ねずみ男

@pranium

1話完結

 安藤美咲は文学にとりわけ興味のある、普通の女子高生だ。


 インターネット上で文章をしたためては、同好の仲間の中で見せ合うことで、近況の報告を共有したり、作品として評価をし合ったりすることを長年の趣味としていた。


 美咲はシャワーを終えると、玄関で封筒を取り、髪も乾かさずに自室に戻った。今日の夕方に家のポストに入っていたこの封筒は、自分宛となっているが心当たりはなかった。彼女はそれの封を開き、好奇心半分、楽しみ半分に中に入っている紙を取り出した。ルーズリーフに書かれた手紙からは、女子高生らしい芳香が漂っていて、学校の友達のうちの誰かが送ってきたものなのか、またはインターネットの同士のものか、いろいろと予想を立てながら読み始めた。



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 安藤美咲 様


 いきなりのお手紙、失礼いたします。

 私は例の小説投稿サイトにて、あなたの作品に心を打たれた者の一人です。毎回、上質な文章を味わわせてくれるあなたに、この感想と感謝をどうしてもお伝えしたくて、これをお送りした次第でございます。

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 美咲は少し驚いて見せた後、素直に喜んだ。美咲はこういうファンメールをかねてから受け付ける設定にしていたのだが、実際に手紙がやってきたことはなかった。一介の女子高生の投稿活動には、そういったものは縁がないと思っていたのである。1枚目のルーズリーフには、この文章のここが良かった、ここが印象的だったと詳細な感想が事細かに書かれていた。


 彼女はベッドに勢いよく寝ころび、口元をほころばせながら続きを読むことにした。



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 さて、あなたのような多忙な方に送るのも面倒に思われるかもしれませんが、私もあなたの作品に影響され一筆したためてみました。2枚目からは、私の作り話を書いておりますので、少しでもお読みになっていただければ幸いです。

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 ルーズリーフは何枚かあって、2枚目以降には送り主の創作が書かれているようだった。美咲は初めてのファンメールに興奮していたため、送り主の創作に真正面から挑んでみたくなった。文章を書いて送ってもらったことに応えるように、送られた方も読了する。この書面による対話を大切にしてみたくなったのである。


 美咲はルーズリーフをめくり、ベッドに寝ころんだまま読み続けた。



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 これは、とある哀れな男の話でございます。


 男は40半ばにもなって、女もおらず、友人も親類もいない。さらには借金のカタに住まいをも失った、何もない男でありました。男は自害する男気すら無かったため、ひとまずその日の夜を過ごすための寝床を求めて、公園や廃墟を渡り歩いて生活していました。


 お若いあなたがご存知あるかは存じませんが、このような男の就職は困難を極めます。面接のための清潔な衣服や小物などの身なりを整えることも叶いません。もとより醜い容姿であったことも手伝って、誰にも好意的に捉えられずに、助けを聞いてもらうことも不可能なのです。男はすべてを諦めて、毎日ゴミ山や植え込みの裏で過ごし、ドブネズミ同様の生活を続けていました。

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 美咲はルーズリーフの2枚目の中盤にして、少し陰気な雰囲気を感じた。彼女の創作には大きなテーマがあり、それは恋愛小説であった。怪奇小説やエッセイも読まないことはないが、専門外といった印象だ。だが、人の創作の背景にはそれなりの考えや人生の憂いがあるということを美咲も理解している。彼女は黙って読み進め、それを受け止めることにした。



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 ある日、男はある屋敷に流れ着きました。その家は塀や納屋、日本庭園のような整った植え込みが敷地内に迷路のように入り組んでいて、いかにも金持ちの和風の豪邸といった感じでした。


 男は金持ちに対して醜い嫉妬心がありました。金持ちの栄華と自分の貧困の格差の理不尽さを呪ってのことでした。いらいらしながら屋敷の風景を眺めていると、この屋敷の住人に対する嫌がらせをせずにはいられませんでした。男はその嫌がらせの手段として、どうにかこの庭を生活に利用して、自分の生活の足しにしてやりたいと考えるようになりました。


 それからというもの、男は近くの公園や廃屋に住み着きながら、その屋敷を観察し始めました。そんな生活が3週間もすると、敷地内の人の流れや生活リズムのある程度がわかるようになってきました。


 その屋敷と言うのは、敷地が大きく2つに分けられています。正面門側の大きな庭や納屋があるエリア、もう一つの豪邸が鎮座している奥側のエリアです。敷地は立派な塀で囲われているのですが、奥のエリアというのは、建物と塀がほとんど密着しているかのように緊密になっていて、その隙間は幅1メートルあるかないかの隠された通路になっていました。そこには植木鉢の残骸や捨てるのを忘れられている粗大ごみが少々あるものの、屋敷の住人は普段の生活では全く使用していない上に、目にも留めていないことが分かりました。


 男はそれがわかるとある決心を下しました。この屋敷の、裏の通路に住んでしまうことにしたのです。


 男はその日の深夜には行動に移りました。彼は段ボールを持って屋敷の裏に忍び込みました。物音を立てないようにじりじりと動き、元からそこにあった粗大ゴミをゆっくりと動かして、誰かがこの狭い通路を覗いたときに見えないようにバリケードを作りました。男はバリケードを通路の両側に配置した後、薄い布で簡易な屋根を作り、中に段ボールを敷きました。すべての作業が終わってみると、そこはホームレスの男にとって快適な秘密基地が出来上がっていました。おそらく外側から見ると、粗大ごみを捨て損ねて仮置きしているだけに見えるでしょう。


 その日から、男は屋敷の裏に作った基地の中で生活しました。生活といっても、あなたがされているような清潔なものではありません。ゴミ袋から盗んだ生ごみをじゅるじゅると啜ったり、ぼさぼさの髪から一日中シラミの卵を取り除いたり、虫を拾ってペットボトルに集めるといった、カラスにも劣る汚い生活でございます。


 男は元からボロ雑巾のような野人の見た目でありましたが、狭く不衛生な場所に長く生活することで、醜さにさらに拍車がかかりました。


 ある日、男は退屈しのぎに、通路にある、1つの窓について調べることにしました。事前調査では、窓の中については通路の外から見えなかったため、中にどんな部屋があるのかは分かりませんでした。


 夜も更けてきた頃、男はバリケードを少し横にずらし、斜め上に見えていた窓の下まで歩いてしゃがみ忍びました。上を見ると、窓は鍵がかかっていて、ピンク色のカーテンが完全に閉められていました。中を見ることは叶わないか……、と思ったとき、両開きのカーテンの真ん中の合わせの部分に、少しだけ隙間が空いていることに気づきました。


 男は、住人にバレないように、カーテンの隙間に静かに顔を近づけていきました。ここで、男は非常に不潔な格好で、醜悪な容姿を極めていることを強調しておきましょう。男が緊張に震えながら目を滾らせて隙間を覗くと、一人の少女がパソコンに向かって作業をしているところでした。勉強机にノートパソコンを広げて何かを書いていて、男が斜め後ろから覗いている格好です。部屋は整えられていて、置いてある小物やぬいぐるみなどから察するにその少女の自室のようでした。


 男は十数年ぶり年頃の女の子を目の前にして、かつてないほど胸が高鳴りました。鼓動が耳まで響き、悪臭を放つ口からは否応なく乱れた呼吸があふれてきました。そうです、その少女に一目惚れしてしまったのです。


 その日から男の生活は一変しました。夕方、少女が学校から帰ってくると、特有の足音が聞こえます。足音がリビング方向へ行き、帰ってくると少女はパジャマと少し濡れた髪で部屋に帰ってきます。そうなると男は窓の前に立ち、汚れた目を限界まで開いて、窓の隙間から少女がパソコンで作業するのを眺めるのです。この観察行為は毎日、彼女が寝るまで欠かさずに行われました。


 毎日覗いていると、だんだんパソコンの画面の内容も見えてきて、彼女が恋愛小説を執筆していること、その詳細まで分かってきました。


 その小説の影響でしょうか、男は何週間も彼女を観察しているうちに、一人で恋を抱えていることが耐えられなくなってきました。そのうち、なんとかこの恋心を伝えられる方法は無いものかと思案し始めました。


 ある日、いつものように住人のごみを漁っていると、少女が捨てたと思われる少し残った香水と鉛筆、ルーズリーフを手に入れました。男は彼女の私物、特に香水の香りに大いに興奮しました。この香りが彼女の体を覆っていたのではないかという推測に、体の底から湧き上がるものが抑えられなかったのです。


 さて、賢い学校に通ってらっしゃるあなたなら、もうお気づきかと思います。


 今これを書いている時も、あなたから頂いた香水にまみれて、息を荒くしていることは、もうご想像なさっているかも知れません。あなたの恋愛小説に感化されて書いた、この私からのラブレターも、多少匂っているかもしれませんね。


 これで終わりにしたいと思いますが、どうか今夜は、このお話を読んで、窓を確認なさらないでください。そこにはこの瞬間も、私が目を滾らせて、あなたがこれを読んでいる様を、至上の楽しみに――。

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 美咲はここまで読むと、封筒とルーズリーフを投げ捨て、涙と震えをこらえながらリビングに走っていった。


 封筒には、切手も消印も無かった。

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