推されたと思ったけど推されてなかった話
岡本紗矢子
第1話
いきなりですが、書いていた「推し活」の短編が予想以上に長くなり、間に合わない&たぶん文字数規定違反(上限ありましたよね?)の二重苦です。
が、書きかけていたぶん、このまま不参加になるのもちょっと悔しい。ということで、自分が推された…ような気がした話を、とりあえず保険として一本投げてみます。
私、わりと濃く合唱をやっていました。西洋音楽の古いところから現代の合唱曲まで幅広く歌う団で、団員にはプロも。私はその中で、2名とか3名とかの少人数で歌う重唱曲があれば、時々歌わせてもらえるかな…といった立ち位置でした。別に声量があるわけでもなく美声でもないのですが、ただ人に音程や表現を沿わせるのだけはわりと上手かったんで、いわば「乳化剤」として投入されていた感じです。歌い手が個性を出しすぎると、重唱ってとっちらかってしまいますんで。
あるコンサートのあと。
楽屋に来てくれた知人友人とひとしきり語り、彼女らが帰るのを見送っている私に、声をかけてきた方がおりました。
「おお、あなた。重唱で歌っていた方ですよね」
ご年配の男性です。私は面識のない方です。たぶんこの方も誰かの知り合いで、楽屋まで話しに来たところ、たまたま私がいたので話しかけてくれたのだ……と思ったのですが、なんと彼、目をキラキラさせてこっちを見ています。
「会えて良かったなあ! あなたのことね、実は気になっていたんですよ。重唱よかったですよ」
「あ…、ありがとうございます」
ぽつぽつ会話をかわしていると、彼の腕をつつくようにして、すっと横に並んだ女性がおりました。「お声掛けしたの?」「そうそう」、視線を交わして軽くささやきあう雰囲気からして、奥さんのようです。彼女はにっこり笑ってこちらを見ると、言いました。
「あのね。うちの夫がね、あなたの歌うのをきいて聖母みたいって」
……えっ?
美しい単語をきいて、足元がふわっとしました。
聖母。聖母というと聖母? 神様のママ?
優しく気高いお方なのですよね。当然ながらお声も馥郁と優しくお美しいことでしょう。
え、やだ、私の歌声ったらそんなイメージ? わあ、うそうそ、そんな。それでわざわざ話しかけてくださった? 地味な乳化剤の私にもまさかのファンができちゃった? わー恥ずかしい、わーどうしよう……
「そ、そんな、……」
私は内心の舞い上がりとくねくねする身体を全力で押さえつけました。
「そんな、聖母だなんて、とんでもない」
「いやいや、聖母ですよ。本当に」
「そんなこと言われたの初めてで」
「そうですか? ほら、あの、ラファエロとかの。似てますよ」
……。
理解するまでにちょっぴりお時間いただきました。
ああ。あれですか。要するに、西洋絵画の人に似てるってことですか。
ええ、まあね、確かに絵に少し興味ある人には、ちょこちょこ言われることがありましたよ。やれマリアテレジアだのエカテリーナ女帝だの。どうもね、眠たい二重で顔が長めな肖像画の女の人がですね、なんか似た雰囲気らしいんですよ。
聖母は新キャラでしたけどね……。
この話をなんと言っておさめたのか覚えてないんですが、たぶん無難に「ありがとうございます…」とでも言ったんでしょう。まあ、軽く落胆してもそこはお礼です。若かりし頃ではありましたが大人は大人でしたから。おお、アヴェ・マリア。サンクタ・マリア。
もしかして推されたのかと思ったら推しじゃなかった、めでたいお話でした。
推されたと思ったけど推されてなかった話 岡本紗矢子 @sayako-o
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます