ひな血祭り
春海水亭
人形がひな壇から飛び出る日
「今日は楽しいひな祭り」
埃の積もった雛飾りの前で口ずさんで、思わず苦笑が漏れた。
楽しいひな祭り――そんなものを最後に迎えたのは一体いつのことだろう。
私は
両親は一昨年死んでしまったので、三人で暮らしてきた家に一人だけでぼんやりと暮らしている。
一人暮らしで困ることはそんなに無いけれど、使う人間のいない部屋を見るたびに、なんとなく寂しさのようなものがこみ上げてくる。いっそ、両親が使っていた部屋は倉庫にでもしようかと思ったけれど、結局二人の部屋を物で埋められるほどの物を一人の私は持っていなかったので、両親の部屋はなんとなくそのままにして、埃だけを積もらせている。
独身OLやけくそひな祭りを開催したのは去年のことだ。
主催は私で、参加者は一名。私だ。私にはそういうことに誘える友達がいなかった。私の人生に一緒についてきてくれるのは腹回りの脂肪ぐらいだ。
使っていない雛飾りを引っ張り出し、その前でビールをガブガブと飲み、スーパーで半額の惣菜をモグモグと食べ、そして眠った。誰かがこの祭りを見ていたならば、奇祭に分類されたことだろう。
ついでに言うと、盆もクリスマスも正月もバレンタインも雛飾りと一緒に過ごした。その度に独身OLやけくその後につく祭りの名前は変わった。
奇祭の伝統が私の代からメチャクチャ始まっているし、おそらく私の代で終わる。
「あー……」
雛飾りを見ながら、私はアザラシの鳴き声のような声を出した。
結局雛飾りは丸々一年出しっぱなしになってしまった。片付けたいなぁと思う気持ちはあるが、困ったことに出しっぱなしにしても困る人間がいないのだ。じゃあ、もうこのままでいいかな……そんな気にさえなっている。
「おい」
その時、私は野太い声を聞いた。
私のものではない、そして当然彼氏のものでもない。存在しない者の声は聞けない、つまりは空耳ということになるだろう。
「おい、聞こえているんだろう」
「うわわっ!」
だが、空耳などではなかった。
声の主は私の前にいたのだ。
そう、信じられないことに――その声を発したのは、五段ある雛壇のてっぺん。その左側にいる女雛だった。
女雛は人形のつくりを無視するかのように、すくりと立ち上がると私を指差して言った。
「貴様……知っているか?」
「にゃ、にゃにをでしゅか!?」
噛んだ。けど、それは私が人見知りだからとかそういうわけじゃない。本当に。
だって、人形がいきなり喋りだしたら、私じゃなくてもそうなるよ。
「雛飾りを出しっぱなしにしていると、婚期が遠のくという伝承だ」
「き、聞いたことは……」
子供の頃に、お母さんに聞いたことがある。
その頃の私の夢は幸せなお嫁さんだったので、おとなしく従っていた。
今の私の夢はなるたけ安らかに死ぬことなので、残念ながら出しっぱなしにしているが。
「何故、そのようなことが起こるか知っているか?」
「わ、わかりません!」
そういえばお母さんにその理由までは聞いたことがない。
「ひな祭りとはざっくり言うと子供の災厄を雛人形に移す儀式だからだ、故に厄を移した雛人形が置きっぱなしになっていると、厄もそのまんま残っているというわけだな」
「な、なるほど……」
私は話の内容よりも、雛人形もざっくり言ってくれるんだなという妙なところに感心していた。
「お前は一年間、雛人形を出しっぱなしにしていた……つまり、伝説の殺人鬼である俺がお前に物理的な厄をもたらしに来たわけだな」
「なんもつまってなくないですか!?」
ここまで、つまりで説明されていない事象に私は初めて出会った。
吹き荒れる何故の嵐。
「雛飾りを片付けないと、雛人形に殺人鬼が乗り移って永遠に婚期を逃す……それがひな祭り、いやひな血祭りの真実だ。俺の名は邪悪・ザ・リッパー、かつて数百人を殺した伝説の殺人鬼。さぁ……お前を残酷にぶち殺すとしようか」
「ちょ!ちょ!ちょっとまってください!情報量が多すぎます!私って邪悪・ザ・リッパーに殺されるんですか!?」
「そりゃ殺すよ。お前は俺が生前に成し遂げることの出来なかった記念すべき276人目の犠牲者だよ」
「記念すべき割に数字のキリが全く良くない!!!」
とにかく、逃げなければ――まさか、三月三日がひな血祭りになるなんて!ひな血祭り!?私、こんな奇祭で死ぬの!?っていうか邪悪・ザ・リッパー!?邪悪・ザ・リッパー!?もうちょっとひな祭りに寄せろよ!っていうか厄があまりにも暴力的過ぎる!!
様々な考えを巡らせながら、私は玄関に向かって走る。
だが、邪悪・ザ・リッパーは私よりも早く走って、私の前に立ちふさがっていた。
その手には、鞘から抜き放たれた男雛の刀が握られている。
一体、その小さい体の中にどれほどの悪意と運動エネルギーを溜め込んでいるのだろう。やっぱり雛壇の最上段で位置エネルギーを溜め込んでいたのだろうか。
ああ、私はパニックになっている。
だから変なことを考えてしまうのだ。
「さて、お前を殺す前に……俺の
「ス……
「キェーッ!!!」
邪悪・ザ・リッパーが叫んだ瞬間、先程までは一本しかなかった刀が二本に増え……彼の両手にそれぞれ握られている。
「俺の
「そ……そういう世界観なんですか!?」
私は、今起こっている事象がホラーのそれだと思っていたが……これは、なにか思っていたのと違う感じがしてきた。
異能バトルなの!?
「
いや……異世界ファンタジーなの!?
具体的に何がとは言えないけど……邪悪・ザ・リッパーは一挙両得を狙っている気がする!
「キョホホーッ!!!!無残に死ねなんてことは言わないぜェ!?俺の殺し方には残酷さがある……つまり有残に死ねェーッ!!!」
「きゃああああああああ!!!!!」
まさか、こんなアホな台詞が私が最後に聞く言葉になるとは。
お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。
私は邪悪・ザ・リッパーに殺されて……貴方達と同じ場所には逝けそうにないです。
――と、思ったその時。
「テャァァァァァッ!!!!!」
私に迫った邪悪・ザ・リッパーに飛び蹴りが炸裂した。
さっきまで雛壇の最上段に至った男雛が、蹴り飛ばしたんだ。
「グェッ」
勢いよく壁に叩きつけられて、邪悪・ザ・リッパーが潰れた蛙のような悲鳴を上げる。
「大丈夫か?」
油断なくファイティングポーズを取る男雛、けれど……私を見つめる目は優しい。
「大丈夫ですけど……一体何が?」
「ひな祭りだよ」
「えっ?」
「ひな祭りとは本来、厄流しの儀式……つまり、物理的な厄である邪悪・ザ・リッパーを祓うのは当然だろ?」
「つまってません」
「まぁ、ひな祭りとは厄だけでないものも降りてくるということだ」
お前のことが好きな神様がな、そう言って男雛が片目を瞑る。
「ギョボ、ギョボ、グヘェ……ッ」
泥が沸騰するかのような不気味な笑い声を上げながら、邪悪・ザ・リッパーが立ち上がる。
「おいおい今日はひな血祭りの日だぜェ……」
「いいや……今日はひな祭りの日だ。厄は流させてもらおう」
空気が張り詰めていく。
この場にいるだけで、息が止まるようだった。
今日はひな祭りで、ひな血祭りの日だった。
けれど――次の瞬間に、今日がひな祭りかひな血祭りのどちらかが決定してしまう。
いや、どっちにしても奇祭!!
「
瞬間、邪悪・ザ・リッパーは男雛に向かって、刀の一本を投げつけた。
同時に、男雛に向かって駆け出す邪悪・ザ・リッパー!
投げつけられた刀に対処している間にもう一本の刀で殺してしまうと言うのだろう!
「ズェア~~~~~ッ!!!!」
だが、男雛は投げつけられた刀を意に介さず、走る。
男雛の胸を投げられた刀が貫いたけれど……止まらない。
そのまま、男雛の回し蹴りが邪悪・ザ・リッパーの側頭部を打つ。態勢を崩した邪悪・ザ・リッパーをさらに、踏みつけるような蹴りの嵐が襲う。
「お、おのれ……この邪悪・ザ・リッパーがァ~~~~!!!雛壇を片付けなかった人間を襲う厄の日本代表がァ~~~~!!!!」
「厄は……祓われるものだ!」
男雛の前蹴りが、邪悪・ザ・リッパーの腹部に突き刺さる。
それがトドメの一撃になったのだろう、ガラスが砕かれるように邪悪・ザ・リッパーが取り憑いていた女雛は破壊されてしまった。
「大丈夫か……日奈」
大丈夫かと聞きたいのは私の方だったが、胸に突き刺さった刀は見た目には痛々しい割に男雛には何の影響もなかったようだ。
私の視線に気づいたように「俺は人形だぞ」と男雛が笑う。
「助けてくれてありがとうございます」
「なに、良いってことさ……チョコのお礼さ」
「チョコの……あっ!」
先月の独身OLやけくそバレンタインデーを思い出す。私は雛人形の一個一個にチョコを配りながら、私はチョコケーキを貪った。端的に言って奇祭だ。日本国内における奇祭のシェアは私が占めすぎているのかもしれない。
「チョコを貰ったら……お返しをするのだろう?」
そう言って、男雛が片目を瞑る。
思わず、私の頬が柔らかな熱を帯びる。
まさかのひな祭りと一緒に、ホワイトデーが訪れるだなんて。
私は真剣に受け止めてしまいそうである。
ひな血祭り 春海水亭 @teasugar3g
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます