げたやつ。美味しかったですね」


「ええ。外はサクサクで、でも中のお肉は硬くなりすぎずにふわっとしていて。それに、少し甘くて色々な素材の味が複雑に組み合わさったソースをかけるのよね。すごく美味しかったわ。その感動を忘れないように、刺繍にして留めておこうと思って」


「それ、完成したらおれにください。辛い時とお腹空いた時に見ます」


 ヴォルフの言葉にアウゲは思わず声を立てて笑う。


「ふふっ、お腹が空いたときに見たら、余計辛くなるんじゃないかしら」


「大丈夫です。耐えてみせますよ」


 そろそろ完成しそうな、異界の料理を写し取った刺繍は確かに素晴らしく食欲を刺激した。見ていると、あのサクサクとした衣の歯応え、その次に来る、完全に火は通っていながらも固くなる寸前に芸術的なタイミングで油から引き上げられた肉の、柔らかさと溢れる甘みのある脂、それを引き立てる焦茶色のソースの芳醇な味わいが蘇ってくるようだ。


「わかったわ。じゃあ、完成したらあなたにあげるわね。執務机に飾れるように、メーアメーアに頼んで丁度いい大きさの額を手配してもらうわ」


 アウゲはヴォルフに視線を合わせて微笑む。


「やった。約束ですよ」


「ええ。じゃあ、あなたは執務に戻って」


「楽しみにしてます」


 ヴォルフはそういうと素早くアウゲの唇に唇を触れあわせた。


「もう。早く行って」


 アウゲの照れ隠しに追い立てられて、ヴォルフは上機嫌にアウゲの部屋を後にした。


「……もう行ったかしら?」


 アウゲは部屋の隅に控えていた侍女に言う。


「……大丈夫でございます」


 新年祝賀の宴でアウゲの髪を結ってくれたその侍女は気配を探る術に長けており、ヴォルフの不意の来訪を事前に掴むことができる。また、大人しく出ていったと見せかけて戻ってくるなど、動きの読めないヴォルフの動向を教えてくれるのでとてもありがたい存在だった。


「ありがとう。本当、油断ならないわ」


 アウゲはそれまで刺していた異界の料理の刺繍を脇に置き、道具箱の底から別の刺繍枠を取り出す。


「アウゲ姫、ヴォルフさまに知られても、別によろしいのでは? ヴォルフさまはお喜びになりこそすれ」


 侍女は笑いを堪えながら言う。


「だめよ。だって、恥ずかしいじゃない」


 アウゲは形のいい唇を再び尖らせる。


「けれど……ほほほ、姫さま……ヴォルフさまになぞらえた刺繍を刺しておいでで、それをご本人に知られたくないとは……ふふ」


「もう、笑わないで」


「おほほ、あまりにお可愛らしくて。申し訳ございません」


 アウゲが取り出した刺しかけの刺繍は、狼だった。メーアメーアによると、ヴォルフは異界の言葉で狼を表すらしい。銀の混ざった灰色の毛並みの狼が自由に駆け回っている様子が躍動感たっぷりに表現されている。狼がその身に受けている風がこちらにも吹いてくるようだ。笑っているように僅かに口を開けていて、こちらに向けられたその目は、現実の狼とは違って深い青。それが何を表しているかは言うまでもない。




「ヴォルフさま」


 蜥蜴型魔族の執事頭、メーアメーアに呼びかけられてヴォルフは我に返った。


「あ、え、何? 何か言った?」


「いえまだ何も」


「そうか。何も言わなくていいよ」


「そういうわけには参りません」


 メーアメーアはぺろりと眼球を舐める。


「先程わたくしの目を盗んでアウゲ姫のお顔を見にいらっしゃったのでは? それであれば今そのクリスタルの薔薇をじっと見つめる必要はないかと存じます。そもそも毎朝毎晩アウゲ姫のお顔をご覧になっているのに、その上なお、姫になぞらえた品を身近に置く意味がわたくしにはわかりかねるのでございますが、どういうことなのでしょうか」


 ヴォルフは不満そうに、ガラスの中に薔薇の花が浮かんでいる特注のペーパーウェイトからメーアメーアに視線を移した。


「うるさいなぁ。これ見て、『今、姫さま何してるのかなぁ』って考えるのがいいんだよ」


「この時刻であれば、刺繍か散歩でもしておいでなのでは? 自明の理かと」


「いやまあ、そうなんだけどさ」


 現に、さっき顔を見に行った時もアウゲは刺繍をしていた。散歩には時間があるので、今もまだ刺繍をしているだろう。


「まったくあなたがたは」


 全てを見通しているメーアメーアは、反対側の眼球をぺろりと舐めた。

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