僕のイヴェ録

隠井 迅

はじまりは雪まつり


 〈イヴェ〉というイヴェンター・ネームで〈推し活〉をしている、僕、佐藤冬人(ふゆひと)が、アニソンのイヴェンターになってから早いもので二年が経ってしまった。

 そんな僕が〈推し活〉を始めたきっかけは、忘れもしない、感染症のパンデミック直前の、令和二年の建国記念日の二月十一日火曜日の事であった。

 当時の僕は高三で、未だ地元の札幌に住んでいたんだけれど、毎日のように、大通り公園で開かれている「さっぽろ雪まつり」に足を運んでいたんだ。

 というのも、雪まつりの十一丁目会場のステージにて、FM放送局の生放送と、その放送終了後に、三十分間、アニメ・ソングのスペシャル・ライヴが催されていたからなんだ。


 僕は、いわゆる一つの〈二次ヲタ〉ってヤツで、つまり、小説、漫画、アニメ、ゲームといったヲタク趣味の持ち主なんだけれど、中でも特に好きなのが、アニメ・ソングで、さらに言うと、アニメ・ソングを専門にしている歌手が歌う楽曲こそが、僕の趣味にバッチリと合っていたんだ。

 実を言うと、僕の地元の北海道は、数多くのアニメ・ソング専門の歌い手、いわゆる、〈アニソン・シンガー〉を生んでいて、ぶっちゃけて言うと、地元意識っていうのも、僕がアニソン・シンガーに興味を抱いた理由の一つだったんだけどね。

 でも残念ながら、受験勉強もあって、高三の僕は、二年前の雪まつりまでは、〈一度〉たりとも、〈生〉でアニソンを聴いたことがなかったんだ。


 でも、でも、だよ。

 さっぽろ雪まつりでは、ほぼ毎日、アニソン・シンガーのミニ・ライヴが、しかも無料で開催されていたんだ。

 ライヴに無料で参加できる、そんな絶好のチャンスを逃がす道理なんてなくなくないじゃないですかっ!

 高三の二月だったんで、もう学校もなかったし、だから僕は、毎日、大通り十一丁目会場に通っていたんだ。


「あああぁぁぁ~~~、生で聴くアニソン最っ高うううぅぅぅ~~~」

 そして、こんなLINEを、連日、東京にいる兄・秋人(あきひと)に送りつけてもいたんだ。


 雪まつりの初日はさ、ラジオの生放送が始まる十五分くらい前に会場に到着し、とにかく、〈生〉で歌が聴ければ、それだけで十分だって思っていたんだけれど、日を追うごとに、少しでも良い位置で観たいって欲が、僕にも出て来て、日に日に、僕の到着時刻も早まっていったんだ。

 その結果わかったのは、公開生放送開始の一時間前に会場に到着すれば、二列目、運が良い時には、端っこでも最前列を取ることができて、リハーサルを観る事ができるって事なんだ。


 こんな風に、至近距離から大好きなアニソン・シンガーの歌唱を味わえる毎日は、僕にとって、まさに夢のような時間だったね。


 その時、もう一つ楽しみだったのが、ミニ・ライヴが終わった後の記念撮影だったんだ。

 つまり、さ、毎回、運営が、演者と観客の写真を撮って、それを、SNSにアップしていたんだけれど、家に帰ってから、その記念写真を眺めるのが習慣になっていたんだよね。


 で、その時、気になった事があったんだ。

 毎回、四十歳位のおじさんが最前列に写っていたんだよね。


 雪まつりの十一丁目の公開生放送とミニ・ライヴって、午後の三時から四時にかけて開かれていたんだ。

 つまり、さ。〈最推(さいおし)〉が出演する当日だけならば、例えば、平日に有給を取って、観に来ている社会人もいたかもしれない。

 でも、そのおじさんは、一日や二日とかじゃなくって、毎日、しかも、毎回、最前列で写っていたんだ。


 仕事はどうしているの?

 最前列って何時から並んでいるの? 


 僕の内で疑問が次々と湧き上がってきて、僕は、いつしか、その毎回最前列で陣取るおじさんのことが気になって気になって仕方がなくなってしまっていた。

 で、僕は密かにその人のことを〈最前さん〉と呼ぶことにしたんだ。


 雪まつりの最終日、僕が会場に到着したのは、イヴェント開始の二時間前の午後一時頃だったんだけれど、その時には既に、〈最前さん〉は、当然の如く、最前の、しかも、ど真ん中で陣取っていたんだ。


 その最終日に公開生放送に出演し、ミニ・ライヴをするアニソン・シンガーってのは、その数日前に、〈ヒヤアニ!〉っていう、関東で開催されたアニソン・フェスにおいて、大ヒットアニメ『剣技イン・ザ・ネット』の最終クールのオープニングを務めることが発表された、人気急上昇中の若手シンガーで、実を言うと、今の僕の〈最推〉で、当時から彼女〈LiONa(リオナ)〉の事が気になっていた二年前の僕は、雪まつり開催期間の一週間の中で最も早い時刻に会場に行ったんだ。

 ちなみに、開始二時間前でも、僕は、最前列をとることが出来なかったんだけれど、今なら、高三の僕に、こう言ってやりたい、「甘い」って。


 まあ、当時の僕の考え方は分かる。

 二月の北海道において、三時間も屋外に居るなんて、通常では考え難い異常行動なんだよ。

 だから、僕は思ったんだ。

 一体全体、〈最前さん〉は何時に会場に到着してんだっ!?


 僕は、〈最前さん〉のすぐ後に陣取ったんだけど、〈最前さん〉は、隣に並んでいる初老の方と親しげに話し込んでいたんで、不躾とは思いつつも、僕は二人の会話に聞き耳をたててしまった。

 そして分かった事は、〈最前さん〉は、道民ではなく東京から来ている〈遠征民〉で、LiONaのパフォーマンスを、今回の雪まつりの中で最も楽しみにしていたらしいんだ。

 御二方は、最前ど真ん中、二人はこの位置を「ドセン」と呼んでいたのだけれど、二人は、そのドセンを取るために、なんとだよ、十時前には既に、会場に来ていたらしいんだ。

 それでも、LiONaは〈最推〉ではないので、十時ってのは〈最前さん〉にとっては、ちょっと気合に欠けた遅い到着だそうなんだ。

 実は、〈最前さん〉の〈最推〉は、札幌在住の〈真城綾乃(ましろ・あやの)〉さんで、結局、〈あやのん〉は、その時の雪まつりには出演しなかったんだけれど、〈最前さん〉は、あやのんの雪まつり出演を〈警戒〉して、北海道に来たそうなんだ。だけど、結局、その予想は外れてしまったらしいんだ。

 御二方の会話内容のどれもこれもが、雪まつりがアニソン初〈現場〉の当時の自分、いや、今の僕にとっても、まったくもって、驚天動地なことばかりだったんだよね。


 そして——

 その当時、最も驚いたのは、公開生放送が終わり、ミニ・ライヴが始まる直前の事だったんだけれど、最前ドセンを陣取っていた五名が、いきなり上着を脱ぎ出した事だった。

 もちろん。さすがに素肌にTシャツではなく、例えば、パーカーなど、長袖をインナーにし、その上に、LiONaの名が入った半袖のTシャツを着ていた分けなんだけれど、それでもやっぱり、氷点下の気温の中で上着を脱ぐなんて、あり得んって、高三の僕は思ったんだ。

 周囲を見回してみても、そんな暴挙に及んでいる観客など一人としていなかったしね。

 しかも、だよ。

 クラップの音が鈍るって理由から、〈最前さん〉達は手袋も脱いでいたんだよ。


 上着を着ていない〈最前さん〉達は、ライヴが始まるまでの僅かな時間、身体をぶつけ合う〈おし〉くらまんじゅうをして、身体を温めようとしていたんだ。

 やがて、簡単な紹介をした後で、司会の方が、LiONaさんを呼び込んだ。

 すると、アーティストがステージに現れる直前に、ドセンの〈最前さん〉は、手を一拍叩いて、「今日も、〈現場〉つくっぞっ!」と小さくはあったが、力強く周りに声を掛けたんだよね。


 LiONaさんの生歌唱は圧巻で、未だ高校生だった僕は、文字通り、語彙力を失ってしまった。

 当時の日記を読み返してみると、こんな風に書いていた。

 ちょっと恥ずかしいけど、読み上げてみよう。


 氷点下の屋外に、LiONaの透き通った声が高らかに響き渡り、その強い歌声は、観客の身体の中に染み込んでゆくようであった。しかも、その一人一人に御歌が届くように、観客の目を見つめながら、LiONaは歌うのだ。

 その歌唱中、何度も演者と目が合ったように、二列目に居た僕には感じられた。

 そして——

 僕はとろけてしまったんだ。


 なんか、カッコつけてたね。


 で、凄かったのは、LiONaさんだけじゃなくって、最前ドセンのイヴェンター達の〈推し活〉だったんだよ。

 一般的に知られている、いわゆる「オタ芸」をしたり、ペンライトを単調に振っている人は一人もいなくて、最前の動きは、手を振るだけの応援行為だったんだけど、その手振りが、まるでバック・バンドさながらに、曲のリズムやメロディーとピタリ合致していたんだ。

 そして、LiONaさんが歌っている最中に、半端な手拍子を入れ続けるような事もせずに、あくまでも、LiONaさんの御歌を妨げないようなタイミングで、可変リズムのクラップを入れたり、全員が同じタイミングで、コールを入れたりしていた。

 その〈一体感〉こそが、真の〈ヲタ芸〉なのかもって、僕は思ってしまったんだ。

 

 最初のうちこそは、ライヴで盛り上がっていたのは、彼ら最前ドセン組だけで、その過度な〈ガチっぷり〉を嘲るような雰囲気が、実は少し漂っていたんだ。

 でも、最前ドセンの〈熱量〉が周りに拡がっていって、いつの間にか、西十一丁目の会場全体を巻き込んだものになっていたんだよ。


 もしかして、〈最前さん〉が開始前に言っていた、〈現場〉をつくるってこういうことなのかもって、僕は思った。

 そうした〈最前さん〉達が、演者と一緒になって、ステージを〈盛り上げ〉て、その熱を周りに波及させるような〈推し活〉、その光景に僕は魂の震えを覚えたんだよ。

 

 まさにこの瞬間だったんだ。


 上京したら、絶対に〈現場〉に行って、アニソンの〈推し活〉をしようって、僕が決意をしたのは。

 

                           〈了〉


注:この物語は虚構であり、たとえモデルがあるにせよ、作品中に登場する人物、団体、名称等は架空存在であり、実在する方々とは無関係でございます。

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