最悪の魔法
石田宏暁
二刀流
城壁の前にはSランクの死骸が溢れていた。言葉の通じない魔獣の姿は様々だ。硬い鱗に覆われたリザードマンや醜悪で腐敗した肉体を持つオーガ。妖艶なサキュバスや骸骨騎士。
魔法学者として様々な魔法を研究していた俺は、いつかこの長引く戦争を終わらせたいと思うようになった。
「うっげえええええっ! おえっ」
冒険者たちは歓喜の声を上げていた。魔法使いの女や体格の良い僧侶が、持参していた酒やポーションを振る舞い、吟遊詩人と道化師は古い楽器を取り出して派手な音楽を奏でた。
「大丈夫かい?」銀色の大盾を背に、
「いいや、少しは戦闘経験がある。肩書は学者だけど、黙っていられなくて」
「ふぉふぉふぉ、だが魔獣の死骸が怖いのかい」震える背中をさすりながら老騎士はほくそ笑んでいた。不思議な者をみるように聞いた。「途中からずっと吐いてたよな」
「……お、俺は」
何が起きたのかは分からなかった。いや、分かりたくなかったのかもしれない。目の前に広がる魔獣の死骸は全て、人間だったという事実に。死体の焼けた匂い、散らばる手足や、潰された頭。飛び出した臓物。
目前の火炎魔法を逆流させようと、術式を反転させたとき……俺は気づいてしまったのだ。魔獣に見えるのは、全てただの人間だった。幻覚魔法によって人間が人間を殺していたという事実に。
「ふっ、派手な戦士や妖艶な魔法使い。女勇者は防御力より、露出度が優先なんて輩もいるくらいだ。魔物討伐なんてビビることはない。みんな殺戮を楽しんでるくらいだっていうのに……あんたは変わっておるの。チームは
「ちょ、ちょっとごめん」
俺は人をかき分けて城壁の先を見た。フードを目深に引きかぶり、すっぽりと顔を覆った男が一人、立っていた。
重ね着したローブに身を包んではいるが、二本の長剣を腰に吊るしているのが分かる。鱗鎧の老騎士は、軽く舌打ちしてローブの男を見た。
「なんじゃい」老騎士は肩をすくめて呆れた声を出した。「あいつは
「……」
フードの男は一人、城壁に背を向け海原のように広がる沼地へ向けて歩いていた。陽が傾くこの時間にそこへ行く人間がいるとするなら、丘のあいだに口を開けた沼と同じくらい深く陰々たる旅人だろう。
「待てって、まさか今から城壁を出るつもりか。沼地には魔獣がうろついてるってのに」
「あいつが誰か知ってるのか?」
「ありゃ魔獣にも人間にも属さない
「……ありがとう。お、俺はやつに用事がある」
※
匂いはなくなった。沼地に面した洞穴を下っていくと、月明かりの差し込む美しい水場があった。男は影のように音もなく足を止め、俺を見下ろしていた。右手は剣の柄に掛けられている。
「城の人間じゃないな。素人が戦争の見物か」
「机上の理論では片付かなくてね。二刀流の剣士、人間にも魔獣にも属さない
「失せろ」
「教えてくれないか。どうして人間が魔獣の姿に見えるのか」
「……知っているのか」
男はフードをおろして、じっと目を向けた。青い瞳に短く刈られた黒髪。容姿よりずっと若く、たくましい肉体が上等な武具に包まれている。男は岩に腰をかけるとゆっくりと話し始めた。
「人間どうしで殺しあうのは効率が悪いからさ」
「な、なんだって?」
「実際に人間相手に弓を引く人間は二割も居ない。敵前逃亡だってするし、なんで人間同士で戦わなきゃならないんだって疑問が先にくるんだ。誰だって人殺しにはなりたくないからな」
「フィールド魔法とか、幻術のたぐいなのか」
「ああ、火球を撃ったり氷壁を作りあげるなんて魔法は、私から言わせれば子供の遊びだ。問題は人間をどこまでも残酷にし、殺戮に駆り立てる最悪の魔法……幻覚魔法だ」
「ま、まさか魔獣なんてものは……はじめから居ないのか」
「ああ、あんたらは人間どうしで争いを続けている。お互い味方の軍隊に幻術が仕掛けてあって、ただの人間が魔獣に見えているだけだ」
誰がどうしたら、そんな恐ろしいことを考えつくんだ。人間を人間と思わなければ、醜悪なモンスターだと思えば、戦闘に夢中になって殺戮を楽しみ、陶酔する者すら現れるのだ。それはもっとも恐ろしい魔法ではないか。
「誰が、何のためにそんな――」
「君たち自身が、同意しているんだよ。戦争を早く終わらせるために、人間を殺さなきゃならない。だが精神的苦痛に耐えられなくなって、精神を病む者が続出したんだよ。だから自分に都合のいい事実が見えるように求めたんだ」
「嘘だ。俺は知らない、そんな覚えはない――」
「自軍に登録するときに幻覚魔法が施される。あんたは何も考えず、自分で考えもせず、一方的な視点で物事を見ようとした。戦争はどんな理由があっても認めてはならないという現実から目を逸したんだ」
「な、なんてことだ。魔獣を討伐することに疑問すら持たなかった俺が、俺自身がそう求めたっていうのか」
「敵は、言葉の通じない魔獣。そう思い込めば、罪悪感にとらわれることはない」
「ま、間違ってる。そんなの、そんなの、どうすりゃいいんだ」
一方的な偏見を持って相手を見ていたら、いつまでも戦争なんて終わるわけがないじゃないか。どちらかが完全に殲滅、抹消されない限り、殺戮は止まらない。それでも俺は、この戦争を終わらせたい。
「……なんとかして、この戦争を止めなきゃならない。目がさめたよ」
「ほう、意外と学者ってのは実行力があるのかもしれないな。物事を違う視点で見ることに抵抗がないようだ。教えてやるよ」
二刀流を。
最悪の魔法 石田宏暁 @nashida
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