一ノ瀬部長はひっそりとドルオタを続けたい

水涸 木犀

Ⅱ一ノ瀬部長はひっそりとドルオタを続けたい[theme2:推し活]

 おなじみになったVRセットを頭に装着し、わたしは小さくため息をついた。


 わたしの隣には同じVRセットを装着した「堅物眼鏡」こと伍代剛史ごだいつよしが座っている。

 伍代は開発中の乙女ゲーム「職場での出会いは突然に」のバグにより、システムから抜けられなくなってしまった。彼が安全にログアウトできるようにするためには、わたしがゲームをクリアする必要がある、らしい。そうと決まれば、さっさと誰かを攻略するに限る。


 攻略対象キャラによって、シナリオの長さが異なるので、最も攻略ルートが短いという「一ノ瀬部長ルート」を攻めることに決めた。


 一ノ瀬部長は、ゲーム内で主人公の上司にあたる。

 このゲームは予算不足で、実際のわが社……ハクビ社のオフィスや人物をモデルにしているというから、一ノ瀬部長はおそらく、開発メンバーである弥生の上司がモデルだろう。彼とはあまり接点が無いのも、わたしにとって好都合だ。攻略対象キャラのモデルが、実際によく知っている人物だと正直攻略しづらい。


 主人公(わたしの本名、「サツキ」と名付けた)の直属の上司だから、接点は多い。職場での日常会話は無難な選択肢を選びながらサクサクと進め、イベントが発生しそうな「飲み会」までこぎつけた。


『宇賀さん、いいペースです! もう半分以上進んでますよ』

「了解。それを聞いて安心したよ」

 わたしの視界の左上に開発者向けの黒いウィンドウが開き、わたしの攻略をゲーム外から見守る同期の弥生からチャットが飛んでくる。


 飲み会も進み、月並みな会話をしていると右側のポップアップに、意味ありげな選択肢が表示された。

『ビールを注文しますか?

 ①ジョッキで頼む ②グラスで頼む ③頼まない』

「これ、絶対分岐でしょ……」


 開発チームはわたしにしっかり攻略をさせたいらしく、選択肢を選ぶヒントを与えてはくれない。しばらく考えて、①を選択した。普段なら絶対に選ばない択だが、なんとなくこの後酔っぱらって上司に介抱される流れな気がしたのだ。


 思った通り、大ジョッキをハイペースで空けた主人公サツキは酔いが回り、千鳥足になる。プレイしているわたしも身体がふらつく感覚になるのだから、VR機能はよくできている。


『一ノ瀬部長、こいつを送ってやってくれますか。一人で帰すのはちょっと不安で』

『……わかった。責任をもって送り届けよう』

 同僚と一ノ瀬部長の会話の後、二人でタクシーに乗る場面へと移る。一ノ瀬部長の横顔を眺めていると、彼が声をかけてきた。


『お前、自宅はどこだったか?

 ①わかりません ②部長の家のほうが近いです ③三丁目です』

「またこれ分岐じゃん……」


 露骨な選択肢が出てきて、顔をしかめる。良識あるキャリアウーマンなら、選ぶべきは間違いなく③だ。しかしこれは相手を攻略するのが目的の乙女ゲームだ。正解は①か②だろう。

 一ノ瀬部長は今までのやり取りから、やや奥手な印象を受けた。②だとあからさますぎて引いてしまうだろう。ならば、選ぶべきは①。


『わかりません……』

『わかりません、ってお前……会社の飲み会で前後不覚に飲むほど、嫌なことでもあったのか?』

『すこし、仕事が煮詰まっていて……』


 よくある仕事の悩みを、主人公サツキも抱えている。それを吐露すると、一ノ瀬部長の表情は困惑から真面目なものに変わった。

『職場の悩みは、お前が一人で抱える必要はない。俺じゃあ力不足かもしれないが、話を聞くくらいはできるぞ』

 彼は気づかわしげな雰囲気を醸し出しつつ、運転手に自宅の住所を告げた。

『俺の家で悪いが、誓って何もしないと約束する。上司が部下の悩みを聞くだけだ。余計な人目が無いほうが、言いたいことも言えるだろう』


 ――そんな上司、危なすぎるでしょう――

 とわたしは脳内で突っ込みを入れる。不用意な言葉を口にすると攻略に影響する可能性がある。だからわたしは、できる限り口に出さずに頭の中でぼやくしかないのだ。

「この一ノ瀬部長、いい上司を装っているが自宅に異性の部下を連れ込もうとしているんだろう? いい上司とはいえないんじゃないのか」

 しかし、わたしのすぐ隣で会話を聞いている伍代が、容赦のない突っ込みを入れてくる。

 どうやら彼はあくまで“開発者モード”でログインしているていらしく、彼の存在や会話はゲーム内のキャラに認知されない。ゆえに思ったことも言いたい放題なのだが、こちらはうかつに返事をするわけにいかない。一方的な言葉の洪水に、わたしは伍代を睨みつけるだけにとどめた。


『伍代さん。宇賀さんに話しかけても返答はできませんよ。今はもう、分岐ルートに入っているので宇賀さんはうかつに話ができません』

「わかっている。ひとりごとだ。優しそうなふりをして女性に近づく男は不愉快だと思っただけだ」

 弥生がいいタイミングでフォローをしてくれるが、伍代の機嫌は直らない。しかしわたしが「不愉快な」一ノ瀬部長を攻略しようとしているのは伍代をログアウトさせるためである。そこは理解しているのか、不快そうな表情を浮かべつつもそれ以上不平不満をこぼすことはなかった。


『ここだ。清算を済ませるから、一旦外で待っていてくれ』

 一ノ瀬部長のアパートは、想像よりずっと大きかった。オートロック完備の共有スペースを抜け、エレベーターで3Fへと上がる。彼が鍵を開けると、主人公サツキは肩を押されるようにして中に入った。

 入ってすぐ正面がリビング兼ダイニング、そこに向かう廊下の両側に扉が3つ。1つはトイレ兼バスルームと思われるが、生活用の部屋がリビング含め3部屋もある、一人暮らしの男性には十分すぎるほどの広い家だった。


『①広いですね ②綺麗にされていますね ③ものが少ないですね』

 わたしの感想通りの選択肢が出てきたので、迷わず①を選ぶ。主人公をリビングのソファまで誘導した一ノ瀬部長は、キッチンに移動しながら苦笑を浮かべる。


『元々は二人暮らしだったからな。……妻に逃げられて、今では悠々自適な一人暮らしだが』

「バツイチなのか」

 聞き捨てならないワードが出た。伍代も即座に反応する。これは今後のストーリー展開に影響しそうだと思いつつ、周囲を見回す。


『あの、お手洗い行ってもいいですか。みんなの前だと、言い出しづらくて』

 他の部屋も見て回りたくてそういうと、一ノ瀬部長は冷蔵庫からお茶を出しながら振り返った。

『一人で立てるか……大丈夫そうだな。トイレは向かって左手の、玄関に近い扉だ』

『はい』


 わたしは頷きつつ、別の部屋を見回る気満々だ。一番最初にトイレの扉を開けるとストーリーが進んでしまうだろうから、まずは右手の一番大きそうな部屋。こちらには大きなベッドがひとつと勉強机が置かれていた。

『そこは、俺の寝室だ……さすがに泊まっていくのはまずいだろうから、話を聞いて酔いが冷めてきたら、家の近くまで送る』

 と部長の声。


 一人暮らしにしては広すぎる寝室に、やはり奥さんと住んでいたのだろうな、と感じる。それ以上話が進む気配が無いので、今度は左手の、リビングに近いほうの扉を開ける。と、明るいオレンジ色のモノたちで覆いつくされていた。

『おい、その部屋は……! 酔っ払いに自力で歩かせようとした、俺にも非はあるか』

 慌てた様子で走ってきた一ノ瀬部長は、主人公サツキの肩に手を置いて部屋から引き剝がす。しかし扉が閉じるまでの間に、オレンジ色の衣装で身を固めた女の子のグッズが部屋を覆いつくしていることは、否応なしに理解できた。


「ドルオタか……」

 堅物眼鏡のくせに、そういう用語は知っているのだな、と思いつつわたしは冷静に現状を理解しようと努める。主人公サツキは元いたリビングのソファまで押し戻され、冷たい麦茶を渡された。L字型ソファの横に座った一ノ瀬部長は、気まずそうな顔で主人公サツキのほうを見る。


『引いた、よな……。うかつに家に上げた俺が言えたことじゃないが、ここだけの秘密にしておいてもらえるか』

『わかりました。けど、そんなに隠すようなことでしょうか? アイドル好きな男性って、珍しくもないとおもいますけど』

 冷静になる前に、思ったことをそのまま口に出してしまった。彼はわずかにうつむく。


『妻が……いや元妻が、あまり理解が無くてな。ライブで購入した限定グッズを捨てられて、大喧嘩になった。『チャコと私、どっちが大事なの!』と言われて……それがきっかけで、離縁したんだ』

「価値観の違い、か。まあ賢明な判断だろうな」

 さきほどからいちいち的確な突っ込みを入れていく堅物眼鏡を視線で黙らせ――攻略の気が散って仕方がない――、わたしは最適な答えを考える。


『①素敵な趣味だと思います ②それは……大変でしたね ③個人の自由ですよね』

「ここで、選択肢が来るのか……」

 アイドルオタクが悪いとは全く思わないが、「素敵な趣味」と返すのはかえって嫌味な気がする。②は同情しているだけで引いているのが見え見えだ。ならばと③を選ぶ。


『でもそれって、個人の自由ですよね』

 はっと顔をあげる一ノ瀬部長に、わたしは言葉を募らせる。

『わたしは特定の個人を“推す”感情は、正直あまり理解できません。でも、あの部屋をみたら、部長がアイドルを大切に思う気持ちは本物だってわかります。

 それに会社では一切アイドルの話をしないですし。誰にも迷惑をかけていないじゃないですか。だったら、部長の気持ちを否定したり、捨てさせたりする方が間違っているとわたしは思います』


 一ノ瀬部長はまくしたてる主人公サツキをじっと見ていたが、しばらくしてからかすかな笑みを見せる。

『……ありがとう。君の話を聞くために家に招いたのに、逆に俺の話を聞いてもらって、なぐさめてもらってしまったな。このお礼は、いつか必ずする』


 その言葉と共に、一ノ瀬部長の身体全体が一瞬、ピンク色に光った。好感度アップのしるしだ。

『恋愛ルートに入りましたね』

「やっと……?」

 弥生のメッセージを見て脱力する。攻略の先は長そうだと、わたしは大きなため息をついた。

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