禁忌に触れし者

十一

 片手剣が振り下ろされる。

 迫り来る刃。正確であるがゆえに太刀筋は読み易い。

 だが、初手を見切りながらもキノンは間合いを取る。


 外套の下、アグタスの左腕には、もう一本の獲物があった。痩身には不釣り合いな重厚な剣だ。斜に垂らした両刃は、切先が地面に触れている。


 第一撃が宙を斬る。露骨なまでに首を狙った攻撃は罠。しかし、半身となった構えでは、左腕で切り上げた所でキノンに届かない。

 ならば。キノンは高速で思考を巡らせる。前傾からさらに軸足に体重をかける。そのまま宙返りの要領で、第二撃へと。全身を大きく捻ることで、片手では扱い難い肉厚の剣も浮く。それは回転の加わった必殺の攻撃となる。

 あの重量の剣を捌くには、キノンの装備は心許ない。


 次なる攻めに備え、一歩、身を引こうとした。

 そこへ繰り出される刺突。

 一直線に伸びる電光石火の一撃。


「馬鹿な」

 咄嗟に、愛剣で軌道を逸らす。距離を取っていたのが幸いした。

 アグタスの早業は人間離れしていた。

 力を完全に削げず、突き飛ばされるキノン。

 体勢を立て直す頃には追いつかれている。

 後転で追撃を避けるも、アグタスは食らいて離さない。

 旋風の双剣の二つ名に違わず、連撃が休まることはなかった。立て続けに剣が見舞われ、防戦一方の展開を強いられる。


 決定打には欠けていた。しかし、じわじわと体力が削られていく。

 一刀一刀が骨に響く。腕が痺れていた。脚の感覚も怪しい。いつ頽れてもおかしくはなかった。


「クソッ」

 負けるわけにはいかない。

 父を思い出し、気力を振り絞る。

 

  ◆

 

 キノンは片田舎の農村で生まれ育った。自然豊かな土地のおかげで困窮することはなかった。

 大地の恩恵を受けるのは人だけではない。森の奥深くに棲む魔物も飢えとは無縁で、人里まで下りてくることはなかった。


 キノンにとって、魔物は遠い世界の存在だった。絵本で語られる物語のような。

 キノンもいっぱしの男の子だ。狂暴な魔物に挑む勇者の冒険譚に胸が躍らなかったわけではない。自分もそうなりたいとさえ思っていた。王都の騎士団に入るのを幼少のキノンは夢見ていた。


 しかし、その願いが実現することはなかった。

 キノンが入団できる齢となる前年だ。魔王が斃されたのは。

 騎士団は縮小され、王都の警邏が主な任務となった。残党狩りも行われていたが、大きな反抗勢力は半年と経たずに壊滅した。あとは、小規模な衝突があるばかり。

 もはや、魔物は人類にとっての仇敵ではなくなった。


 それでも、キノンは、かつて騎士団で腕を揮った父を師として研鑽を重ねた。

 魔物を討つためではない。この村にいる限り、それが訪れることはない。人と魔物、お互いがそれぞれの領域を侵すことはない。


 身体を鍛え剣の技術を磨くのは、狩りのためだ。良質な肉を得るには、素早く息の根を止める必要がある。大型の獣となると、どんな弓を用いても一矢では殺せない。数を重ねるほどに、流れる血は増え、時間がかかれば、血は腐敗していく。それは臭みとなって肉の味を低下させる。いかに損傷を与えず、いかに効率的に葬れるのかが肝だ。刃物こそが、それに最も適していた。一刀のもとに首を刎ねるためにキノンは日夜、剣の鍛錬に励んだ。


 父に訊ねたことがある。なぜ打ち合いでなければならないのか、と。力をこめて振り抜けば切断可能で、重要なのは筋力。標的の首を落とすには精密さも要求される。しかし、剣を扱う技能は素振りででも十分に身につく。


 父は諭すように言う。樹木の伐採ならばそれでもいい。だが、獣は違う。一か所に留まってはくれない。こちらの気配を察知して逃げもすれば、反撃もする。安定した足場がある保証もない。ぬかるんだ湿地、土埃の堆積した窪地、傾斜のある土手。いついかなる状況であっても、確実に始末をつける、それこそが優れた狩人だ。剣戟は様々な局面を生み出してくれる。激しく移り変わる流れのなか、好機を逃さぬ嗅覚、実戦はそうした瞬発的な判断力を培ってくれる。


 農作業や雑務をこなし、夜には父と剣を交える。穏やかな日々だった。

 しかし、キノンが初めて一人で狩りに出る日。

 一匹の魔物が村を襲った。

 晴れた昼下がり。夕方にキノンは狩りに出る手筈だった。下見がてら山へと行っていた父が戻り、母が遅めの昼食の準備をしていた。


 突如として蹴破られるドア。

 まず反応したのは父。置いたばかりの剣を手に、そいつと対峙する。

 筋骨隆々の大柄な男じみた体躯の魔物は、しかし、肌の色が人とは異なっていた。まるで血の海から湧いたかのような赤。


「お前が相手をしてくれるのか」

 魔物は、そう人語を操ると外へ出なと顎をしゃくった。悠然と歩いていく背中には、一分の隙もない。算段もなく斬りこんだところで返り討ちにされる。キノンの予感が告げていた。


「父さん!」

 加勢するつもりで、自らの剣を手繰り寄せて叫ぶ。

「待て。お前は来るな」

 

 制止にも耳を貸さず駆けつけたキノンに、父は命じる。金を持って街へ行け。箪笥には騎士団時代の貯金がある。兵を雇えるには十分な額だ。アグタスという男を頼れ。傭兵をしていた男だ。。


「でも、父さんは」

「大丈夫だ。時間を稼ぐだけだ」

 村に戦える者はもういない。他の住人は武具を手にしたことさえない。しかし、全員で飛びかかればあるいは。


 キノンの胸中を察し、父が首を横に振る。

「ダメだ。戦いに不慣れな者が入っても混乱するだけだ。自分の身だけならば、なんとでもなる。だが、庇いながらではそうもいかない」

 足手纏いだと父は言い切った。それはキノンを指しているようでもあった。


「どうした。怖気づいたのか」

 外から野太い声を飛ぶ。

「さぁ、早く行くんだキノン」

 家に残ってもできることはなかった。全額を詰めた背嚢を肩にかけ、裏から家を出ると、キノンは馬に跨る。


 村を出るとき、一度、背後を振り返る。

 魔物は、全身から威圧感を放っていた。獣じみた剥きだしの殺気。

 しかし、その両手には武器が携えられていた。

 棍棒と、そして異様に長い刀が。


 ◆

 

 アグタスが、お金を突き返す。

「決闘しろ。俺を打ち負かせたら、魔物退治でもなんでもやってやる」

 癒しを司る水の女神の加護を受けた二人。属性による優劣はなく、単純に剣の技術が物を言う。かたや傭兵のアグタス、かたや獣さえ狩ったことのないキノン。実力の差は明白だ。しかし、キノンに退くという選択肢はなかった。他の傭兵を探して交渉している猶予はない。一刻も早く助太刀を連れて父の所へ帰還しなくては。望みが薄かろうと、キノンは剣を取る。

 こうして二人の戦いは始まった。


 間断なく襲い来るアグタスの攻め手を、キノンは辛うじて凌ぐ。

 なんとか耐えられている。

 そこにキノンは、かすかな勝機の匂いを嗅いだ。


 双剣と両手剣では、双剣のほうが手数が多くなる。フェイントを織り交ぜてガードを誘い、空いた部位に一太刀を浴びせるのが双剣の十八番だ。頭を打てば胴が空き、胴を打てば脚が空く。のべつ幕なく繰り出される攻撃のどれもが、囮であり本命だった。防がれるやいなや、囮が本命に、本命が囮に切り替わる。


 アグタスの連撃もそうだった。にもかかわらず、その悉くを防げている。

 攻めに転じられる程ではない。それでも、ほんのわずかながら左右の動きにズレがあった。

 まるで、先の一手の動線を見定めてから次を仕掛けているような。


「そうか」

 思えば最初から不自然だった。

 人間には到底不可能な突き。

 しかし、それが人間によらないとしたら。


「魔剣だな」

 魔剣。由来は様々だったが、その性質は共通している。手にしたものは身体を乗っ取られ、戦闘狂となる。どれもが血を求める危険極まりない人格を有していた。現存する物は全て封印されていたはずだ。


 アグタスの二本の剣のちぐはぐな挙動。それぞれの剣は別々の意識に操られていた。

 身体は支配されてはいない。水の女神はの加護を授かった者は自己免疫機能が向上する。魔剣の自我、呪いの瘴気による浸食に耐性ができるだけの加護がアグタスにはあった。キノンはそう予想した。


 彼自身がそれを理解したていたのかは判然としない。

 ただ、彼には二つの意識が宿った。だからこそ、左右の剣は、統制が取れていなかった。


「旋風の双剣がこんな絡繰りだったとは。笑わせる」

 アグタスを、魔剣をキノンは煽る。感情の昂ぶりは意識にも影響を及ぼす。怒りに我を忘れれば、視野も狭くなる。それこそが付け入る隙だ。


「二つの意識に二つの剣、二刀流でもなんでもない。一刀流が二人いるのと変わらない」

 キノンの口撃は覿面だった。

「貴様!」

 怒号が二重に響き渡る。


 そして。

 気づけばキノンは地面に仰向けに倒れていた。

 胸当てに直行する二本の傷痕。


「貴様は言ってはならない台詞を口にした」

 頭上から降り注ぐ、アグタスの声。

 彼にはキノンと争う謂れなどなかった。賃金を収め傭兵としての仕事を全うすればよかった。キノンに決闘を持ちかけたのは魔剣のほうだ。戦闘狂の人格、それが彼を戦いへと駆らせた。


 魔剣に付き合うアグタスを焚きつけたのはキノンだった。矜持が傷つけられ、その瞬間、キノンは屈服させるべき敵となった。

 別個の人格を有する魔剣と剣士。しかし、キノンという敵を前にして心はひとつになる。打倒キノン。


 意識は重なり、また太刀。同じタイミングで、同じ速度で、同じ力で切り付けられた。その痕跡がキノンの皮の胸当てに刻まれた。


 負けた。

 魔剣は満足したのだろうか。皆殺しを成し遂げるような人格だ。たった一回の真剣勝負で矛を納めるほど物分かりがよいはずもない。


「なぁ魔剣」

 ふと、脳裏に浮かんだ光景があった。

 魔物がぶら下げた異様な長さの刀。

 なぜ住処に篭っていた魔物が人里に現れたのか。

 なぜ魔物は我が家を訪れたのか。


「身の丈はある刃渡りの刀を知っているか」

「あぁ、それはファンガスの野郎だな」

 やはりか。

「なぁ魔剣」と呼びかけ問う。「同類と戦ってみたいとは思わないか?」

 魔剣は笑って答えた。

「いいじゃねぇか」

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