みやつくちにいれたて
kgin
第1話 宮津口に入れた手
思えばハルマと初めて会ったのは秋もぐっと深まって
あの日、宮津くんに「奢るからつきあって」と言われて、仕事帰りに県内唯一の繁華街に連れて来られていた。居酒屋とスナックと風俗が入り交じった通りにある、小綺麗な雑居ビル。1階がライブハウスになっているそのビルの、エレベーターを4階まで上がったところにバー「
「こんばんは、ユウタ。今日はデート?」
若々しいテノール。荷物を背もたれに
ユウタ、というのは宮津くんの下の名前だ。よっぽどこの店に通い詰めているのだろう。気安げに
「違うよ。このコは会社の同僚。智ちゃん、彼がハルマ」
と、紹介すると黙っている私を気にとめず、宮津くんは「いつものやつね」と頼んだ。私はこういうところで何を頼んだらいいかわからなくて、小さな声で「ビールを」と言った。店内のざわめきで聞こえなかったのか、ハルマはカウンター越しに耳を傾けてくれる。その仕草も艶やかだ。短髪にした襟足から覗くうなじは、剃り跡が匂うようだった。
「すみません、ビールを」
「わかった。ちょっと待ってくださいね」
コケティッシュな笑みを浮かべて、ハルマはカクテルを作り始めた。冷えたグラスに、テキーラとオレンジジュースと赤いシロップのようなものを注いでいる。軽くかき混ぜてオレンジを添えると、私のグラスにはビールを注いで、2つ並べてカウンターに置いた。薬指に指輪がはまっている。
「テキーラ・サンライズと、ビールでございます」
「ありがと、ハルマ」
「すごくきれい。夕日みたい」
私の言葉を聞いて、宮津くんとバーテンダーの彼はふふふと笑った。
「智ちゃん、『サンライズ』だから朝日だよ」
「テキーラ・サンセットってカクテルもありますけどね。」
恥ずかしくなって、私はまた黙ってビールを啜った。宮津くんは、私には目もくれずにハルマと談笑している。いつもの彼らしくない。一体何のために私をこの店に連れてきたのだろうかと小憎たらしく思った。
帰り道、いつになく酔った様子の宮津くんは上機嫌だった。
「ごめんね、智ちゃん。付き合わせちゃって」
「別にいいよ。奢ってもらったし」
「俺、ハルマとばっか喋っちゃったからさ」
「ホント。どういうつもりなのかと思った」
「いや……智ちゃんさ、アイツのことどう思う?それを聞きたくって」
どう思うも何も、私と彼は今日初対面だ。確かに彼は綺麗だった。だけどそれが何だというのだ。
私は、一言言ってやろうと思って立ち止まった宮津くんの方を振り向いた。そしてハッとした。恥ずかしそうに視線をそらした宮津くんの表情は乙女のようだった。顔が赤く見えるのは、酔いや寒さのせいではない。男性のことが好きだとは聞いていたけれど、ああ、そうか。宮津くんは彼のことが好きなのか。
「一度会ったくらいじゃ、わからないよ」
「そうだよね……」
宮津くんは残念そうに笑った。
それから、何度か宮津くんと一緒に「禁色」を訪れた。ハルマはいつも派手な着物を着流しにしていて、色気があった。聞くところによると、呉服屋の次男坊だけれど店を手伝うのが嫌でここに来ているらしい。
「それでも和服を着てるのはね、僕の反抗なんだ」
「もう反抗期って年じゃないでしょ」
「僕、反抗期なかったからなぁ。とにかく着たいものを着るの、ここでは」
マスターもいいって言ってくれてるしね、とハルマは無邪気に笑った。おそらくハルマのこの着こなしのことで実家とは何やかやとあるのだろうな、と思った。しかし、ハルマが和装でいることはむしろこのバーの集客の呼び水になっているらしかった。中性的で人たらしのハルマは客の男女を問わず人気がある。酔った女性客に口説かれる様子を見かけることも一度や二度ではなかった。そんなときは、それとなく薬指の指輪を見せて、
「子どもがまだ小さいので」
と、言うのが
「子どもさん、いるんだ!」
「今6ヶ月なんですよ」
「いいね。今一番楽しいときなんじゃないの?」
「いやー……そうでもないですよ。嫁とはケンカばっかりです」
そう言って苦笑いするとき、ふだんは凜とした眉が八の字になるのが可愛かった。本当のことを言っているのか、客をあしらうために嘘をついているのか、真実がわからないところもハルマの魅力だった。宮津くんもそれがわかっているのか、ハルマが返答に困るような冗談ばかり言って彼をからかう。ハルマも満更ではない様子で、その冗談にふざけて返してみせるのが、定番のやりとりになっていた。一度など、ふざけたハルマがぽろっと宮津くんの秘密をバラそうとしたことがあった。焦った宮津くんは、急いでハルマの口を塞いだ。すると驚いたことに、ハルマは宮津くんのその手を取って、ぱくっと指を咥えたのだ。ちゅうちゅうと小指を吸いながら、にたっと笑うハルマは、早熟な子どものようだった。
冷や汗だらけの宮津くんがトイレに立ったとき、「トモコさんにだけ言うんですけど」と声をひそめたハルマが私に近寄って来た。
「……実は別れようか迷ってて」
「え?奥さんと?」
「うん」
「どうして、また」
「他に……好きな人ができちゃって」
カウンターに肘をついて上目遣いに私を見るハルマは、何か言いたげな面持ちだ。八の字の眉の下の瞳からは、悲壮感や葛藤はあまり読み取れない。むしろ自分の落ちている恋に逆上せているように感じられた。家族に対してあまりにも無責任ではないか、とか、ハルマに好かれるような人はどんな人だろう、とか思うことはいろいろあったけれど、私は何も言わなかった。というか、ハルマに対して何か言える立場ではない気がした。「ユウタには内緒ね」と含み笑いをして、ハルマは他の客のところへ行ってしまった。私はその後ろ姿を、ずっと見ていた。
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