二刀流、仕事の流儀

南山之寿

仕事の流儀

 人間が退屈するものだから、私達が生まれた。正しくは、概念として存在を始めたのかもしれない。もちろん、生まれた記憶などは無い。


 私は、演出屋。


 感動的な出来事は、鮮明に記憶に残り、語り継がれる。人間の退屈を解消するために、小さな奇跡を生みだす。それが私達、演出屋の存在意義だ。

 

 しかし、今の時代は退屈が無い。情報が溢れ、処理する時間が不足している様に見えてしまう。娯楽も溢れ、退屈が天然記念物の様だ。そんな時代だからなのか、私達の存在意義は薄れていく。いったいどれ位、演出屋は存在しているのだろうか。私達の存在の方が、天然記念物かもしれない。


 私が起こした奇跡は、大した事は無い。旅行先で、偶然友人に鉢合わせる。小粒なアイスクリームが6個入っている容器の中に、星型の稀な形が1個見つかる。古書店で、自分が手放した本と再会する。他にも色々あるが、さして代わり映えしない内容だ。


 演出屋としての存在意義に飽きた。私は今、占い屋を存在意義としている。


 そもそも、私を見ることができる人間にしか小さな奇跡は起きない。しかも、私が近くにいることが条件。勝手が悪い。私から人間を探すより、私を見つけてくれる人間を待つ。その方が、早いと気がついた。


 街中で座り、人間を待つ。小さな椅子と机。机の上には、占い屋の立板。これもまた、見える人間にしか見えない。


「俺が見えるのか?」


 占ってくださいと来る人間が少ないものたから、ついつい口にしてしまう。大抵の人間は、ここで引き返す。


 占いといっても適当に話を聞くだけだ。私が見てきた人間の、悩みに対する傾向と対策位は教えることができるが。話を聞いた後に、一言だけ言う。


「このあと、貴方に小さな奇跡がおきますよ」


 これは、真実だ。私は嘘、偽りは好まない。仕事の流儀。演出屋としての仕事も、確実にこなす。


 もし、街で占い屋を見かけたら声をかけてみるといい。私達、演出屋の占い屋であれば、まず驚くはずだ。目印は、机の上。『無料』の文字がある。私達に、お金は無用。


 今日も、気長に待つとしよう。


〜終〜



 

 


 

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