双剣のカズンと最果てのアンナ

真朱マロ

第1話 双剣のカズンと最果てのアンナ

 その男は、森の中で木にもたれ、眠っているようだった。

 目深なフードで木の葉から漏れる日の光を避けているが、すぐに動けるようにかマントは軽くはおっているだけだ。使い込まれた装備や防具も体になじみ、明らかに戦う者だった。

 なにより目立つのは、その腕の中にある、二振りの剣だ。


 薬草を取りに森に踏み入ったアンナは、男の姿に戸惑った。

 辺境というよりも僻地と呼べるこの場所に、余所者がやってくることは稀だ。

 ましてや、戦いを生業とするような者が生きていく糧など、この地にはほとんどない。

 来るとするならば、荒事で問題を起こし、街から追われたはぐれ者ぐらいか。


 災いを招く者である可能性に、村長に伝える義務を思い出した。

 アンナは息をひそめて、首に下げた警笛を握りしめたまま、そっと後退る。

 しかし、その瞬間。


「待て。俺は領主の依頼で来た」


 音もないのに、動いた空気に男は顔をあげた。

 いつから気付いていたのか、フードの影から鋭い眼光がまっすぐにアンナを射抜く。

 その証であると軽く見せた男の左腕には、紋章を縫い付けた腕章がふたつあった。

 見間違うはずもないその紋章のひとつは領主のもので、もうひとつが王国直属の証であったから、アンナは驚いた。

 国から派遣された騎士団は一目でそれとわかる鎧を身につけているものだが、男は流れ歩く傭兵のようにしか見えない。

 それに愛刀らしい剣の数を考えれば、明らかに騎士ではない。

 警戒を解かず、戸惑ったままアンナは尋ねた。


「領主様のお声がけなら、どうして、こんなところに?」


 男の強い視線が恐ろしくて、首元にぶら下がった笛を握る手に力がこもってしまう。

 怪しい者や危険物を見つけた時は、笛を吹いて村に知らせねばならない。

 この男がここにいるのが領主の依頼だとしても、村長の所に行かないのはおかしいのだ。

 

「数日、森に入るなと村長には伝えたはずだが、聞かなかったのか?」

「確かに知らせはありましたが、昼の短い時間なら大丈夫だと……」


 それにこの数日は、年に一度しか採取できない貴重な薬草の花が咲くので、時期を外せなかった。

 薬草の名を告げると男は短く「なるほど」とつぶやいた。

 どうやらその花を知っていたらしい。

 少し思考を巡らせていた男は、もう一度「なるほど」と言って立ち上がると、双剣を腰に携え、後ろにフードを払う。

 短く刈った黒髪と紺碧のような瞳が印象的な男だった。


「理解した。村に戻るまで、俺から離れるな」


 当然のように言われ、アンナはひどくドギマギしていた。

 同年代の異性と話すことも稀で、心臓がうるさく跳ねる。

 二十歳になったばかりのアンナは、僻地では行き遅れである。

 同じ年ごろの青年は街に出てしまったし、残った者は早々に美人の幼馴染と結ばれていた。

 気を抜けば鳥の巣のように絡まる癖のある枯草色の髪とソバカスの散った、美人とはいいがたいアンナに来る縁は、自分の歳を倍にしたような男の後妻の話ばかりだった。

 断る自由があったのは、せめてもの救いである。


 アンナ自身は知らない事だが、薬師の素質があったのも影響して、村人も独占を避ける意識が働いて、特定の誰かの妻となるのも望まれていなかった。

 恋や愛を知らぬ、無垢なままで育てられていたアンナは、異性とこうして話すことも稀だ。

 ましてや、アンナと同じ年頃に見える、男の存在そのものに慣れない。

 しかし、断る選択肢はなかった。


「俺の名はカズン。おまえは?」

「アンナです」


 男が確かめるように「アンナ」と小さく繰り返すので、思わずうつむいて胸を押さえた。

 心臓がうるさく跳ねていたかったけれど、同じようにカズンの名をつぶやく勇気はなかった。

 防御と守護の力がある呪符だと出されたのが白いリボンで、それをなんでもない調子で髪に結ばれたときには、さすがに頬が熱くなってしまう。


 それでも、そんなことより……となんとか気を鎮めて、薬草摘みに意識を戻す。

 なにを話せばよいのかわからなかったから、アンナは先に立って歩き出した。

 それでも気になるから、チラチラとカズンの様子を盗みして、そのたびに目が合うので慌てて地面に目をやった。

 上手く話せないアンナの様子をいぶかしがるでもなく、当たり前の顔でカズンがいてくれたことが嬉しかった。


 しばらく歩いて薬草がある場所に来ると、木に絡みつく蔦に小さな青い花が視界を埋めるほど咲いていた。

 根や葉も薬にはなるがそれは年中採取できるので、今日のところは花首ごと摘み取るだけだ。

 背負っていた籠を下ろし、花が潰れぬようにそっと摘み取った花を入れていく。

 薬になるような草木は得てして独特の匂いに悩まされるが、青い花に香りはほとんどないので、摘み取るのも苦ではなかった。

 夢中で摘み取っているうちに、カズンのことをすっかり忘れていた。

 思い出したのは、不意に声をかけられた時だ。


「アンナ、その場を動くな」


 穏やかな声だったので、何も考えず振り向くと、視界の端にパッと赤い霧が散った。

 遅れて「ギャン!」という断末魔が響き、ヒュッと息を飲む。

 驚きに目を見開くアンナの眼前で、白刃が二筋の光の尾を引いて閃いた。


 手傷を負った魔獣はすぐさま木立の影に紛れ、再び違う方向から別の影が襲う。

 犬にも狼にも似たその獣は、額に一本の角があり、群れで動く。

 縦横無尽に森の中を駆け回り、時には木の幹を駆けあがって、上空からカズンへとその鋭い牙をむいた。

 

 対するカズンは、舞うように剣を振るっていた。

 木立の間から飛び出してきた魔獣を右手で薙ぐと同時に、左手で別の個体の牙を防いでそのまま断ち割った。

 吹き上がった血しぶきは青い花を赤く染め、ズサリと思い音を立てて地面に落ちる。


 獣の息遣いすら裂く恐ろしいほどの切れ味で、一振りで魔獣の首が飛んだ。

 ヒラリと、キラリと刃がひるがえるたび、獣は赤く染まって動かなくなっていく。

 武骨な容貌のカズンだが、その動きは華麗な舞手にしか見えない。

 しなやかな身のこなしで、優雅な所作で剣を振るう。

 命を断つ冷徹な刃は赤く染まらず、まるで美しく花開く白光の花びらのようだった。

 

 木立にまぎれ現れて消える魔獣が一体何頭いるのか、それすらもアンナにはわからない。

 カズンに渡されたリボンの効果のおかげか、魔獣たちはアンナの存在に気づかないようだ。

 だから、カズンが全ての魔獣を屠るまで、息を殺してその場に立ちすくむことしかできなかった。


 刃を伝う血潮を振り払い、カチン、と双剣を鞘に納めたその瞬間。

 アンナは力が抜けて、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。

 言葉も失って、フルフルと小さく震えているアンナに、カズンは小さく笑った。

 突然の出来事に、呆然としているのがわかったのだ。


「花は、まだ摘むか?」

 いいえ、とアンナはかすれる声で否定する。

「俺が怖いか?」


 いいえ、とアンナは確かな声で否定する。

 怖くはないけれど、まだ、状況が理解できないままだ。

 とりあえず、生きている。そのぐらいしか頭が回らなかった。


「立てるか?」

 そう言って手を差し伸べられたときに、アンナはようやく息を大きく吐き出せた。

 武骨な手はたった今、魔獣を屠った殺戮の手であったが、返り血ひとつついていない、大きな手だった。


「ええ、はい」

 カズンの手を取って立とうとしたけれど、へにゃりと腰が抜ける。

 焦って立ち上がろうとしたところで、ヒョイと持ち上げられ肩に担がれた。


「え? カズンさん?!」

「下りれば汚れるぞ」 


 軽く言われて、思わず下を見てしまった。

 死屍累々と魔獣の死骸が絨毯になっているような光景に、アンナは意識が遠のきそうだった。

 咲き乱れた花で青かったはずの世界が、滴り落ちるほの暗い赤で染め変えられている。

 

 プルプルと震えて怖がっているアンナが、おびえのままにギュッと服にしがみついてきたので、カズンは軽く笑った。

 自分のことを怖がっていないのも理解できたし、見知らぬ男だから頼りたいけど恥ずかしいといった顔で戸惑っているのも愛らしく感じて、意外とこういうのも悪くないと思う。

 単独行動が多いカズンにとって、他人が煩わしくないというのは非常に珍しい事である。

 このお嬢ちゃんと縁でもあるのかね。などと思いながら、スタスタと村を目指して歩いた。


 この僻地は、数十年に一度の魔獣が活発化する時期に入る。

 斥候として訪れたカズンは、しばらくこの地で活動することになっていた。

 村長の家は家族が多かったので、定番である村長宅への宿泊には気のないカズンだったが、空き家を借りて拠点を村に置くのも悪くないと思考を巡らせ始めた。


 右手にアンナ。左手に青い花でいっぱいの籠。

 見知らぬ男の唐突な村への来訪に、村人たちが騒然とするのは、このすぐ後のことだ。


 これが、王国が誇る魔獣討伐隊の「隠し玉」と呼ばれる双剣のカズンと、後に王国の治療院に引き抜かれ「最果ての薬師」と重宝されるようになるアンナの出会いだった。



【 終わり 】

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