推し活やめますか、それとも人生やめますか

千石綾子

推し活やめますか、それとも人生やめますか

 いつもの喫茶店のボックス席で、ヒロシは食べつくしたパフェのグラスの底をじっと見つめている。

 水風船みたいにぷくぷくとした右手に持った長いスプーンで、底に残った溶けたアイスクリームをつつきながらぼそりと呟いた。


「僕、もうライブに行くのはやめにしようと思うんだ。グッズ買ったりするのも……」


 食べていたカルボナーラを吹きそうになったノリアキが、盛大にむせた。


「はぁ? 何言ってんだよ。俺達から推し活取ったら何が残るんだよ!」


 息を整えてから、前のめりになってヒロシに詰め寄る。周りの目が気になり、途中から小声になっていた。


「俺は七海ななみちゃん担当、お前が海穂みほちゃん担当。そうやってずっとずっと、結成直後から推してきたんじゃないか」


「分かってる、分かってるよ。でも、親が……」


 ヒロシは顔を歪ませる。


「親が、推し活よりも婚活に時間とお金を使え、って……」


 ぽろりとその目から涙がこぼれ、大きなため息が出る。


「そんなこと今までも散々言われてきたじゃないか。自分で稼いだ金をどう使おうと親に四の五の言われる筋合いはないって、お前言ってただろ!」

「そうだけど……この前の法事で親戚一同が集まった時にさ、馬鹿にされたのが物凄く恥ずかしかったって、親が言うんだよ」


 遂にヒロシはおんおんと子供のように泣き始めた。ノリアキももう周りの目など気にしていないようだ。

 

「親戚だ親だと……お前の愛は、海穂ちゃんへの愛はそんなもんに負けちまう程度なのかよ! 推しのためなら命もかける。そうじゃないのかヒロシ! 推しの歌声で目が覚めて、起きれば部屋中推しのグッズに囲まれて、朝から晩まで推しの事を考えては尊いと胸を熱くする。コンビニに一番くじが出れば行ってラストワン賞まで粘り、オンラインライブがあればチケット10枚買い込んで友人に布教する。そういう推し活人おしかつびとで俺たちはありたい。そうじゃないのか?」


 ノリアキの叫びが喫茶店に響き渡り、誰もが息を飲んで二人のやり取りを見守っていた。

 ヒロシは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭い、唇を噛んで首を横に振った。


「ごめんノリ。僕……一生独身は耐えられないよ……」


 ヒロシがうなだれ、ノリアキはかっと目を見開いた。


「──もういい。分かった。俺達の友情もこれまでだ」

「ノリ……」

「いいから行けよ。二度と顔を見せるな」

「でも……」

「行けったら!!」


 ノリアキの勢いに押されて、ヒロシは席を立った。そうして二人分の会計を済ませると、何度か振り返りながら店を後にした。

 それから二人が連絡を取り合う事はなかった。





 そして数ヵ月後。

 ノリアキは相変わらず推し活に精を出し、今日もライブで全力で応援していた。新しいアルバムも出たばかりでオリコンチャート6位。インディーズ時代から応援してきたノリアキにとっては夢のようだ。このまま行けば紅白出場も夢じゃない。ここまで推してきた甲斐があるというものだ。にわかファンには負けない絆が自分にはある。そうノリアキは想いをかみしめた。


 ふっ、と突然会場のライトが暗くなった。何の演出だろうと会場のファンたちはかすかにざわめく。

 スポットライトを浴びて立っているのは、ノリアキの推しの七海ななみだ。マイクを持って微笑んでいる。


「いつも応援ありがとう。今日は皆さんにご報告があります」


 まさか本当に紅白に……? とノリアキの胸は高鳴った。


「──私、工藤七海くどうななみは芸能界を引退して、結婚します!」


 阿鼻叫喚。

 そしてそのざわめき、叫びさえも耳に入って来ないのがノリアキその人だ。


「うそだあああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」


 もう、涙も出なかった。真っ白に燃え尽きてその場に崩れ落ちるだけだった。

 こうしてノリアキの推し活は一方的に終わりを告げたのだ。




 それから更に数週間後のこと。

 コンビニで夕飯を買おうと自動ドアをくぐろうとして、出てくる客にぶつかった。


 水風船みたいにぽよんとしたその男は、ヒロシだった。


「ノリ、久しぶり」


 ちょっと緊張気味なヒロシ。思いがけない再会に驚き言葉が出ないノリアキ。二人は黙って見つめ合った。傷つく前に自ら推し活をやめた旧友。うらやましくなんかない。自分はやり切った。最後まで応援し続けた。ノリアキは自分にそう言い聞かせる。


「よ、よう。元気みたいだな」


 ノリアキは憔悴しきった顔を見られないようにうつむいたまま答えた。


「うん、あの、さ。実は……ええと」


 ヒロシは何やら歯切れが悪い。


「ノリに言わなくちゃいけないんだけど……その……」


 歯切れが悪いヒロシにイラついて、ノリアキは顔を上げて睨みつけた。するとそこに……。


「ヒロ君、お待たせー」


 聞きなれた声。信じられなかった。コンビニから小走りに出てきてヒロシの腕にしがみついたのは……。


「七海ちゃん──?」


 呆然とするノリアキに、申し訳なさそうにヒロシが言う。


「ほら、僕あれからずっと婚活イベントをハシゴしまくってたんだけど。たまたまそこに彼女が居てさ……」

「私ね、アイドルやってたけど結婚願望が強くって。そこでヒロ君と意気投合しちゃってぇ」


 てへっ、とあざとく笑って見せる七海。そんな七海の笑みがノリアキは大好きだった。


「何で七海ちゃんなんだよ! お前の推しは海穂みほちゃんだっただろ?!」

「推し活と婚活だと、相手に求めるものが違ったんだよなあ」

「ノリアキ君、昔からいつも応援有り難うございました。これからはお友達として、宜しくお願いしまぁす!」


 またもやあざとくにっこりと笑みを浮かべお辞儀する七海。


「こ、こちらこそ改めて宜しくお願いします!」


 アイドルとしての七海を失った彼だが、ものは考えようだ。ただの一ファンから、お友達というジョブにランクアップしたと思えばいい。

 思わず全身でお辞儀を返しながら、ノリアキは目の前のカップルの結婚式にいくら課金しようか、貯金の残額を思い出そうとしていた。


 


                  了


(お題:推し活)

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