Ⅲ型ちゃんの眼球になりたい

清水らくは

Ⅲ型ちゃんの眼球になりたい

 あの日僕は、胸の中で恋の始まる音を聞いた。それは思ったよりも鈍くて、血液を通して体中に響き渡った。

 たまたま訪れたショッピングモールで、彼女は歌っていた。その歌声は澄んでいたが、どこか突き放したような感じもした。

 アイドルのライブ。時折こういうところでは行われているのを見る。ただ、今日のものはちょっと異様だった。

「はい、ではあらためまして、ロボットアイドルのⅢ型ちゃんです」

「どうも皆さん、聴いてもらってありがとうございます~」

 アイドルの名前はⅢ型ちゃん。へんてこだが、見てみると納得でもある。彼女はロボットなのだ。人型だが全体的にメタリックで、顔にも凹凸はあるものの人間のような目や鼻、口はない。とてもロボットっぽいロボットだ。一応長い髪や全体的な体型から、女の子を模していることはわかる。

「Ⅲ型ちゃんはまだデビューして三か月なんだよね」

「はい。いっぱい勉強中なんです」

「ういういしいねー。今日はたくさんの人に覚えてもらいたいよね」

「はい。頑張るので、応援よろしくお願いします!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら、右手を振っている。

 気が付くと僕は、その姿に釘付けになっていた。

 観客は少ない。すぐに最前列まで行くことができた。

 僕は、その瞳(と呼ぶべき場所)をずっと見ていた。今まで、誰の目も直視することができなかった。そんな僕が初めてじっと見ていられる、かわいらしいくぼみ。

「最後の曲になりました。『ただいまインストール中』!」

 口も動かない。口パクですらないその歌は、ただスピーカーから流れているのだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。必死に踊る姿。手を振る姿。マイクをスタンドに戻す姿。全てが愛おしかった。

 僕は、Ⅲ型ちゃんの虜になったのである。



 その日以来、僕はⅢ型ちゃんのことを追いかけ続けた。CDを買い、ファンクラブにも入った。ライブにもできるだけ行き、握手会にも参加した。僕は毎日Ⅲ型ちゃんのことを考えて過ごした。

 誰かの大ファンになるということがなかったので、自分でも戸惑っていた。ただ、誰かを好きなるということは楽しかった。最初のうちは。

 Ⅲ型ちゃんは、多くの部分では普通のアイドルと違わない。歌って踊って、写真集も出して。ただやっぱり、ところどころ人間とは違う。彼女は食事をとらない。SNSでは「今から充電しまーす」がお決まりのセリフとなっている。一か月に一回、全く何もしない日がある。メンテナンスの日らしい。

 Ⅲ型ちゃんのことを知れば知るほどに好きになっていくのと同時に、胸の中にもやもやしたものが広がっていった。何が原因なのか、しばらくはわからなかった。けれども、特に初めて会った日のことを思い出すとき、後ろめたさが思い出されたのだ。それをきちんと言葉にするまでは、しばらく時間がかかった。

 あるライブの時に、その原因がはっきりと分かった。

「みんなー、元気ー? 私は電気いっぱい!」

 いつもと同じような言葉だった。はっきり言って、すごく盛り上がる、とかではない。Ⅲ型ちゃんのファンはまだまだ少なくて、今いる会場も地下のとても小さなところだ。でも、僕たちはとても連帯感をもって、Ⅲ型ちゃんを応援している。腕につけるメタリックのリストバンドがⅢ型ちゃんを推しているファンたちのお決まりのグッズとなっていた。光沢のある手が、何回も天井へと突き出される。

 だが、ライブが始まって30分ぐらい経って異変が生じた。なんか甘ったるい香りが漂い始めたのだ。だんだんとみんながそれを感じて、あたりを見回し始める。スタッフも慌ただしく動き始めた。

「すみません、いったんライブを中止します! 皆様そのままお待ちください」

 劇薬とかだったらどうしよう。でも、そういうたぐいの臭いにも感じない。皆が不安な時間を過ごしていた、が。Ⅲ型ちゃんだけはびっくりしたようで、きょとんとして立ち尽くしていた。

「原因が分かりました。上の階の飲食店で、ワインの樽が破損したそうです。一度換気しますので、皆様申し訳ありませんがいったん室外に出ていただけるでしょうか」

 僕らは促されるままに会場を出た。外に出ると臭いはよりきつく、少し酔っぱらいそうな感覚にもなった。

 三十分ほど経って、再び僕らは会場に入ることになった。何事もなかったかのように、Ⅲ型ちゃんは歌い始めた。ただ、僕はどうしても気になってしまった。あの時、Ⅲ型ちゃんは異変に気が付いていないようだった。そしてその原因は、容易に推測できる。

 Ⅲ型ちゃんには嗅覚がないのだ。

 Ⅲ型ちゃんには、鼻のような形のでっぱりはある。でも、鼻の穴はない。ライブをするロボットとして設計された彼女には、においを感じる必要はなかったのだろう。

 そう考えると、痛覚もないのだろう。味覚もおそらく。音は聴こえる、と思う。視覚もあると思っていたけれど、目の形をしたところには何もないのだ。

 彼女には、世界がどのように感じられているのだろう?

 それが気になり始めてしまった。そして、僕はいつも感じていたもやもやの理由が分かってしまった。

 初めて見たあの日、僕は目が合わないことで彼女に惹かれ始めた。彼女はそれだけでなく、鼻も耳も、舌もないのだ。彼女がロボットで、人間とは違うなんてことは最初から分かっていた。それでも彼女はきれいで、歌声は素敵で、踊りも可愛くて、完璧だと思う。

 けれどもいい香りも、おいしさも、心地よさも感じることができないのだ。おそらく僕らと同じようには見えていないし、聞こえてもいない。

 僕が感じられる幸せの多くを、Ⅲ型ちゃんは感じられないのだろう。そう思った瞬間に、とても苦しくなった。

 ライブの帰り道、僕は全ての感覚が邪魔に感じられた。



 家に帰った僕は鼻を洗濯ばさみでつまみ、耳栓をした。それほど世界は変わらなかったけれど、もし目隠しをしたら全然違うだろう。Ⅲ型ちゃんにはどう見えているのだろう。それが気になって仕方なかった。

 目を閉じると、瞼の裏にはⅢ型ちゃんの姿があった。僕に向かって、手を振ってくれている。絶対に目は合わないけれど、僕のことを見ていると確信できる顔。

 目が合うと怖いのは、僕ではない人間が僕のことを意識しているとわかるからだった。同じ人間なのに、みんな僕より優れている。そう思ってきた僕にとって、できれば僕のことは無視してほしかったのだ。

 だからあの日、絶対に僕のことを見ていないだろうと思えた、そして僕とは全然違う存在のⅢ型ちゃんに惹かれた。でも、知れば知るほどに、彼女は一人のアイドルなのだ。ただロボットであるというだけで、素敵な女性なのだ。

 人間とは違うⅢ型ちゃんにとって、「見えるもの」の重要性は人間とは全然違うだろう。Ⅲ型ちゃんと同じ景色を見てみたい。Ⅲ型ちゃんの世界の感じ方を知りたい。僕は、切実にそう思い始めた。

 僕は、Ⅲ型ちゃんの眼球になりたいのだ。



 僕は、Ⅲ型ちゃんを応援し続けた。けれども、売れないアイドルには、運命の時がやってくる。事務所から、「Ⅳ型ちゃん」のデビューが発表された。より洗練された動きと歌声。そして、人間に近い感性という触れ込みだった。

 Ⅳ型ちゃんには、眼球があった。

 その顔はより人間に近いものとなり、おそらく目の位置にある丸いレンズから、世界のことを見られるようになっていた。目にも耳にも穴があった。

 Ⅲ型ちゃんの何もない顔を「怖い」と言っていた人たちがいたことも確かだ。ロボットらしいロボットのアイドルを追いかけてきたのは、一部のマニアだけだったと世間には言われた。

 それでも僕は、Ⅳ型ちゃんには何も惹かれず、変わらずⅢ型ちゃんが好きだった。

 最後のライブの日、Ⅲ型ちゃんはいつもと同じ姿で、いつもと同じように歌って踊っていた。泣いているファンもいた。それでもⅢ型ちゃんは最後までロボットらしく、表情一つ変えることがなかった。

「みんな……今日までいろんな素晴らしい景色を見させてくれてありがとう!」

 Ⅲ型ちゃんが叫んだ。僕もその言葉で、涙腺が決壊した。僕の眼球から、涙があふれてきたのだ。

 僕は最後までⅢ型ちゃんにどんな世界が見えているのかわからなかった。それでもⅢ型ちゃんが素晴らしいというのなら、それを信じようと思う。

「Ⅲ型ちゃんありがとーっ!」

 渾身の力で叫んだ。

 ライトが消えて、Ⅲ型ちゃんの姿が見えなくなった。

「また会う日まで、充電期間!」

 その声を最後に、Ⅲ型ちゃんはアイドルをやめた。

 そして、僕がアイドルを推す日々も、終わったのである。

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Ⅲ型ちゃんの眼球になりたい 清水らくは @shimizurakuha

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