その町民、推理する。
星来 香文子
二刀流
男は両手に包丁を持った女に追われていた。
「うわぁぁぁやめてくれ!! 俺が悪かった!! 勘弁してくれ!!」
「許さない!! 絶対に許さない!!!! 待ちなさいよ!!!」
この二人、つい二ヶ月前にめでたく
男は二刀流で有名な剣術道場の師範で、女は美人でおっとりとした性格ではあるが愛想が良いと評判だった。
仲睦まじく暮らしていたはずなのだが、一体何があったのか……
鬼の形相で追いかけてくる妻から、顔面蒼白で必死に逃げる男の姿に町民たちが驚いて騒ぎになる。
「おいおい、なんだいアレは? 今のって、こないだ嫁に来たお
「知らんけど……あのいつもおっとりとしてる子があんなに怒るなんて、そうとうなことをやらかしたんじゃないか?」
「そうね……普通、いくら怒ったからって、剣術の師範に両手に包丁持って向かっていかないわよね」
何があったかわからないが、町民たちは様々な憶測を立て始める。
逃げている男————
なにせ師範なのだから。
たとえ、妻のお妙が包丁を振り回したところで、止められないはずがない……
「いや待て! あいつ、刀を腰に差してないぞ!?」
「それに、羽織ってる着物もちゃんと着れてないし、乱れてないかい? ……寝ていたところなんじゃ?」
「それは……流石に逃げるしかなさそうね」
「でももう昼間だろ? こんな時間まで寝ているか?」
包丁を持ったお妙が怖すぎて、そちらばかりに注目してしまったが、よく見ると寅吉はその辺にあった着物をなんとか羽織ったか、それとも脱ごうとしている途中のようだった。
胸元が丸見えで鍛え抜かれた腹筋も見えているし、下は下で、ふんどしが丸見えだ。
裸足で草履もはかず、そのまま家を飛び出したのだろう。
「ああ、わかったぜ!」
町民の一人が、ぽんと手を打った。
「きっと、あれだ! 女だ!」
「女……?」
「寅吉には、きっと他に女がいたのさ。ほら、あいつ結婚前はよく遊郭の用心棒とつるんでただろ?」
「あぁ、確かに!
「そう、辰之助だ! きっと、辰之助んとこの女とできてたのが、バレたんだろうよ」
辰之助というのは、寅吉の昔からの友人だ。
花街にいるせいか身なりには気を使っているようで、男にしては綺麗な肌に一見女のような顔つきだが、立ち上がるとみんなが辰之助を見上げることになるほど背の高い男である。
「あのお妙があんなにも怒っているのだから、きっと、浮気相手と一緒に寝ていたところでも見られたに違いない」
「なるほど……寅吉ったら、あんな可愛い嫁をもらっておいて————他に女がいたなんて」
「それは許せないな……」
町民たちはそれで納得して、男女のことなら別によくある話じゃないか……と、追われている寅吉を助けもせず、やれやれとそれぞれの家に戻っていった。
「許さない!! 絶対に許さない!!」
「まて、勘弁してくれ! 悪かった……!! 俺が悪かったって!! うわっ……!」
必死に逃げていた寅吉だったが、乱れた着物では走りづらく足がもつれて橋の前まで来たところで転んでしまう。
お妙は倒れた寅吉の上に馬乗りになり、左手に握っていた包丁を思いっきり地面に突き刺した。
「ヒィィィィっ」
寅吉の頬のすぐ横で、包丁がキラリと反射する。
あと数センチずれていたら、寅吉の耳は削ぎ落とされていただろう。
「あなたが悪いのよ? あんなことをして……」
寅吉は恐怖でガタガタと震えているだけで、おとなしくなった。
お妙は美人で、おっとりとした性格——姑に嫌味を言われても気づかないような鈍感なところがあり、寅吉はそこが可愛らしいと思っていた妻が、明確な殺意を持って自分を殺そうとしているのだ。
「あなた言ったわよね? 初夜の時に、私だけを一生愛してくれるって、他の女なんて絶対に作らない……って」
そう、寅吉は確かにそう言った。
寅吉の父には三人妾がいて、叔父にも一人……そのことで不安がってたお妙に、寅吉は絶対に他の女は作らないと誓ったのだ。
お妙はその言葉を信じ、今日まで寅吉に妻として尽くしてきた……それなのに……————
「だからって……————男をと浮気していいわけじゃないでしょ!?」
「す、すまない……でも、俺は……お前もあいつのことも愛してい————ヒィィィィィィィっ!」
お妙は、先ほど見てしまった光景を思い出してまた怒りが爆発し、右手の包丁を今度は反対側の頬の真横に突き立てる。
「しかも辰之助って……ふざけんじゃないわよ!! ぶった切ってやる!! あんたのも、辰之助のも!!!」
寅吉は、剣術も恋も二刀流だった————
「い、いやああああああああああああああああ!!!!」
お妙は懐からハサミを取り出すと、チョキンと寅吉の◾️◾️◾️を切る。
妻は三刀流になった。
— 終 —
その町民、推理する。 星来 香文子 @eru_melon
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