あなたに会いたい

『泊まりに来なさい』


 返信に頭を悩ませていると、不意に着信画面に切り替わった。

 応答ボタンをスライドさせてスピーカーボタンを押す。


 向こうから電話してくるということは、少なくとも仕事中ではないのだろう。


「はあい」

『十月十日って、藤渕ふじぶち先生のサイン会だよね。じゃなきゃ出不精の若ちゃんはなかなか東京に来てくれないもん』

「開口一番がそれか。耳が痛い」

『来るのは当日? 前日?』

「前日に入って後日に帰るつもりだけど、でも」

『うちに来るったら来るの』


 拗ねたような声。強引で、食い下がるのはいつもの彼女らしくもない。

 真理香は固定した休みが取りづらく、仕事時間もまばらだ。急遽、休日に仕事が入ることもあり、スケジュールを管理しようとすると過酷な勤務になる可能性が高い。お泊まりの誘いは嬉しいが、正直、心配の方が大きい。

 けれど、休みを絶対取るという心意気が胸をくすぐり、若葉は両手を挙げた。


 目元を和めて、慈愛に満ちた顔で電話越しに告げる。


「わかったよ。ほんとうに無理しないでね。難しそうなら早めに言うこと」

『大丈夫。なま若ちゃんといちゃこらできる機会の方が大事』

「……それはどーも」


 まっすぐな思いを告げられて動揺のあまり返事が素っ気なくなる。

 いちいち噛みついていた頃よりはましになっているが、未だになれない。

 真理香は気にしたそぶりもなく、いつもの調子で続けた。


『こっちに何時頃着くか教えてね。迎えに行けるように死んでも頑張るから』

「死ぬくらいなら頑張らないでよろしい」

『死なないでだなんて、熱烈な告白じゃん』

「拡大解釈半端ない」

『あ、戻らなきゃ』


 電話の向こう側で、時間です、と告げる声がした。

 どうやら予想は外れていたらしい。


「仕事中かーい。夜中までお疲れ様。無理せずほどほどにね」

『ありがとう。そうそう、初イベ参加決定おめでとう! うち以外のお泊まりはだめだからね。じゃあ、またね~』


 言い返すよりも早くふつりと通話が切れた。スマホを置いて若葉は息を吐く。


 忙しない。でも藤渕先生に会える。久しぶりに真理香にも会える……かもしれない。


 小さく笑みを零しながら、机の上に置いている陶器に手を伸ばした。

 一目惚れした仏具用の蝋燭立てに蝋燭を置いて火を灯し、お線香を立てる。

 仄かに香る白檀を胸いっぱいに取り込んだ。











 サイン会当日。

 普段しないような精一杯のお洒落をして若葉は親友とともにイベントに臨んだ。


「ね、ねえ真理香。服、おかしくないよね?」

「大丈夫大丈夫」

「化粧、崩れてない?」

「だいじょーぶだいじょーぶ」

「髪の毛、跳ねたりは?」

「ダイジョブダイジョブ」

「お線香くさくない?」

「恋する乙女だ」


 若葉は顔をしかめて首を横に振った。


「そんなんじゃない。敬愛はしてるけど」

「若ちゃんの可愛い姿を見られるなんて、それだけですばらしい一日」

「飛躍しすぎだばか」


 そっぽを向いた。静寂が二人の間に流れる。

 そろそろと視線を向けると、にまにまと笑う真理香がいて、先ほどよりも首を回旋させた。


「お次の方どうぞ」

「若ちゃん、いってらっしゃ~い」

「うっ……、い、行ってくる」


 ついに、自分の順番が回ってきた。

 唇を舐めながら、震える足を叱咤して前進する。


「書くものをご用意ください」

「は、はい」


 著者の傍らに立つ案内人に促され、震える手で胸に抱いていた本を差し出した。

 藤渕先生はがを開き、そして破顔する。


「何度も読んでくれたんですね。ありがとうございます」

「こ、こちらこそっ、復帰早々このようなイベントをありがとうございますっ」


 声が上ずった。

 襲い来る吐き気。胃のむかつきに、喉の奥に力を込める。


「お名前はどうされますか?」

「お願いしますっ。佐波若葉です。人偏に左と、さざ波の波で、若い葉っぱです」

「佐波若葉さんですね」


 返された本を恐る恐る受け取り、震える指先で書かれたサインを指でなぞった。

 持ってきたのは、第一巻。日焼けしてぼろぼろの、――初めて自分の小遣いで買った本。出会うきっかけとなった始まりの一冊。

 サインを刻んでもらいたいものは、それしか思い浮かばなかった。


「ありがとう、ございます……!」


 こみ上げてくる涙を止められず、慌ててハンカチを取り出して目元を押さえる。


「そろそろお時間です」


 声を掛けられて我に返り、慌てて口を開いた。


「愛してます!」


 ぽろりと、本音が落ちた。

 泣いてしまったうえにこぼれた告白。羞恥心に視線を彷徨わせながら早口に言い切った。


「続きを楽しみにしていますが、どうかご自愛ください」

「ありがとうございます。佐波さんも、お体には気をつけて」

「はい、ありがとうございます。……あ、あの、これ、先生に渡したくて」


 鼻を鳴らしながらハンカチを鞄に収め、代わりに封筒を取り出した。

 中に入っていた物をテーブルの上に見えるように置く。


「これは……。……千日紅、ですか」


 その言葉に、頬が緩むのを止められなかった。


「さすが先生です。博識ですね」

「よく花をくれる方がいるので、調べているうちに自然と。大切にします」

「ありがとうございます」

「こちらこそ、応援ありがとうございます」


 深々と頭をさげて、足早に外に出た。

 息をつき、扉の横でぼんやりとたなびく雲を見上げる。


 しばらく呆然としていた若葉は、深く深く息を吐きだした。


 緊張のあまり言葉は飛んで、無難な言葉しか出てこなかった。

 惜しく思う反面、充実した時間に心はとても満たされていて。


「我が生涯に未練はあれど一片の悔いはなし」

「若ちゃん」


 びくりと肩が跳ねた。声の方を振り返れば真理香が満面の笑みを浮かべている。


「大衆の前で告白とはやりますなぁ」

「やめてっ! 落ち着いてきてたのに羞恥心を復元させないでっ、忘れて!」

「無理。若ちゃんのストレートな告白とか超レア。むしろ録画したかった」

「お願い忘れてぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 案の定。醜態をからかう親友に頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「『若ちゃんの愛の告白記録集』にいれるから無理」

「さっきの以外に告白した覚えはないっ」

「若ちゃんはそれでいいよ。どこ行きたい?」

「おうちのお布団の中」

「適当にぶらぶらしようか」


 軽く街中を散策したあと、真理香の家に戻った。

 ぐだぐだと近況報告を交えつつ、アニメや小説について話し合う。

 不意に、真理香が真面目な顔をして手招きをした。

 不思議に思いつつ、若葉は耳を寄せる。


「『愛してる』」

「ぶふっ」


 彼女から出たとは思えないほどの低音ボイス。

 睨みつけれど、真理香は機嫌良く笑っている。

 悪態をつこうとした若葉は、けれども耳の残る音に口を閉ざした。


「ちょっと、まって。今の声、え、まって。まって?」

「好きでしょ、『あか空』のリノア=ノノルグ」

「そうじゃない! いや、そうなんだけどそれじゃなくて!」

「『公開告白は見事だった』」

「ん゛ぐっ……ふっ……」


 両手で胸を押さえてテーブルに突っ伏した。

 真理香がお腹を抱えて笑う。


「これこれ。これがやりたかったの。だから『黙っていたこと、許す必要はない』」

「しぬる、まってしぬる、供給過剰でしぬるっ」


 サイン会でも感慨無量だったのに、最近久しぶりに出会えた推しの肉声は心臓がもたない。


「大丈夫ー?」

「だいじょうぶ。ちゃんと、ひんし」


 笑いながら背中を叩かれ、得も言われぬ悔しさに喉の奥で唸る。


「つまり真理香が、リノアの中の人の『深山ふかやまりか』」

「うん。芸名を聞かれなかったから私も言わなかったけど、一番の親友にちゃんと活躍を理解されてないのが、なんかむかついた」

「その腹いせか。それがこれか。効果覿面」

「久しぶりに会う親友へのご褒美だよ」

「ご褒美で死ぬかと思った」


 力なく息を吐きだした。


「ごめんって。でもほんと会場での『愛してる』発言は爆笑した」

「やめてその口閉じて。恥ずかしいのとリノアに耳が幸せすぎて頭おかしくなる」

「これで藤渕先生に認知されてるよって言ったら、とどめ刺せるね」

「そこは大丈夫、いつも匿名希望だし。あの手紙の差出人=私にはならない」

「……。やっぱり私、若ちゃんのそういうところ好きだわ。推せる」

「そういうところがどういうところなのか、よくわからないけどやめてくれ。いたたまれない」


 視線を逸らして日本酒に口をつける。

 真理香の素直な好意に対する照れくささと酒もあいまって、いつもより胸がぽやぽやする。


「そういえば、先生になにを送ったの?」

「押し花のしおり。真理香にもあげる」


 封筒に入っていたしおりを手渡した。

 くるくると裏表をひっくり返しながら真理香が呆れたように肩をすくめた。


「一途もいき過ぎると病気だね」

「通常運行だ」

「知ってるよ。中学時代にファンレターを送り始めたかと思えば便箋を自作し、イラストを描き始め、高校時代にはポップアップカードの作成に手を出す様子を傍で見てたからね」

「うっわ、狂気の沙汰」

「自分のことでしょうが」

「知ってる」


 お互いに笑い声をあげて、のんびりと酒を飲み下す。


 あぁ本当に、真理香の隣は居心地がいい。


 首を傾げつつ生温い眼差しを向け続ける真理香の様子に、上機嫌で酒に酔う若葉はついぞ気がつかなかった。


















 ――数ヶ月後。


『あの、真理香さん真理香さん』

『どうしたの?』

『最新刊のあとがきを見るからに、藤渕先生に同一人物認定されているみたいなんだけど』

『あ、やっと気づいた?』


「え……?」


『私はなにも言ってないよ。それとなく聞いてみたらすでに気づいてた。よかったね』

 ……

 …………

 ……………………

『おーい、大丈夫ー?』


「……いや。認知されることが嬉しくないわけではなくて、ただ私は私として認知されるつもりはなかったというか、ひとりのファンとして影ながら……影? うん、影で応援したかっただけにも関わらず、認知されてる状態で思いの丈を毎月手紙で叫んでて、これからは綴れと……?」


『おーい』

『おーい』

『おーい』

『うおぉぉぉぉい』

『返事はない。ただの抜け殻のようだ』


 香皿に散らばる灰の残骸。燃えていた線香がふっと鎮まった。



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夢を歩く 瑞野 紅月 @saika5130

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