夢を歩く

瑞野 紅月

本を作りたい

 漠然と、夢を抱いていた。




「二次創作……って、なに?」


 強く惹かれた物語がある。もっとその物語について知りたくて、調べているうちにたどり着いた投稿サイト。

 そこで書かれている、大好きな物語にはいないはずの、知らないキャラクター。

 ストーリーをなぞっているだけ。時にはそのキャラクターがなぜか台詞を奪っていることもある。

 意味がわからなかった。


 これはパクリではないのか。いや、パクリの方がまだましで、物語の改悪ではないか。


 それが、最初に抱いた感想だった。


 ネット上にアップされているのにも関わらず削除されていない。

 触れてはならない闇を見た気がして、すぐにブラウザを戻した。

 だが、調べれば調べるほど似たような、けれども独自の設定を盛り込んだ話を目にする。


 さすがに、ただのパクリではないことには気づいた。

 どういうことなのかサイトのトップページへ移る。

 諸注意が並ぶ中で、目に飛び込んできた『二次創作』という言葉。


 既存の作品をもとに作られた、公式には認められていない派生作品。

 遙花がネットで見つけたものは、そういうものらしい。


「へー。そういう文化があるんだ……」


 かちゃかちゃとキーパッドを操作しながら、二次創作の取り扱いに関する説明を読んでいく。

 公式じゃないよ、出版社や原作者になんの関係もないよ、苦手な人は自己防衛してね、などなど。


 公的に認められていないため推奨はできない。しかし目こぼしされている。ならばそれをするものが一人増えたところで、馬鹿なことさえしなければ大事にはならないはず。


「ちょっとくらい、私もやってみようかな」


 既存の作品の中で自分が考えたキャラクターを動かす、という試みは遙花の好奇心を大きく刺激した。

 手首に巻き付けていた落下防止の紐を外して携帯できるゲーム機を布団の上に投げる。

 お小遣いとお年玉をためて買ったそれ。パソコン争奪戦に関わることなくインターネットに接続で、なによりゲームができるから重宝していた。

 紙と鉛筆を引っ張り出し、喉の奥で小さく唸る。


「キャラクター……等身大がいいかな。書きやすそうだし」


 筆を執って初めて、足りない知識があることを知った。

 自分の中に強いこだわりがあることに気づいた。


 書いては、書いたものよりもよい話の運び方を思いつき書き直す。

 付け加えたい設定が思い浮かび、そのために生じる矛盾に一から書き直した。


 自分だけの設定とキャラクターを作って、その作品の中で生かす。ある者は友人として、ある者は宿敵として、ある者は想い人として、ある者は導く者として。


 それは箱庭の中の心躍るだった。


「うひひひひ」


 この子たちほんとかわいい。好き。さすが我が子。親の弱いところを的確についてからほんとかわいい。


 貯金で買った自分用パソコンの前に突っ伏して肩を震わせる。


「遙花、急に笑わないでよ。怖い」

「ねーちゃん、きもい」


 生かそうと書き始めた彼らは、時に思いがけない方へ姿を見せる。

 創造主でさえも驚かせ、喜ばせるその魅力に遙花は取り付かれていた。

 たとえ母から怖がられ、弟からはドン引きされても気にならないほどに。


 思えば、その時にはすでに種は撒かれていたのだろう。

 だが私は気づくことはなく、二次創作人生に更なる欲を抱いた。


 だから二つ目の筆を執った。

 箱庭の中で生きる姿を切り取った子を、自らの手で表現するための絵筆――二の筆を。












 悠然と、夢の道を歩いている。




 仕事から帰宅した遙花は鞄を投げ捨て、気楽な格好に着替えると即座にパソコンの前に腰を下ろした。

 マウスでつついて、作業のおともを立ち上げる。


「仕事終わったぁぁぁ! 作業お邪魔します」

『お疲れさまです、トワさん』

『お疲れさま』

「ありがとうございます。じゃ、書きます」


 誰かが頑張っているのを見ると、頑張れる。

 それは彼らと交流を始めて痛感したことだ。


 一の筆を執ってから、もう十年以上経つ。

 誰かが作った箱庭から飛び出し、今は自らの物語を作り出そうと文字に起こしている。


『トワさんはどれを書かれてるんですか?』

「昨日の続きを書いてました。お絵描きしたい欲はちょっとあるんですけど、筆が乗らないので。皆さんはなにをされてました?」

『私も続きですね。明日投稿する分を少しでも書いておきたくて』

『俺はプロットを練ってました』

「なるほど。お互い頑張りましょう」


 そう言って遙花は口を閉ざした。


 一年に数えられるほどしか絵を描いていない。思い出したかのように二の筆を執っては、思うように描けない悔しさに試行錯誤をちょっと試みてお休みする。その繰り返しだ。

 書の道は猪の如く、絵の道は亀の如し。


 それでも絵を描くことを辞めないのは、いつの間にか植えられていた種が、ぽっこりと芽を出していたからだ。

 紙や電子で書き連ねていたそれらに、自ら描いた絵を使って、いつか本という形にしたい。そんな芽が。


 理想とする完成形は、今の実力では遠く及ばない。そもそも、書くことと描くことを両立できているとは言いがたく、夢に見ている完成形にすら届かない。

 自分が夢に見ていることを、世の中にはすでに実現させている先達がいる。実現できない夢ではないのだ。


 邁進していると言うには、いささかどころか、結構かなり足が遅く、能天気に散歩しているという表現が似つかわしい。

 我ながらもう少し頑張るべきではと思わないこともない。


 それにも関わらず、あたかも無限の時があるかのように悠々と歩いている。

 

 確かに、私欲と性癖のままに書く方が性に合っている。

 だが、それと夢を諦めるのとはまた別だ。歩みが遅いことに少々危惧を抱いたからこそ、やりたいことをやるべく、頑張っている者同士の交流を始めたのだ。


『俺は区切りがついたんで落ちます』

『あ、私もそろそろ落ちます。お疲れ様でした』

「はい、乙でした」

『おつです』


 一人作業場に残された遙花は、まだ区切りのつかない文章を見つめながら息をついた。


 ――今、書いている小説は、果たして面白いと思ってくれるものなのだろうか。


 脳裏をよぎった思考に遙花は頭を振りかぶった。

 面白いと、自分がそう思って書き始めたのだ。他の誰かもがそう思わなくても、自分が面白いと感じるものを形にしたい。


 執筆画面の上にあるフォルダを開いた。

 それは過去の作品の軌跡。別名、性癖の権化録。

 落ち込んだときや癒やされたいときには振り返るように見る。そして自分に言い聞かせるのだ。


 何も考えず、自分の面白いを追及した話が、こうして未来の自分の性癖を貫いて尊死できるから大丈夫、と。


 時計を見ると、作業を始めてから三時間経過していた。進捗はよくはないが、小腹が空いたのもあり、マイクを切ってから立ち上がる。


 買い溜めしていた惣菜をテーブルの上に置き、画面を眺めた。


「……だめだ。一次は休憩」


 呟いて二次創作フォルダから、執筆途中のファイルを開く。

 流し読んで、惣菜をつまみながらキーボードを打ち鳴らす。


「二次創作やべえ……尊い……。これぞ自給自足。過去の自分本当に神」


 作家になりたいと語る彼らとは少しベクトルが違う。頭の中の空想を綴った本を作りたいとは思うけれど、それは自己満足の範疇で十分だ。

 遙花にとって、本を作るというのは、なにも商業である必要はどこにもない。

 彼らの熱意が与えてくれる創作への意欲をありがたく思う。


 だから書いて、書いて、時々描いて。


 少しずつ、本当に少しずつ、夢は輪郭を持ち始めている。

 完成形がいつになるか、そもそも一生のうちに形にできるかさえもわからない。

 それでも自分の箱庭を築き上げるため、今日もせっせと文字を積み上げる。






 判然と、夢が現になる日を迎えるために。



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