第四十七章 野良ノロぎつね珍道中


 テーブルに着くと運よく店主が通り掛かった。これを止めない手はイタメリには文字通りなく、迂闊に目を離した隙に遠くへ行かないよう腕を引っ掴んだ。


 店主は客に対して不機嫌を隠さなかった。脇目からいきなり現れた手に掴まれ、厨房から運んでいる途中を料理を落とすあと一歩のところだったのだから無理もない。


 呼び留めた客の顔が、荒くれ者共が暴れる口実――火種になる街一番の厄介者ともなれば、怒鳴って緩まるはずの気も胸を食い破る勢いに燃え上がった。


「あぶねぇだろ! なんのつもりだ、この――」


 両手に携えた配膳のバランスを天秤になったつもりで取った店主。

 尻尾を踏まれた子猫のように悲鳴をどんな気持ちで上げたかなど知らず、イタメリはこれに注目しろと一本の指を姿勢よく立てた。


「おっちゃん、キンキンに冷えたエールにソーセージ。ミノタウロスのあそこよりぶっとく、上等なもんくれ!」


 新作の武具の構想に行き詰った時はこれに限る、とは親父の受け売りだった。炉に火が点いているのに鍛冶場を離れるとは職人の風上にも置けないが、外の空気で肺にこびり付く鬱憤を洗い落として、こうしてやり切ってみれば清々した。


 幼い頃の父の記憶に光明を見出し、うきうきと今後の展開に期待していたイタメリに、店主は唾を吐きそうな顔で言った。


「ふざけんならほかあたりな。こっちは忙しいんだよ、ガキのお遊びに付き合えないくらいにはな」


 非情な店主により突き放され笑顔を繕うイタメリの歯の根が合っていなかった。


「オレ、なんか……まちがえたかよ……」


 万が一にと問い質してはみるが、考えは変わらなかった。馬鹿な、こんなことあるはずが。


 酒場でお決まりの酒場の常套句はイタメリの頭の中では古ぼけてなどなかった。親父と顔馴染みだった店主もボケるのはまだ早い。頭皮の頭が薄いことと記憶との因果関係は皆無のはず。


「頭でも打ったかよ……? いい医者紹介してやるから、元気出せよ」


「鼠の糞溜めが天国になるこんな街に名医なんているか。もし本当にいるんならお前が診てもらえ。でもやっぱりいねえのが現実だから、親父さんに免じて特別に俺がちゃんとお前に言ってやる。いいか」


 ここを通る原因となった店主の後ろの席で、彼の届けた酒で乾杯する冒険者チームの声が割れた。


「未成年に出せる特別な酒は当店にはございません。貧乏鍛冶師の食えるソーセージも。お出口はあちらとなっております」

「そ、そんなぁ……。じゃあオレ、どこでどうやってストレス解消すりゃあいいんだよ」


 武器を鍛えるという神聖な儀式をストレスと言ってしまった泣き言を二度も言うつもりはイタメリにはなかった。酔っぱらった豚の巣で、店主だけが酒を呑んでいない人間だった。


 それに、冷静に『帰れ』と告げられたとあっては、口惜しいのを堪え出ていくしかない。


 出口から一番近い席にいたひょろりとした冒険者風の男が、足を投げ出してイタメリの進路を妨害すると酔った顔で言った。


「ヒッく……なんだちっちゃい嬢ちゃん、酒が吞みたかったのに、ざんねんだったな。よけりゃあ俺のをやろうか? ソーセージも食えるし、まさに一石二鳥だろ!?」


 片方の足を畳んで椅子に突き、ライオンの鬣が如く誇示してきた方向をイタメリは半眼で捉えつつ一応の確認を取った。


「てことは、なにか。そこから呑めって?」


 酒場中から冷えた笑いが上がった。


 どこぞの街ではお尋ね者で通っていたのだろう、それがこの街に流れ着いて早々、かわいそうに。


「口の利き方ぁなってねえなド三流!」


 イタメリの蹴り上げたテーブルの下敷きになり動けなくなっていた冒険者風の瘦せ男の貧弱な股間に、ドワーフの鉄の足が振り下ろされた。


「ハハ、こりゃあすげぇ!」

「いいぞ! それでこそ俺らのイタメリだぜちくしょうが」


 自慢にしていた棍棒を叩き折られ泡を噴く男をドワーフへの歓声が取り囲んだ。


「小鳥の足踏んだかと思ったぜ。腕のいい医者探して治してもらうんだな、ほかの街で」

「イタメリこの野郎! 店の弁償代、あとで鍛冶場まで持ってくからな!?」


 男の象徴を捻り潰したため気が少し晴れたイタメリに、店主の文句などなんのその、大手を振って酒場を出た。


 と活き込んではみたが痩せ男、ドワーフ、誰が言おうと虚勢は長くは続かなかった。失敗をこの目で見た直後だった分、イタメリの方がダメージが大きいとさえ言えた。


 成果がなにも得られなかった手はあまりにも寂しく、忍びなかったため重い頭を後頭部を支えるのに使ったイタメリは下唇を裏返した。


「どうもスッキリ冴えねぇ。なんだってんだ?」


 気分転換に口笛を吹きながら慣れた街道を歩いてみた。


 方向が変わったのは気持ちではなく、イタメリが進んで然るべき方角の方だった。


 鍛冶場とは反対方向を歩いている。


 なぜ戻りたくないのか、イタメリには初めての経験だった。鍛冶場に寄り付かないドワーフの気持ちなんて一生理解する機会はないと思っていたのにここに至って、そう悪い気が沸かないから不思議だ。


 あそこは、イタメリというドワーフのよく知る鍛冶場ではないような、そんな気がした。


 内装。道具。鍛え抜かれたわざの全てが自分のもの。炉に刻まれた傷の一つひとつが本物である証。


 記憶の正しさはイタメリ自身の脳味噌にあって、疑う余地などあり得なかった。

 ――あり得ないことが起きた。


 あの部屋の空気の清々しさを思い出すその度に、イタメリは吐き気を催しそうになる。だが決して不快ではない。満腹中枢を過剰に刺激されたような。


「だぁアアくそクソ! 答えなんか出やしねえのに。なにかで発散しないと。てことはやっぱ、アレになるか」


 むしゃくしゃする気持ちを解消しようと、イタメリは頭突きの儀カスパ・スタドゥに参加しようと会場に向かっている道中だった。頭が凝り固まったなら解せば、万事解決。


 ドワーフの頭痛に効くのは薬よりも、熱気、あと岩を砕く馬鹿で単純な衝撃である。


 噴水が見えてきた。街の中心部を抜けると会場まであと少し。


「いい加減にしろてめぇコラ!」

「ひぃいいい、おたすけぇ……!」


 泡のような濁った水をちょろちょろと吐く池。涸れる寸前の噴水にみどころなどないというのに、珍しく人だかりができていた。


「なんだ、喧嘩か」


 耳に入ってきた喧騒の程度にイタメリは感想のように呟いた。だが実際の現場が物語っていたのは一方的な怒号、その理不尽な暴力の渦に抵抗もできず泣き叫ぶ憐れな声だった。


 男共が寄ってたかって一人を噴水前でボコボコにする。この街で暴力沙汰など珍しくもない光景だったが、周囲はというと足を止め、興味を惹かれた顔つきで男達の足の隙を覗き込んでいた。


 足の間から這い出した人物は、この街の住民ではない。野次馬は薄々と勘づいてはいたが、その姿を見て確信に変わったらしい。


 事実、思ったイタメリもそのうちの一人だった。


 上半身を織り込んだように着る服を、イタメリは知識では知っていた。『着物キモノ』とかいう――転生者の間では呼んでいたか。


「てことは、あいつ、神に招かれた者か」


 まあどのような境遇で掃き溜めに迷い込み理不尽な扱いを受けていようと、イタメリには急ぐ予定があった。


 興味からも覚めて立ち去ろうとしたイタメリ。その足に爪を立ててしがみ付いてきた。


「おねがいします! たすけて……たすけてください!」 


 逃げた小娘を追いかけてきた男衆がイタメリごと包囲した。


『おうおうイタメリ、そいつをこっちに寄越しやがれ!?』


 全員に凄まれずとも、イタメリは張り付いた珍妙な生き物を落とそうと足を振った。


 がっちりと皮膚に吸い付いていて、取るには道具がりそうだった。


「たすけてください! たすけるまで、放しません! ご理解しましたか!?」

「庇いだてするんならテメェごとしめるぞ!」

「あー! うるさいうるさい! いっぺんにしゃべんな、どうするか決めてやるから一から説明しろ」


 足にしがみ付かれた状態のまま、とりあえず事情を少女からイタメリは吐かせた。


 それで懐柔されると踏んだのか、男達が少女の泣き声を遮り早口で話した。


 要約すると、顔馴染みのない女が自分達の縄張りで勝手に商売しようとしたから、制裁を加えたらしい。


「もう一週間近く、食うに困って水で飢えを凌いできた身なんです……。みなさんの邪魔にならないようにしますんで、商いをする許可を、どうかこの小娘を助けると思って、さあ」

「そのエラそーな言い方がいちいち癪に障るんだよ! 腹が減ったんなら路地で行き倒れたガキでもバラしてそれ食ってろ!」

「ご無体な……! あなたからも、なんとか言ってください!」


 少女が足から腰にかけてよじ登ってきた。この頭の中ではイタメリはすでに味方になって助ける流れになったようだ。


 無理やり引き剥がすのは簡単だが、これからのこともあり体力を温存させたいイタメリは、平和的な提案で両者を歩み寄らせることにした。


「じゃあ、お前さんが集めたこの人だかり、連中から金を集めるってのはどうだ?」

「イタメリ――」

「まあ最後まで聴けよ。商売に値することができるってのが証明したら、集めた金をテメェらに払う。それでこの嬢ちゃんには食いもんを渡してやれ。もちろん、代金に見合う分をな」


 イタメリの提案に、男達は顔を見合わせ渋々承諾の意を示した。騒動で手に入れるのが血から金に変わって彼らも幸いだった。


 彼らが豪語する縄張りなど、彼らの共同体の中の小さな認識に過ぎない。強い勢力に潰されれば、それで終わりだ。


 それなりの人目を引いてしまった状況で殴り倒した死体を放置でもすれば、新しい騒動を呼び込む狼煙になりかねかった。


「お前さんも、それ、もちろんやるよな?」

「あなたを強者つわものと見込んだあちきの眼に、狂いはありません。誠心誠意、稼がせてもらいます! ――準備しますんで、ちょ~っとお待ちを」


 やっと放れた足をイタメリは解し、少女の準備とやらを待った。


 準備と言っても、少女は頭に付けた面を顔に張り付けただけだった。


 狐をかたどった陶磁器の面とは、これまた珍しい。


 噴水の縁に立った少女は野次馬に見えを切った。


「さあさ――寄ってらっしゃい、そして感動してらっしゃい! 『奇術師タマ』の奇天烈爽快の十八番、ここに、ああここに開幕ぅうう!」


 少女が右手を下げると、袖の中からなんと鳩が現れた。


 左手を飛び回る鳩の後を追うように廻すと、袖の中に吸い込まれるように鳩は飛び入り、入れ違いに蛇が伸び少女の首に巻き付いた。


 少女が手を一回叩けば背後から猫。二回叩けば子犬が鳴いて少女の足許で飛んだり跳ねたり、驚く観客の足の下を駆け回った。


 最後に少女がカーテンコールのようなお辞儀で締め括る。はしゃぎ回っていた動物達も集まってきて、タイミングを合わせて頭を下げる動きを披露した。


 首の蛇さえ、こくりと頷くように頭を折っている。


 ――それを見た誰かが最初に言った。


「すげぇ……すげぇ!」


 歓声に口笛、そして銭が濁っていた噴水に投げ込まれた。


 男達の拳もすっかり開き、拍手を送っていた。


 歓声が止むのを待って、イタメリは噴水から下りた少女に聴いた。


「どうやったんだ、あのマジック」


 少女――タマはテイマーの〈固有ユニークスキル〉に目覚めた旅芸人だと名乗った。動物達と意思を疎通させ、連れ立てる動物に制限はない。


 彼女のスキルはテイマーでもかなり高位の部類で、動物を自分の支配する空間から出したり戻したりできる。


「いいのか、タネを教えちゃって」

「助けてくれたのに払えるもんも持ち合わせてませんから。あなたには特別ですよぉ?」


 抱えた犬に顔を舐められたタマは上機嫌に色目を使ってきた。最初からピンチではなかったようにその調子のつき方は巻き込まれた側からすれば目を覚まさせてやりたくはなる。


 だが、面白い手品を観賞しリラックスしたイタメリ。


 モヤモヤした気持ちは晴れ、なにか――閃く予感がした。


 彼女のマジックに新しいアイデアをイタメリが閃こうとした、その時だった。


 男衆の仲間の一人が、腕の根から血を流しながら現れた。


「おい、なにがあった!?」

「た……たいへ、ん……だ!」


 街に突然魔物が湧いてきて、人を襲っている。


 首領の問いに、男は最後の力を振り絞るように言い、気を失った。

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トロルの児 霊骸 @satsuki_kotone1011

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