第2話 身八つ口に入れた手
2月になると、私は一人で「禁色」を訪れるようになっていた。14日の夜、店に行くと早い時間だからか客は私の他にはマスターの古馴染みらしい壮年の男性一人だった。ハルマは、和服らしくない迷彩柄を着てグラスを磨いていた。
「月曜日に来るの珍しいね」
「チョコあげたかったからね」
マスターに見つからないように、こっそりと資生堂パーラーのちっちゃな箱をハルマの手に持たせる。甘党だという彼は、悪戯をした子どものような顔をして箱を
「トモコさん、ありがと。何飲む?」
「ごめん。明日早いから、もう帰るの」
「え?じゃあわざわざ渡しに来てくれたんだ。なんか悪いなあ」
「ううん。売り上げにならなくてごめんね」
「とんでもない。店の外まで送るよ」
先に立って歩くハルマは、私より少し背が高かった。店を出て、エレベーターのボタンを押してくれる。エレベーターホールは、近くに非常階段があるせいで隙間風が入ってきて寒かった。エレベーターはなかなか上がって来ない。
「トモコさん」
ふと振り返ると、ハルマの手が私の頬に触れた。
その週の週末、私の姿は「禁色」にあった。隣には、やっぱり機嫌のいい宮津くん。相変わらず作ってもらったテキーラ・サンライズを飲みながら、ハルマと楽しそうだ。私は私で、それを見ながら変わらずビールのグラスを傾けていた。
「ハルマ、ちょっと買い出し行って来てくれ」
「わかりました、マスター」
「あ、じゃあ俺も行くよ。ちょうどタバコ切れた」
メンソールのタバコの箱を潰しながら、宮津くんは言った。多分、ハルマと二人きりになりたいのだろう。やっぱり、ハルマが好きなんだ。「いってらっしゃい」と手を振りながら、私は自分がどこか不機嫌になっていることに気づいた。私は、残っていたビールを一気に煽った。
ヴーヴー
そのとき、マナーモードにしていたスマホがカウンターの上でガタガタと震えた。画面を見ると、職場からの着信だった。そっと貴重品だけ持って席を立つ。店外に出て、エレベーターホールで電話をとる。幸い、用件はたいしたことがなく、通話はすぐに終わった。溜め息をついて、店に戻ろうとする。ふいに、非常階段の方からカタッ、という音がした。見ると、階段へ通じるドアが少しだけ開いていて、そこから衣擦れの音が聞こえてくる。息をひそめて、隙間から階段を覗くと、切れかけの蛍光灯の下、渋い椿柄の着物が見える。
ハルマだ。
壁に押しつけられたハルマは、着物の脇にあいた穴から手を突っ込まれて後ろから体を
目が合った。
ハルマは自分の口に人差し指を当てて、こちらを見てにやりと笑った。
その手には、あの指輪がはまっている。
急に、妙に腹立たしくなって、私は階段へ通じるドアを思い切り叩きつけるようにして閉めた。足早に店に戻ると、マスターにお札を押しつけて、店を後にした。非常階段からはもう何も聞こえない。そうして私はエレベーターに乗って、振り返らずに雑居ビルを出た。それから繁華街に近づくことさえなかった。
年度末で忙しい最中3日間休んだ宮津くんが出勤してきたとき、あまりの
私はスマホを出して、ほったらかしていたSNSのアドレス帳から「ハルマ」の連絡先を消した。金輪際、「禁色」に行くこともないだろうと思った。
みやつくちにいれたて kgin @kgin
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