高校の女教師、推しそっくりな黒翼のあやかしと出会う。

依月さかな

推し活に励む高校教師と子連れあやかし

「はぁぁぁぁぁぁ……」


 私の名前は河野かわのあや。音楽教師として市内の高校に勤務しているアラサーだ。

 空がオレンジ色に染まり日が暮れる頃。私は深いため息をついていた。


 疲れた。ものすっごく疲れた。四月に入ってからめちゃくちゃ忙しい。

 授業の準備はもちろんのこと、保護者のみなさんに渡す書類とか月一で配るプリントとか全部準備しなくちゃいけない。あと家庭訪問の段取りとか。


 今年は特にクラスを受け持つことになったせいで、仕事量が半端じゃない。

 左手には教材や書類を所狭しと詰め込んだ鞄、右手にはコンビニ弁当が入ったビニール袋。自炊しなくちゃと思うけど、今日ばかりはもうエネルギー切れだ。大目に見てほしい。


 早く帰らなくちゃいけない。家に帰って、また明日の準備をしなくては。

 けど、この時の私はもう限界で、直帰する気になれなかった。

 結果、市内の公園でベンチに座り、暮れゆく空をただぼうっと眺めている。


 今にも干からびそうだった。身体ではなく心が。


 癒しが欲しい。カラッカラになった心を潤すほどの癒しが。


 この日の私はだいぶ限界だったらしい。

 普段なら絶対に外で開かないスマートフォンの電源をつけ、あるアプリのアイコンを指でタップする。


 水色のスマートフォンを横に傾け、待つこと数秒。

 楽しげな音楽と共に、心地よい男性の声がそのアプリの名前を読み上げた。


「イケメン☆スターズ!」


 沈んでいた心がふわっと浮き上がる。いつも読み上げる声優さんはランダムなのに、この時は私の大好きなひとの声だった。

 一応解説しておくと、「イケメン☆スターズ」はスマートフォンで遊べるアイドル系リズムゲームだ。ここ最近の私はこのゲームにどっぷりハマってしまい、毎日のように開いて遊んでいる。もちろん時間がある時、だけど。


 ゲームのトップ画面には推しアイドルのイラストが映るように設定してある。苦労して手に入れた高レアカードのイラストだ。これがまたすっごくきれいで、ずっと眺めていても飽きない。

 推しは長い黒髪を三つ編みに編んで肩に流し、つった深青の瞳で見つめてくるイケメンアイドルだ。彼はいわゆる俺様系男子で、タップするとボイスまで聴けちゃったりするの。「おはよう」とか「こんばんは」みたいな大抵は他愛もない挨拶だけど、彼の声を聴いていると癒されるのよねぇ。


 ゲームを開いたついでにお知らせもチェックしておこう。

 あっ、新譜が発表されているわ。もう配信されてるみたい。はやくやり込みたいし、曲を繰り返し聴いて楽譜に起こしたい! これでも耳コピは得意なのよね。いやー、音楽教師をやっててよかったわ。


 帰ったら攻略サイトをチェックして、SNSで曲の感想を投稿しよう。

 楽しいことを考え出すとわくわくしちゃう。少し前はあんなに心が荒んでいたのに、今は踊り出したいくらいに弾んできちゃった。


「このひと、パパに似てる」


 完全に不意打ちだった。


 西日が差す公園のベンチ。私のすぐ隣にいつのまにきたのか、小さな女の子がいた。ちゃっかりと相席して、スマートフォンの画面をじっとのぞき見ていた。


 艶やかな黒髪をツインテールにした、可愛らしい女の子だった。五、六歳ってところかな。じっと見てくる大きな瞳は、日本では珍しい青色。その背からは小さな黒い翼が見える。——って、あれ? あれれ? どういうこと?

 コスプレかしら。こんな田舎町でコプスレした女の子がいるってどんな状況なの。近くの商店街でお祭りでもあったっけ。


「お姉ちゃんはこの男の人が好きなの?」


 無垢な疑問を投げかけられて、私はようやく我に返った。


 うっわ、どうしよう。恥ずかしい。

 いい年をしたいい大人がスマートフォンの画面に映ったイケメンをにやけ面で眺めているところを見られてしまった。

 職場では生徒たちにはもちろん同僚の先生方にもイケメンアイドル(二次元)の推し活をしていることは完璧に隠してきたのにっ!


 恥ずかしすぎる。もうすぐにこの場から消えてしまいたい。


 けど、人気のない公園にこんな幼い子を一人きりになんてできない。

 小さくなりかけた理性を奮い起こし、私は女の子に向き直った。


「えっと、あなたは迷子なのかな?」

「お姉さん、あたしが見えるの?」

「見えるけど……」


 え、なに見えちゃいけない系ってやつなの? まさかお化けとか幽霊ってやつなのかしら。

 でもおかしいわ。ちゃんと足はあるし。


「そうなんだ! うれしい!! えっとね、迷子なのはパパだよ。ねえ、お腹すいた。これたべてもいい?」


 ぽかんと口を開けたままでいると、女の子はベンチに置いてあったビニール袋を指差した。

 たしか、食後に食べようと思っていたチョコプリンが入っていたんだっけ。

 別に断る理由もなかったから、女の子の小さな手にプリンの器をのせてあげた。ふたを開け、店員さんが付けてくれたスプーンを手渡してあげると、女の子は顔をほころばせた。


 器用にプリンをスプーンですくい、小さな口の中へ運んでいく。すると、青い瞳を見開くと、女の子は感嘆の声をあげた。


「おいしーい!」

「そう、よかった」


 空いている方の手を頬に当てて、女の子は満面の笑顔を浮かべた。

うっわぁ、めちゃくちゃ可愛い。乾ききっていた心がますます潤ってきちゃう。


「ねえ、あなた名前は? パパを一緒に探してあげよっか」

「名前はないよ。あたしはあやかしだから」


 女の子はさも当たり前のようにそう言った。再び思考が停止する。


(あやかしって、どういうこと?)


 よくゲームとかで見る、あの妖怪とかあやかしってことだろうか。わけがわからない。

 もう一度よく聞いてみなくちゃ。


 ——そう思った時だった、一陣の風がざあっと吹き抜けたのは。


「きゃっ」


 ひときわ強い風が女の子のツインテールを、私の髪をさらっていく。

 鞄に挟んだ紙の束がバタバタと音を立てる。手で押さえないと今にも飛んでいきそう。

 ふいに起こった大きな風に一瞬だけ目を閉じる。再び開いた時、目の前に飛び込んできた光景に息をのんだ。


 どこか焦った表情かおをした背の高い男の人が立っていた。

 教科書に出てきそうな山伏衣装に身を包み、背には大きな黒い翼。日の光があたるたびに青い光沢を放っていて、まるでカラスの羽根みたい。

 肩よりも長い黒髪を三つ編みにして肩に流した、見目麗しい男子。瞳は宝石みたいな深い青。衣装はまるっきり違うけれど、まるでゲームから飛び出してきた推しのイケメンアイドルそのものだった。

 とくんと、胸が高鳴った。


「やっと見つけた……。勝手にいなくなるな。探しただろうが!」

「パパ! このお姉ちゃんね、あたしのことが見えるんだよっ」

「だからって人様の食いもんに手ぇ出してんじゃねえよ。おい、お前、俺様の娘が悪かったな」


 おれさま。三次元で、ううん現実で「俺様」って口にする人っているんだ。

 なに、すごいそっくりなんだけど! そりゃ女の子だって「パパみたい」って言うわよね。どうして天狗みたいなコスプレしてるのかわからないけど。

 どうしよう、夢みたい! 推しそっくりなひとに現実世界で会えるだなんて!!


「おーい、話聞いてんのか?」


 ぼやけた視界の中、大きな手のひらがちらつく。

 しまった、完全に頭の中がトリップしてたわ。


「あっ、はい。なんでしょう?」

「俺様の娘がお前の食いもんに手ぇ出しちまったみたいで悪かったな」

「別に構いませんよ。お腹空いてたみたいだし。また買えばいいし」


 やっぱり女の子のパパは推しそっくりな彼のことだったらしい。

 プリンなんてほんの数百円だもの。食べてる姿に私も癒されたし。損したって気持ちはない。


「金を返したいところだけど、この通り俺様は人間じゃなくてだな。持ってねえんだ。悪いな」


 えっ、人間じゃないの!?


 「いつかちゃんと別の形で返すから」とか彼は続けていた気がするけど、声が頭の中に入ってこない。

 人じゃないってことは、つまり。


「人間じゃないなら、やっぱりこの子が言ってたようにあやかしってこと?」


 初対面なのに、うっかり敬語が抜けてしまってた。

 けれど、目の前の彼はにやりと唇を引き上げた。


「そ、からす天狗だ。人間たちの間でもちょっとは有名だろ?」


 細めた鋭い印象の瞳がきらめいたその瞬間。私の心臓は見事に撃ち抜かれた。


 カッコいい。カッコ良すぎる。

 どうしよう。このまま別れたくない!


 我ながら、それからの私は行動が早かった。

 「もう日が暮れるから帰らねえと」と背を向ける鴉天狗さんの服を掴んで、引き止めていた。考えるより、身体の方が先に動いていた。


「お金がないなら、私の家に来ませんか!?」


 何年経っても大胆なこの台詞は黒歴史ものってくらい恥ずかしいんだけど、後悔していない。


 これがのちに鴉天狗さん——久遠くおんという名前を与えた最愛のひととの出逢いだった。

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高校の女教師、推しそっくりな黒翼のあやかしと出会う。 依月さかな @kuala

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