アマレットの符丁

悠井すみれ

第1話

「私は、ゴッドファーザーを」


 キールを注文した私に悪戯っぽい笑みをちらりと見せて、弓佳はいつものカクテルの名を告げた。ウィスキーに、アマレット。熟れ落ちる夕日を思わせる、甘く芳醇で、そして少し苦く強いお酒。

 私が頼んだのは、甘いのは同じでも、もっと軽くてフルーティなもの。白ワインに、カシスリキュール。ほんのりと紫がかったピンク色のイメージそのままに、華やかな味。


 グラスを合わせる代わりに氷をからり、と鳴らして乾杯すると、弓佳は琥珀色の液体で濡れた唇をほころばせた。


自棄ヤケ酒なんだからさあ、もっと強いのにすれば良いのに。せめてカーディナルとか」


 弓佳の悪戯な笑みは、つまりはそういう意味だった。彼氏の不貞に泣いて怒って、バーで親友に愚痴って飲み明かそうという夜に、何を上品ぶったものを頼んでいるのか、と。


「キールだって度数はそこそこあるよ。私がお酒好きじゃないの、知ってるでしょ」


 カーディナルは、キールの白ワインを赤にしたもの。その分渋みも強いし重厚な味。ゴッドファーザーを好む弓佳の好みには合うのだろうけど、あまりにも「お酒」な味は私の舌には馴染まない。


「ねー、なのに呑まなきゃやってられないんだよねえ。今日はお姉さんが朝まで付き合ってあ・げ・る」

「もう……言ったね? 今回はほんとさあ──」


 キールのグラスを一気に半分ほど飲み干すと、くらりとした目眩が襲った。この程度で酩酊してしまえる私は、自棄酒でクダを巻くことさえままならない。失恋のたびに弓佳を呼び出してはこんな席を設けるのは──私の代わりに呑んで欲しいから、なんて面もあるだろうか。


「浮気そのものっていうか……歯ブラシ忘れるみたいな雑さがほんと無理……」

「だからダメって言ったのにい。毎回引っかかっちゃうんだから」

「今回は大丈夫だと思ったの!」

「よしよし、美味しいもの食べて忘れよう。アンチョビガーリックトーストとか、どう?」

「……やだ。スモークサーモンのパスタにする……」

「はいはい」


 お酒と甘味の両方を好む人を指して、二刀流と言ったりするらしい。甘くて強いお酒が好きな弓佳も、それに当て嵌まるのかどうか。自棄酒ならぬ自棄食いに溺れる私と裏腹に、アマレットの甘さとウィスキーの香りでお腹がいっぱいとでもいうかのように、ドライフルーツやナッツばかりを摘まむ彼女は。


「おーい、起きてる?」

「……うん」


 どれくらい語ったのか──空の皿とグラスが並んだところを見計らって、弓佳が私の目を覗き込んで来た。その手には、三杯目くらいのゴッドファーザー。アマレットの甘く、少し苦いアーモンドの香りが彼女に染み込んでいるかのよう。隣に座っているだけで、酔っぱらうような。


「あとは、デザート?」


 私の額に触れる弓佳の指は、ひんやりとして心地良かった。私よりよっぽど飲んでるはずなのに、こっちのほうが酔ってるみたい。


「うん」


 気怠い気持ちで頷いて──私は弓佳の唇にキスをした。薄暗いバーの店内で、遅い時間も相まって、湿った密やかな音が響いても誰も気にしない。指を絡めて、身体に這わせたって。


「朝まで付き合うって、ほんと?」


 我ながら粘度の強い、じっとりとした声と目つきだったと思うけれど。弓佳の笑みは、飲み始める前と変わらず軽やかで悪戯っぽかった。


「違ったことあった?」

「……ううん」


 首を振ると、今度は弓佳のほうから唇を寄せて来た。続きは後で、と宥めるキス。この辺りに良い感じのホテルってあったかな。


 強いお酒は好きじゃない。でも、弓佳を通して味わうアマレットはほど良く蕩けて甘くて好き。微かな苦みも、背徳感を刺激して心地良い。私が毎度、どうしようもない男に目をつけるのは、こんな夜のためだったり? 弓佳がゴッドファーザーを頼むのも、私への符丁あいずなのかも? ガーリックを食べなかった私、おあずけみたいに食べずに呑むだけだった弓佳──理由は、あるのかないのか。


 甘くて良い香りで気持ち良いから、ぜんぶ、どうでも良いけれど。


 

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アマレットの符丁 悠井すみれ @Veilchen

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