紡ぐ日が来るまで
多賀 夢(元・みきてぃ)
紡ぐ日が来るまで
何日も、テキストファイルを開いていない。
生きることの中心にあった『執筆』という行為が、まったくもってできていない。
それを罪のように苦しむ日もあった。当たり散らした日も、泣き叫んだ日もあった。
だけど。そんな感情も、時化が過ぎた海のように凪いだ。
*
*
――うわあ、ぜんっぜん進まない。
久しぶりに自作小説と対面して、私は独り乾いた笑い声を小さく立てた。
頭からは、物語がすっかり消えていた。毎日対話していたキャラクター達は、もう姿すら思い浮かばなかった。
キーボードの上で、指は緩慢に曲げ伸ばしを繰り返す。言葉の一つもひねり出せない、ただ激しい頭痛が孫悟空の輪のように締め付けてくる。
情熱が消えたわけではない。
だけど、書くための時間がなくなった。「なかったら作れ」なんていう人もいるが、私の場合はその隙間すらなかった。
その理由を、私は思い浮かべたくもない。何を喚いても、過去の説明は言い訳にしかならない。
「読み返して整合性をとるかな……いや、それだと時間がなあ……」
隣の部屋に夫がいるのに、お構いなしにひとりごちる。頭痛はもう最高潮だ、頭は真っ白を超えて爆発しそうだ。
たまりかねた私は、両手を机に思いっきりたたきつけた。その勢いで立ち上がりながら、スマホを手に取り音楽配信アプリを探った。
「Let's play Music!!」
再生ボタンを押した途端、響くのは人の口が紡ぐ激しいドラム。どこにもない荘厳なメロディと、ストーリー性の高い歌詞。
ある国の誰かの、ヒューマンビートボックス大会用ワイルドカード曲。
その動画を偶然見つけたときに、忘れかけていた私の創作魂が震えた。五分に満たない曲なのに、さらにほんの少ししかない歌唱パートなのに、ありありと情景が見えたのだ。暴れる竜、逃げ惑う民、そしてただ一人立ち向かう王が。
生活に疲れた心が震えた。
オリジナルを絶賛するコメント欄に目を見張った。
そんな賛辞を素直に受け止め、なおも楽しみながら研鑽する彼らに嘆息した。
むさぼるように彼らの動画を見るうちに、私の中にも火が付いた。
もう一度書きたい。いやそうじゃない、絶対に書き上げるんだ。
何度も同じ曲をリピートして、私はやっと満足して音楽を止めた。
「ああくそ。まだ頭いてえ」
いい感じにドーパミンが出たのか、私の作品の記憶がじわじわと戻ってきた。片頭痛もちとか眼精疲労とか、そんなのはモノづくりの言い訳にしかならない。最後まで作んなきゃモノに価値はない、それは職業もモノづくりだからこその絶対論。
「よっし、まるっきり変えよう!」
ノートに書かれた構想を直そうとして、ふと隣の気配が気になった。あれだけ音楽流して大声出したのに、静かなのはおかしすぎる。
襖をあけて確認したら、夫がスマホを持ったままベッドで寝落ちしていた。
私は少々ほっとした後、顔を引き締めその頭に優しめなチョップを落とした。
「おーい寝るな、風呂入れ。――こら入れって!ああもう、服脱げよっ! あー!あんた明日ゴミの日なのに、ゴミまとめてないの!?ああいい、やるやる!やるからさっさとお風呂済ませて!あとお薬飲んだ!?」
ばたばたした日常が、自作小説という非日常を奪おうとする。だけど私は止まりたくない、心にもやもやを抱えて生きていたくはない。
今の作品を書き上げたら、あの曲をオマージュしたファンタジーを書こう。そして作者である彼らに捧げよう。――いやいや、まだまだ書きたいテーマは色々あるぞ。書いてない間に溜まった妄想が、構想となって蓄積してるぞ。
私はゴミ袋を取りに台所に向かった。
頭の中で、たくさんの物語を練りながら。舞い戻ってきたキャラクターと、新しいキャラクターの歌を聴きながら。
紡ぐ日が来るまで 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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