友だちの推し

碓氷果実

友だちの推し

「ごめんねぇ、急に呼び出しちゃって」

 と言いながらマスクを外した近藤さんは、学生時代と比べてずいぶん綺麗になったように感じた。僕はついどぎまぎして目をらしながらいや全然、とかなんとか不明瞭なことを言った。

 怪奇譚収集を趣味としている都合上、友人知人には僕の方から声をかけて話を聞くことが多い。メッセージのやりとりで済ますこともあれば、実際に会って話すこともある。だけど、大学時代の友人――というか、同じゼミの顔見知り程度の、しかも女性から声がかかるなんて、ものすごくまれなことだった。「不思議な話、好きじゃなかったっけ? ちょっと聞いてほしい話があるんだよね」そんなメッセージにほいほい釣られて、日曜の昼間、僕は新宿三丁目のチェーンの喫茶店にやってきた。

 店内は地下になっているせいか、それぞれの席の喋り声が反響してごうごうとうなるような騒音が渦巻いている。近藤さんのよく通る声はそんな中でもかろうじて聞き取れるが、僕のもごもごともった声は全く届かないようで、「え、何?」と身を乗り出してくるものだからなおさら狼狽して、両手を振ってなんでもないとアピールした。

 それからしばらくは申し訳程度の世間話、久しぶりだね、今仕事何してるの? なんて当たりさわりのない会話を――僕はできる限り声を張って――したが、近藤さんはいかにもおざなりで、早く本題に入りたいのは明らかだった。

「……それで、なんか不思議な話があるんだっけ?」

 僕が気を回してそう言うと、近藤さんはぱっと目を輝かせた。

「そうそう、多分好きな感じの話なんじゃないかなーと思ってさ」

 ショートボブの髪を耳にかけて近藤さんは笑う。うう、可愛いな。明らかなときめきとかすかな不審感を、一緒くたにしてコーヒーで流し込んだ。


「私の友だちの話なんだけどね。一社目の同期の子で、SNSでもつながってたんだけど、ある時からちょっと様子がおかしくなったんだよね」

 軽く相槌あいづちを打った僕の目をのぞき込んで、

「推し活……って意味わかる?」

 と近藤さんはいた。

「一応、なんとなく……アイドルとかを応援する? みたいなことだよね?」

「まあ大体そんな感じかな。その子も半年くらい前かな、推しができたみたいで、はじめは■■■■様尊い、みたいな投稿が増えて」

 そのの名前だけ、周囲の騒音にかき消されて聞こえなかったが、聞き直したところできっと知らない名前だろうと思い僕は黙っていた。

「知らない名前だったから、マイナーなアイドルとかYouTuberとかかな? って思ったけど、別にしょっちゅうやりとりするほどの仲でもないから、ハマってるなー、くらいに思って見てたんだよね。しばらくしたら今度は、グッズ買ったー、イベント行ったーみたいな投稿を良くするようになったんだけど、でもまあ、それくらいならよくあることじゃない」

「そうね」

「でもそれがどんどんエスカレートしてきてさ、いくらした、とかってなってきて」

 ああ、いわゆる投げ銭のことか。今は動画配信サービスの機能で、に直接金銭を渡せる、らしい。そうなってくると、悲しい人の性で、今度はその金額でファン同士が競り合うようになり、承認欲求と借金に飲み込まれて悲惨な末路を――なんて、まあ実際にそんな人に会ったことはないが、そういうプチ地獄がそこかしこに顕現けんげんしている、という話はネットでたまに見かける。

「とにかくお金をみついでるっぽいことはわかって、さすがに心配になってさ、連絡取ったの。話聞くよって。それでカフェで会って」

 一向に不思議な話になる様子がない。ただの愚痴に付き合わされているのか? だとしたら近藤さんはなんで僕を選んだのだろう。単なる愚痴の相手に選ばれたなら、僕はそれを喜ぶべきなのだろうか?

「会ったら説得してやろうと思ってたんだよね。推し活はいいけど、のめり込みすぎたらダメだって。会えるわけでもない、自分を特別に見てくれるわけでもない相手に貢いで生活が立ち行かなくなったら意味ないでしょ? ってさ」

 でもね――そう言って近藤さんはニィ、と笑う。

「全然違ったんだよね、ネ■■■様は」

 まただ。また聞き取れなかった。

「ひさびさにその子に会ったら、すごく可愛くなっててびっくりしちゃった。SNSの様子がちょっと異常だったから、てっきり本人もやつれてたり怖い感じになってるんじゃないかって勝手に想像してたんだけど、全然そんなことなくて。本当に幸せそうに笑うんだよね。その時点でもう説得しようって気が無くなっちゃって」

 眉尻を下げて笑う。漫画だったら「てへへ」と書き文字が出そうな、茶目っ気のある表情だ。

「それで、まあ無難に最近どう? なんて話したんだけど、あれだけSNSで話してるのに、推しのこと何も言わないのね。だから私から話を振ってみたの。最近、推し活がんばってるみたいだねって」

 近藤さんが自分のマグカップに手を伸ばし、両手で包み込むようにして口に運ぶ。表情や仕草がいちいち可愛らしくて華やかだ。なんか――近藤さんってこんな感じの子だったか?

「そしたらその子、そう、推し活なのって言って、そこからもうすごい勢いで話し始めて。推しに出会ってからどれだけ人生が充実しているか、良いことが起きてるか、幸せになったかってさ」

 そこで近藤さんは僕の名を呼んだ。

「最初に推し活って知ってる? って訊いたとき、推しを応援するって言ってたよね」

「あ、うん……」

「まあ私もあの子の話を聞くまではそう思ってたんだけど、それ、本質的には違うんだよね。推しのためとか思ってるうちは傲慢ごうまん。推しがいてくれるおかげで自分自身が輝いて幸福になれる、そのためにするのが本当の推し活なんだよ」

 前かがみになって上目遣いに僕を見てくる。その目はキラキラと輝いて――いや、キラキラというより、ギラギラとちょっと異様な光り方をしている。

「だから■■■ヤ様を推してる子たちは同担拒否とかもないんだよね。イベント行くのもお布施するのも、そうすることで自分が幸せになれるから。実際サオリちゃんも、推し活始めてからずっと悩んでたアトピーが治って、転職に成功して年収もめちゃくちゃ上がって、彼氏もできて……まあ推しのほうが大事ですぐ別れたらしいけど……とにかく本当に人生ぜんぶが良い方向に行くようになったんだって」

 これってもはや神秘的じゃない? まくしたてるようにそこまで言って、近藤さんはまたにっこりと笑う。

 僕は頬が引きる。いや、だってこれは――。

「でね、サオリちゃんからその時にグッズを分けてもらったんだけどさ」

 言いながら小さなハンドバックから取り出したのは、どう見てもお守りだった。

「これ身につけてから私も良いことばっかり起きるようになって! すっごい不思議じゃない!? だから私も■■■■様を推すようになったんだよね!」

 これはどう考えても――。

「ネ■■■様は担当を区別したりしないし、みんなを分け隔てなく幸せにしてくれるんだよ。本当に神! そもそも顔出ししてないしイベントでも会えるわけじゃないから裏でファンとつながるとかも絶対ないしね。推してる子たちもそういうの目的にしてないし」

 ぺらぺらと饒舌に話しながら、近藤さんは机に小さなものを並べていく。水晶のような石や数珠のようなもの、なにか文字の書いてある木の札――。

「どうかな? 君も■■■■様を推さない? 今度一緒にイベント行こうよ」

 近藤さんは綺麗なネイルをした手で僕の手を握った。

 その笑顔は相変わらずアイドルみたいに可愛かったけど、僕は全然、うれしくなかった。


 なんとかその場をごまかし切り抜けて、解散となる直前、少し落ち着いた僕の胸のうちには好奇心が頭をもたげ始めて、これくらいなら良いだろうと訊いてみた。

「その……サオリちゃん? お友達は、今も推し活してるの?」

「ああ、あの子は■■■ヤ様のところに行ったよ」

「え? でも会えないって」

「基本的にはね。でもお布施とか、推しを想う気持ちが認められると、選ばれて会いに行けるんだよ。これは公式のやつだから、他の担当からもすっごい祝福されてさ。もちろん私も嬉しくて、行く前に二人でお祝いしたよ」

 うらやましいなあ、私も早く推しに会いたいよ――そうつぶやく近藤さんの目は、うっとりと細められて、うるんでいた。



 その帰り道。貴重な女の子の知り合いが一人減るが、背に腹は代えられないと、僕は泣く泣く近藤さんの連絡先をブロックした。

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