完璧な飲み物

猿川西瓜

お題 推し活

 ライブが終わって眠りこけるギタリストの顔を3時間、4時間と私は眺め続けていた。

 すやすやと眠る彼の顔は、美しくもなく、イケメンでもない。中肉中背で、ひげ面。私よりは背は高いけれども、男として魅力的というわけでもない。本人は「抱いた女の数だけ曲を作っている」と私の前でイキっていたけれども。


 私はライブハウスの二階にいた。一階がバーになっていて、ライブは二階で開催された。こじんまりとした、二〇人も入ればいっぱいになる空間だった。床は木でできていて、歩くとギシギシ鳴った。暖房が強く効いていたけれど、私はコートを着たまま聴いた。コートを脱いで、偉そうな客でいたくない。私とギタリストの彼との一対一の勝負のつもりで向き合いたかった。


 彼はクラシックギターを弾きながら、どこか懐かしいまでの古典的な恋愛の歌を唱う。そのうえで最新の機材を組み合わせて技巧をこらした演奏をする所に、私は魅了された。彼のライブは月3で聴きに行き続けていて、演奏が終わる度に感想を伝えた。顔はすっかり覚えられていた。演奏を終えて、お酒を飲んで、疲れて二階のソファーで眠る彼の顔を眺め、朝まで見続けようと思った。


 ああ。


 今、ナイフを刺せば……。


 指を切り取れば、彼は哀しみ、音楽と更に強く向き合うことになるだろうな……。


 苦しめば良い味の肉になるような。そんな動物ではないだろうか、人間は。


「ハサミ、あるかな……」

 私も少しお酒が入っていたので、思わず口から言葉がこぼれた。

 ナイフがなくても、ハサミなら、バーテンのおじさんは貸してくれそうだ。


 下の階に降りると、首や手にタトゥーをこらした女が話しかけてきた。

「はいこれ、ウーロンハイ。あまったんで」

 あまったウーロンハイを躊躇なく飲み干す。

「ありがとうございます」

 タトゥーの女はキョトンとした顔をしていた。

 まさか薬でも入っていたのだろうか。

 警戒していると、「へ~、いや、まあええけど」と彼女は言った。

「ここ席あいてるから、すわりーや」

 バーテンが私に、「この子、ナヲちゃん。オは『わおんのヲ』ね」と言った。

「いや、はずいから」

 ナヲは苦笑しながら、モヒートをクビクビ飲んでいた。


 ナヲは金髪に、紫色のアクセントを入れた髪色をしていた。ワンレンで、モヒートを傾ける度に、髪を耳にかけるように手を動かした。

「コート、脱いだら」とナヲは言った。ナヲは爪先も、服も、ゴシックパンクで全部が統一されていた。がっつりじゃなくて、よく見ると洗練された着方をしている。たぶん、神経質で、几帳面で、かつ優しい人なんだろうと思った。

 私はコートを脱いで、近くのハンガーにかけた。

「Tのライブのとき、ずっとコート着たまま突っ立ってたでしょ。上でTは寝てた?」

「寝てましたね。ぐっすり」

 私も同じモヒートを頼んだ。モヒートは口の中がすっきりする。そして適度に酔える。見た目も悪くない。完璧な飲み物だ。

「あ、ハサミいただけませんか」

 バーテンが、引きだしからハサミを取り出して私の注文したモヒートと一緒に置いた。

 私は袖のほつれた糸を切って、元の位置には戻さずに、すぐポケットに入れやすいように近くに置いた。バーテンの男は、他の客相手に忙しく立ち回っていた。ハサミを貸したことなんて、すでに忘れてしまっているのかも知れない。

 糸くずをティッシュにくるんでカバンに入れた。

 ナヲは私の動きをじっと見ていた。


「Tのライブでよく見かけてたよ。この前も来ていたよね」

「この前って……」

「心斎橋の、クラッパーでのライブ」

「あー、行きましたね」

 クラッパーというライブハウスは入場料を払うとドリンクチケットを5枚ももらえる所で、人をアルコールで潰すことばかり考えられた場所である。

「一番前で同じコート着てた」

「そうなんです」

「私なんて、毎回服変えてるのに」

「すごい……」

 変えてるのに、と言ってから、ちょっと笑うナヲに、少しだけ親しみがわいた。

「男なんて、たぶん服を毎回替えても全然気が付かないんだよ。でも、あんまり服に主張が強すぎると、他のファンの子に肘鉄食らわされるからしないの」

「Tのファンってそんな子いないんじゃない」

「いや、別の人のライブ。私、Tのファンじゃないよ。『大佐』が好きなの」

 『大佐』とは、不気味なテクノ音楽に乗せて、パラパラ見たいなダンスを踊りながら、白塗りの顔で、丸尾末広みたいな軍服着て踊るネオビジュアルバンドみたいな人物だ。いろんな界隈がある。

「大佐はファンが凶暴だから、前のほうには行けないの。固められている。私みたいな底辺ファンは一番後列で踊るの」

 腕を伸ばして、両手をパッと広げて、ナヲは棚に並んでいるウイスキーの瓶を睨み付けるようにしながら、くねくね身体を揺らせた。

「うまいですね」

「これをファンのみんなが一斉にするの。面白いよ」

「へ~」

 私はモヒートを口に含もうとした時、ナヲは言った。

「Tのこと好きなん?」

 私は言葉に詰まった。

「いや、好きというわけでは……」


「だって、そのハサミ。ハサミ、絶対、糸切りのつもりじゃないよね。だって、私、糸切りハサミもってるし、あなたも、きっと持ってるでしょ」

「……」

「なんで、ハサミをもらったのかな~って。それが全然わかんないんだよね。Tのファンであることはすごくわかる。けれども、二階から降りてきて、ハサミっていうのがぜんぜんわかんない」

「私、糸切りハサミ持ってないんです」

「ああ、そう……」

 ナヲは大騒ぎのバーカウンターのなかで、一番静かな顔をしていた。

「あのTってさ。もういい年齢なんだよね」

「知ってますよ。29歳でしょ」

「知ってんのかい」

 ナヲは鼻で笑った。それは悪意あるものではなかった。ナヲは少し面長だった。身体は痩せていて、健康そうにはみえなかった。

 たぶん、ナヲは、Tの彼女なのかもしれない、と私は思った。

「Tさんって、普段は何されてるんでしょう」

「さあ……ローソンでバイトしてた時期もあったみたいだけど……」

 急に口ごもりはじめてナヲは「私もローソンでバイトしてたけど、おかしな客がいて……」と話をそらしはじめた。

「T、ローソンでバイトしてたんですか!」

 私はあえてそこに食いついた。

「めちゃくちゃ見たい……買いに行くと、ローソンでバイトしてるの見られるの、Tはショックだろうから、変装して観に行きたい……」


「リーウスさんどこ?」と遠くから男の声。

 リーウスとは、今日のライブでTの横でパーカッションを担当していた男だ。同じく中肉中背だ。

「階段で寝てる。凍死しないかな」

「めちゃくちゃ着込んでるし、大丈夫でしょ。雪国でもないし、そこまで夜はまだ冷えないよ」

 バーカンで男同士の適当の会話と、空き缶を蹴り飛ばしたみたいな嬌声が混じる。


 ナヲはTのことを話すと、ふっと暗くなるのだった。

「あの、すみません。実は、私、Tのファン過ぎて、一番良い演奏をした今日、指を切り落とそうと思ってハサミをもらったんです」

 私はナヲに素直に言った。

「切るんだ……」

「Tさんの恋人ですよね。ナヲさん」

「え、あ、はい。そうですけど」

「ファンの子とかって、どう思いますか?」

「別にいいんじゃないと思うけど、ミュージシャンと付き合っちゃいけない理由はよくわかった」

 二人で笑った。

「じゃあ、やっていいですか?」

「ギターの弦で勘弁してくれないかな」

「弦はハサミで切れなさそう」

 モヒートは二人同時になくなった。同時におかわりを注文する。キャッシュオンなので七〇〇円がぽんぽんとバーテンの手に消えていく。

「指切るだけじゃたりなくない?」

 割りと酔いが回ってきたのか、私もナヲも、会話が極端になっていく。

「心臓、心臓取り出そうよ。ハサミで太い血管切り取って」

 ナヲのほうがわりと大胆なことを言ってきた。

「ノコギリさあ。このバーにあるんだよね。だから、ノコギリで肋骨を取り除かないといけない」

「白塗りして軍服着て踊る男を好きな女子は、血や内臓などを好む傾向にある、と聖書にも書いてある」

「なんだとぉ」

 二人とも酔いが回りすぎて、まともな会話ができなくなってきた。

 すると上からTが降りてきた。ナヲの背がしゃんとした。

「先に帰っとくわ」

「あ、私も行くよ」

「めっちゃ酔ってるな」


 私はその数秒の会話で、急にハサミで殺すことも、彼のギターも、どこか靄がかかったかのように見えなくなり、沈んでいく感じがした。

 ナヲとTはそのまますぐに出て行ってしまった。何人かに見送られて、Tは握手とかされていた。私はTの背中がいつの間にか、父や母や、友人や他人のようであり、決して『Tそのもの』ではなかったことに気が付いた。


 私は、モヒートの底にたまった、溶けた氷を喉の奥に流し込んだ。

 それから、コートを着て、外に出た。出口を出た所近くの小さな階段に、一人の男が眠っていた。リーウスさんだ。酒を抱えたまま、死んだように眠っている。起こさないように、ぶつからないように、ジャンプして降りると、私はバランスを崩して道路に転がった。

 起き上がると、私は身体中をまさぐった。

 痛いわけではなく、ハサミだ。

 ハサミが自分に刺さったんじゃないかと、自分で自分を抱き締めるようにして動いた。

 お尻の辺りも触る。

 ポケット。マフラーのあたりで首に手をやる。

 けれど、ハサミはなく、バーカウンターに置いてきたままだとようやく思い出し、ホッとする。

 立ち上がってから、寝顔のままのリーウスを見下ろす。推しではないので、何時間も見ていようとは思わない。もうすぐ始発電車の時間だ。リーウスは決して寒そうに見えなかった。それでも、外で寝るのは危険だ。凍死の可能性だってゼロじゃない。

 何度か揺さぶってみた。起きる気配が一つもない。

 パンチで顔を殴っても、いびきをかき続けたままだった。私は、ついついまた考える。


 ハサミを使えば、起こせるかなぁ……。




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