いっそ芸能人になってくれ

銀色小鳩

1話完結 いっそ芸能人になってくれ

 推し活……自分の特別な人を応援して、ますます活躍できるようにすること……らしい。あたしは芸能人の追っかけなんてしたことないし、マンガや小説のキャラにそこまで妄信的にハマったこともない。だからクラスで芸能人の「推し活」とやらをしている人間の話をきいても、ちっともその気持ちがわからない。

 写真を買ったり、グッズを買ったり?

 遠い人のことをそんな風に応援する気にはなれない――高校生というのは、そこまでお財布が自由なわけじゃない。

 だけど、写真を買う、そのことに対して、あたしは今、その「推し活」をしているクラスのコたちが、うらやましくなっている。


 教室の外の廊下一面に貼られた写真を、端から見ながら、購入希望の申し込み表に書き込んでいく。

「うーん……」

「選んだ? まゆっち」

 後ろから抱き着いてくるのがいる。この感触……りんだ。彼女はつるぺた体型だから、後ろから抱き着かれても、ラブコメなんかで男子が喜ぶような感触はない。だけど男子だって、そのコの存在そのものが大きかったら、つるぺたであろうとなかろうと、ドキドキするんじゃないだろうか? 凛を、なるべくうっとおしそうに見えるように振り払う――ふりをしながら、手加減して、抱き着かれたままにする。

「まだ」

「選ぶの遅すぎ。私もう選んじゃった」

「じっくり選ぶの!」

「どうせ半顔はんがおの写真とかでも、買うかどうか迷ってるんでしょ。自分が中央あたりにある写真だけ選べば、相当絞れるはずだけど? いらないでしょ、半顔とか変顔とか」

 うるさいな。あたしは別に、自分の半顔の写真がほしいわけじゃない。変顔の写真も要らない。白目になってる写真とか、顔がでかく写ったのとか、ほんとうは要らない。

 凛をしっしっと追い払う。

 今、カメラを構える教員がいれば、あたしは絶対に追い払わなかっただろう。同じ写真におさまらなければ、凛の写真が買えないからだ。

 そう――あたしがいま現実でしている推し活に近い行為といえば。それは、凛の写真を買うことなわけだ……あたしに写真を買われたからといって、凛の立場が良くなるわけでもなんでもない。へたすると、あたしの立場が悪くなる。だから、写真になるべく一緒に入るように、そこから活動するわけだ。そして、自分が半顔でも変顔でも、凛さえ写っていれば、あたしは買う。

 今回の写真は、文化祭と旅行のときのものだから、廊下に貼られた写真はだいぶ長かった。

 凛が演劇部で活躍している写真のコーナーに来た。

 これは買える。演劇部の舞台写真なら、「作品」の一部を買うのであって、凛の写真を買ってるわけじゃない。それでも凛だけ買うとおかしいから、ほかの良かった役のコのも、二枚くらい買う。クソッ、この二枚に関しては財布に響くわ。

 凛のだけ、どうしても多くなる。しかたない。演劇見るの好きだからね。凛のやった役、たまたま良かったからね。衣装もばっちりだったし、この衣装の写真が欲しい! とかいろいろあるからね。他のコが凛のやった役をやって同じ衣装を着ていたら、もちろんそのコのを、同じ枚数買ってたよ。――嘘だけど。

「ねぇ、私の多くない?」

 後ろから声をかけられて、申し込み表を取り落としそうになった。

「びっくりした。推し、推しだから、この役が……この衣装が」

「舞台、よかった?」

 明るい笑顔で、凛はあたしに聞いてくる。

「よかったよ」

「私、よかった?」

「すごくよかったよ」

「どこが?」

 ――どこが……だと?

 ぐへぇ。やめろ。あたしは演劇評論家でもなんでもない。凛が可愛かったとかカッコよかったとか、そんな推しのアイドルを追っかける人間のようなことしか言えないではないか。どこだ。どこへ消えた、あたしの言い訳は?

「衣装が凝ってて、それに合うしぐさが、ね、練られてるなってかんじで」

 言い訳をすばやく考え出す。これも推し活に必要なスキルだろうか。それとも相手が本当に芸能人だったら、そんなスキル必要ないのだろうか。

「いろんな角度からこの衣装が見たくて。衣装係さんすごいね」

「まゆっち衣装に興味あるんだ? 衣装係で演劇部入ればよかったのに」

「もうこの時期だからね。いまさら部活変えるのもね」

 興味ない。衣装は興味ない。いやあるけど、それは凛が着ているから衣装がよく見えるのであって、衣装単体になんの興味もない。ないが……衣装係とやらになれば、凛のサイズをはかったり、色々な衣装の着せ替えしたりということが可能だったのだろうか。クソッ! 惜しいことをした!

「卒業してもまだどこかで演劇やってたら、観に来てくれる?」

「もちろん」

 凛は本気で劇団に入って演劇をすることを考えているらしい。現金に、あたしが観に来てくれればノルマの足しになるとか、代わりに食事を奢るとか言って、屈託なく笑っている。

 演劇を続けてくれ。劇団に入ってくれ。そしたらあたしは推し活できる。パンフレットに写る凛の写真が手に入る。こそこそ盗むように写真を買わなくてもよくなる。これが本当に有名な芸能人の推し活なら、写真を買ったり、グッズを買ったりできるのだ。

 遠い人になってほしいわけじゃないけど……近くにいてもこれ以上近づくことができないんだから、いっそ遠くで輝いてくれ。

 凛はあたしをじっと見ていたが、急に近づいてきて、あたしの顎に手をかけ、クイと自分のほうに寄せた。至近距離の視線に、吸い込まれるような色気があって、あたしは動けなかった。

「子猫ちゃん。絶対観にくるんだよ」

 そのままキスされそうな空気があって、あたしは顔が熱くて、身体が熱くて、何がなんだかわからなくなった。

 凛はあたしを見て、ちらっと横目で廊下を見て、数人がまだいるのを確認すると、あたしの顎から手を離した。

「ヅカっぽさ出た?」

「し――らないよ!」

 人で遊ぶな……そういうのは演劇関係者とだけやれよ、心臓に悪いわ!


 廊下から誰もいなくなったのを見計らって、あたしはさっき書かなかった番号の写真を見る。

 六十三番。

 完全に暗記した。あとから絶対にこれだけは書き込む。人から見えるところで申し込み表に書く気にはならないが、この写真は絶対にほしかった。リスクと引き換えにしてでも、ほしかった。

 旅行のときの、凛が一人だけで写っているパジャマ写真。

 アルバムには貼らず、お宝として本棚の一角に、あたししか見ない宝石の図鑑に挟んで保管する予定である。まぁ……お宝だから? 恐竜図鑑に挟むと、弟に見られて落とされて踏まれたりしそうだし。花の図鑑でもいいけど。

 変態くさい――じぶん、変態くさい――。

 ほら、隣の写真があたしだから。あたしが凛の写真を間違って買っちゃうことなんて、そう、あり得る、あり得るわけよ。つまり六十三番の写真を買ってしまうのは、事故である。

 うっかり見られたら、セリフはこうだ。

「あれっ? なんで? 番号間違えちゃったかな、ま、いっか。あとで考えよ」

 そして。ここ大事ね。凛が、自分のなら貰うと言ったら嫌だから、秒でしまう。演劇部じゃないけど、セリフと演技は、必死でやればどうにかなる。

「まだ選んでるの?」

 凛の声がして、あたしは急いで凛の写真から、となりに貼られている自分の写真に目を移す。どーん、と小さな声で言いながら、凛があたしの横に、腕に、軽い体当たりをしてくる。

「パジャマの写真いっこしかないけど、変顔だからどうしようかなって」

「六十二番、変顔まゆっち」

「うるさいわ」

「…………」

 凛がだまっているので、横目でちらっとみると、凛はあたしの変顔写真をじっと見ていた。

「買ったよ。六十二番」

「……は? なんで」

「変顔あつめてんの」

 なんだよそれは……。変顔マニアか。趣味わるいだろコイツ。

「あたしも、凛の変顔を撮ってやる」

 携帯のカメラを向ける。凛はにししと、変顔といえない可愛いおやじくさい笑いをして、あたしのカメラロールに収まった。そしてあたしの手から携帯を奪い取って、言った。

「変顔だった?」

「だった」

 奪い取った携帯の写真を確認するつもりだろうと思ったら、携帯はまったく見ずに、ずいと近づいてくる。凛の顔が近すぎる。彼女はあたしの顔をのぞきこみ、もういちど廊下をちらりと見て、顔を近づけてきて、止まった。

「…………」

 近すぎる、演劇関係者とやれ! そう文句を言うのをやめたのは、凛の目が本気に見えたからだ。

 凛の目があたしの目を見て、あたしの唇をみて、首をかたむけて、あたしの目をもう一度見つめた。キスをしていいか、視線で聞いているとしか思えないしぐさに、あたしはわけがわからなくなる。

 自分の血が沸騰して心臓が壊れてしまうのではないかと思った。

 変顔がどうとか、ヅカがどうとか、からかわれるのではないか。あたしがキスされたいと表情で伝えてしまったら、凛はどう思うのか。

 視線から迷いを読み取った凛は、あたしの手をとって、自分の胸に当てさせた。触れた場所がどくどくと血流を伝えてきた。つるぺたはいい、わかりやすくてシンプルだ……。凛の背中に手で触れたら、背中からも早い鼓動が伝わってきた。

 あたしは見つめていることも、キスをせがむように目を閉じることもできずに、凛のブレザーの襟を見ながら、問いかけるように時々止まりながら近づいてくる彼女の唇を待った。あまりにも時間をかけるものだから、心臓がおかしくなりそうで、背中に回した手で少しだけ凛を引き寄せた。唇に唇が触れてから、そっと目を閉じた。



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