2020年現在、『将棋』がにわかに脚光を浴びている。
目も眩む新星の登場は言わずもがな、AIの進化、魅力的な『将棋モノ』コンテンツの登場、そして数十年ぶりの「タイトルホルダー乱立」……。将棋界は黒船とトライポッドと異世界転生者が同時にやって来た上毎月関ヶ原クラスの大一番に揉まれているような大騒ぎで、すこし目を話せば新たな大事件が飛び出している。
いままで『将棋? 日曜日にたまにテレビでやってるよね』という人でも、『今○○ってタイトル戦やってるんでしょ?』くらいには、目端を効かせはじめている。――実際、驚天動地のありさまと思う。
が、(当たり前のことだが)例の棋聖がデビューする前から、三月の猫科猛獣が映画化する前から、ロボットアームが駒を動かす前から、将棋界はあり、人は将棋を指していた。
このエッセイの第一回がかかれたのは2011年。将棋界に激震がはしる遥か以前。まだ「海の向こうにえげれすという国があるらしいぞ」な時代から、将棋という世界を見つめてきた記録である。
それも、「アマ」としての目線から。
将棋というコンテンツが「記録」されるとき、それはしばしばプロの目線から描かれがちである。そのなかでひたすら真摯で純粋な「将棋ファン」たるアマチュア棋士が見た『将棋界』は、時にはっとさせられる新鮮さをもって僕たちに届く。
「見つめてきた者」の確かな足跡。純粋な世界の記録。これは、決してお行儀よくパッケージングされていない。野生でパワフルな読みごたえあるエッセイだ。