道場やぶり

古月

道場やぶり

 左右に大小の竹刀を構え、蹲踞そんきょ姿勢から立ち上がる。向かい合う相手は頭一つ背丈が低い。正眼に構えた竹刀の先端が早速動いた。隙を伺うことすらしない、速攻即決の攻め。


 さて、どうしてこんなことになったのやら。


 もともとそこは納屋だった。それを剣道狂いの父が若気の至りで道場に改装した。最初のうちは剣道教室なんかもやっていたそうだが、市街地から離れた個人宅ということで交通の便が悪いこと、駅前に公民館併設の武道場ができたことで客足が減り、十数年も前に看板は下ろしている。

 それでも父は毎日この道場を訪れ、一人黙々と素振りをしていた。健康のためと言いながら、その実、息子に付き合ってほしいと思っていたのは見え見えだった。


 しかしながら彼は父ほど剣道を愛してはいない。それどころか、どうしてあんな臭い防具を身にまとい、痛い思いをしながら竹の棒で殴りあわなければいけないのかとすら思っていた。好き好んで殴り殴られるなど、狂気の沙汰としか思えない。あんなもの、やれと言われたからやっていたようなものだ。

 高校剣道部引退の直後、この道場で父と立ち会った。それまで一度も勝てなかった父に勝ったのはその日が初めてだった。その日を境に二度と竹刀を手にすることはなくなった。超えるべき壁を超えたのだ。それ以上はもはや意味がなかった。


 それからは大学にバイトにゲーム三昧、好き勝手したものだ。父も母も、それを咎めはしなかった。少なくとも直接的には。


 その父がいともあっけなくこの世を去った。通夜も葬儀も終わらせて、やっと一息つけると思った矢先に母が泣き崩れた。すべてを終わらせてからようやく喪失感に襲われたのだろう。

 泣き疲れた母を布団に寝かしつけ、手持ち無沙汰になってここへやってきた。


 まさかそこで、見も知らぬ人物がそこで待ち構えているとは思ってもみなかった。


「やっと見つけたぞ。おじさん、めっちゃ強いミヤサコムサシなんだろ? おれと勝負してくれよ! 道場やぶりだ! たーのもーう」


 ツッコミどころしかない第一声を投げかけてきたのは、紺色の剣道着に竹刀袋を肩に掛け、背後にはキャリータイプの防具入れを引いた、小学生だか中学生だか判別つかない程度の背丈の少年だった。

 詳しく話を聞いてみれば、少年はかつて道場主をやっていた父と勝負したくてわざわざ電車とバスを乗り継いで訪問したらしい。


 確かに父は二刀流の遣い手だった。今日まで噂されるほどの腕前だったのかどうかは知らないが、誰かがこの少年にそう吹き込んだことは間違いない。いずれにせよ来るのが遅かったのだ。その父はもうこの世にいない。


 だというのに。


「あっ、お前さては勝負したくないからって嘘吐いてるな? その手は桑名の焼き蛤だぜ!」


 お前何歳だよ、などと返す気力も削がれてしまった。少年はもはや聞く耳持たず、いそいそと防具を身に着け始めるではないか。これは何を言っても馬耳東風かと諦めるしかなく、結局このきかん坊と二刀流で試合することになってしまったわけなのだが。


「ヤーッ!」

「ほい小手」

「てりゃーッ!」

「ほれ胴」

「シャーッ!」

「はい面」

「チャーッ!」

「あらよっと小手」

「ウリャーッ!」

「はいはい小手小手」


 この少年、驚くほどに隙だらけである。わざわざ個人道場を訪ねる熱意とは裏腹にまるで基本がなっていない。


「いやー、やっぱりミヤサコムサシは強ぇなぁ。やっぱ竹刀一本じゃ二本の相手には勝てねぇや。なあなあ、おれも両手に竹刀持ったら強くなれるかな?」


 やるだけやって満足したのか、面具を外して息を整えながらそんなことを言うではないか。なんだか期待の視線を向けられている気がするが、それよりも今の発言が少々引っ掛かった。


「なんだお前、まさか二刀流をやれば手っ取り早く試合で勝てるようになるとでも思ったか?」

「え、違うの? ミヤサコムサシって二刀流でめっちゃ強かったんじゃなかった?」


 その言いぐさから何となく察していたが、やはりそんな考えだったか。


「ミヤサコじゃなくてミヤモト、な。それでお前、あれだな? 地元の剣道部じゃ落ちこぼれなんだろ。それで手っ取り早く二刀流を覚えに来た、そんなところだな?」

「いいいいいいいやややややそんなことは別にないぜ?」


 これほどわかりやすい反応を返されるとは思わなかった。


「それと、二刀流を公式戦で使えるのは大学生以降だ。練習するのは勝手だが、高校卒業まで試合じゃ使えねーぞ」

「えっ、そうなの!?」


 目に見えて落胆したのがよくわかる。この少年、道場やぶりなど企てる行動力の割に頭は悪いらしい。

 そもそもの考えが甘いのだ。二刀流は一見、手数が増えて攻防ともに優れるように思える。が、実際のところは細かいルールがあり、そう簡単に一本は取れないものだ。第一が竹刀を二振り手にするだけで簡単に強くなれるなら、誰もかれもが二刀流であるはずなのだ。


「二刀流だろうが一刀流だろうが、勝ち負けはてめぇ自身の力量の問題だ。竹刀を何本持ってようが関係ねぇよ。弱い奴が二刀をやったって弱いし、強い奴は一刀でも強い。弱い奴が強くなりたきゃ、ひたすらに練習するしかねぇんだ」


 そこまで言って言葉に詰まる。


 父親から初めて一本を取ったあの日、超えるべき目標を超えたと嘯いた。もうこれ以上の強さは要らないのだと豪語した。それが事実ではないことは自分が一番理解していた。

 あれはただの偶然で、結局はまだまだ自分は弱いのだと認めるのが怖かった。勝ち逃げしたかっただけだった。


「俺も、まだまだ弱かったな」


 道場で一人素振りをする父親を横目に、決してその正面に立とうとはしなかった。

 あれは一刀同士の立ち合いだった。まだこちらが高校生だったからだ。だが大学生になってからは? 父は遠慮なく二刀を用いただろう。こちらも公式戦では使わないだけで二刀の練習はしてきた。使えないなどという言い訳はできず、そうなればもうごまかしは効かない。


 ――あるいは、あの父さえも?


 父がたった一人でも素振りを続けていたのは、自身の弱さを認め、向き合い続けていたからなのかも知れない。その真実は本人亡き今、もはや明らかにしようがないけれども。


「そんじゃ、おれはこれで帰るよ。また来週よろしくな」

「おう……いやまて、お前また来るつもりなのか? 大学生以降じゃなきゃ二刀流は使えないって言ったの聞いたよな?」

「聞いたよ? 練習するのは勝手だって。つまりはおじさん、おれに二刀流教えてくれるんだろ?」

「それは……」


 即答はできなかった。ちらりと視線を向けた道場の中心に、ほんの一瞬だが父の姿を見た気がした。

 その正面にはもう立てない。だが、同じ場所には立てるかもしれない。


 などと悠長に考えていたのが仇になった。


「じゃ、そういうことでよろしく!」

「あっ、おいこら待て!」


 少年は制止も聞かずに道場を飛び出していった。あとを追おうと戸口に立った時にはすでにその後ろ姿も見えはしない。まるで嵐でも過ぎ去ったかのような。白昼夢でも見ていたかのような。


「何だったんだ、あいつは」


 独り言ち、首を傾げ、やがて彼はまた道場の真ん中に立って素振りを始めた。まずは百回、始めてみようか。


(完)

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道場やぶり 古月 @Kogetsu

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