シナリオ

〇実家(育ての父)


語り 「渋谷利明(しぶやとしあき)というのが僕の名前。だけど利明は、僕の本当の名前ではなかった」


舞台の上を歩くなど動きを見せる。


語り 「産後すぐに妻を失った父は男手ひとつで子どもを育てていたけれど、その愛息子も一歳の誕生日を迎える前にこの世を去ったという。喪失感を埋めるように父は僕をこの家に迎え入れ、あろうことか本物の息子と同じ名前を養子である僕につけた。利用の利に明るいと書いて利明。だけどそれは僕の名前じゃない、養子である僕はこの家の本当の息子じゃないのだから」


床に座る。(役が変わる毎に座る位置を変えたり身体の向きを変えたり)


利明 「本当の家族の元へ帰ります。利明という名前は、本物の彼に返します」

育ての父「お前だって本物の利明だろう。血は繋がっていないが俺の息子だ」

利明 「父さんの息子は僕じゃない。名前だって僕の為に考えてくれたわけじゃない……もうやめます、渋谷利明という人間をやめて、僕は本当の自分を探しに行きます」


語り 「それまでの人生は全て捨てた、会社を辞めて友人との縁も切った。貯金があったことが幸いだけど、よく考えたらこれも本物の利明が受け取るはずだった報酬……まぁ、少しくらい僕に恩恵があってもいいか。本当の自分を見つけるまでの間もう少しだけ、利明の名前を借りておこう。まず、本物の両親と本当の名前を探そうと思った。それを見つけるのは案外簡単なことで、利明の父が教えてくれた」


 座って話をする。


利明 「知り合いの息子さん?」

育ての父「あぁ……育てることができないのに子どもを引き取ると約束し、どうしようか悩んでいた時に俺の顔が思い浮かんだらしい。もう一度息子に会いたいと落ち込んで堕落した生活を送っていた俺に、子どもを譲ると話を持ちかけてきた」

利明 「それで妊娠中に、僕を養子に出す決意を」

育ての父「母親の行方はわからないが、父親の連絡先は知っている。だが本当に、会いに行くのか?」


語り 「迷うことなんてない。本当の父の居場所を知った僕はすぐに家を飛び出した。探すんだ、本当の自分を。僕は僕として本当の人生を生きる。僕が何者であるかを、突き止めるために」



〇アパート(産みの父)


 扉にある部屋番号を見つめ、手に持っているメモと照らし合わせる。


利明 「大久保(おおくぼ)、それが僕の本当の苗字。大小の大(だい)の漢字に、久しいとか永久の久(く)、保健室の保(ほ)、その3文字で大久保」


 玄関のベルを押す。(SE ベルの音)

SE 扉の開く音


利明 「あっ……はじめまして。いや、お久しぶりです。父……いえ、利明の父から連絡があったと思いますが、あなたの本当の息子です」


語り 「外観からしてボロボロの古いアパート。部屋の中は物で溢れ返っていて、お世辞にも綺麗とは言えなかった。テーブルは見当たらず、僕らは膝を突き合わせてささくれた畳の上に座った」


  床のゴミなど払い除ける仕草をして、座る。


生みの父「あれから三十六年も経ったのか」

利明 「僕が生まれたのは、あなたが十四の時と聞きました」

生みの父「あぁ、今年で五十になる……すまなかった」


語り 「ほろりと涙を流したあと、彼は堰を切ったように話を始めた。僕の母親のこと、出生のこと、その後の人生設計。彼女に母性はない、産まれた子は父が引き取ると約束した。だけど産み育てることが出来ないと悩んでいた時に、紹介されたのが利明の父親だった。当時まだ中学生だった父は喜んで僕を差し出したが、社会を知っていく中で僕を捨てた事を後悔し始めた。はっきりと絶望したのは、結婚していざ子どもを作ろうとした時。長い年月の間に身体が変化し、子どもを作ることが出来なくなっていたという」


生みの父「妻とはすぐに別れた。一人になった俺は毎日捨てた子どものことを考えていたが、今さら会いたいなんて言えなくて……君のほうから来てくれてよかった」

利明 「いえ……あの、それで、僕の本当の名前は何ですか?」

生みの父「名前? 君の名前は利明だろう?」

利明 「違うんです、それは僕じゃない、あの家の本当の息子のもので、僕は利明じゃなかったんです。僕に命を与えたのはあなたでしょう? 僕はあなたの、大久保家の子どもなんです。だから僕の、本当の名前を教えてくれませんか?」

生みの父「君が何を言っているのかよくわからないが、名前なんてないよ」

利明 「名前が、ない?」

生みの父「産まれる前に手放す事を決めたんだから、名前などつけていない。君の名前は利明だろう、違うのか?」


語り 「僕は絶望した。名前なんてなかった、最初から。僕は彼の息子ではあるが、大久保なんたらという大久保家の人間ではなかった」


 正面を向く。


語り 「僕は一体、何者なんだろう?」


〇新居(妻)


語り 「答えを見つけるきっかけをくれたのは、新しい家族だった。改名したらいいじゃないですか、と彼女が言った」


 女性らしい仕草。


妻  「結婚したらどちらかが苗字を変えることになるでしょう、稼ぎ頭は私なので、苗字も私に合わせてください。秋徒(あきと)さんというのはどうでしょう? 季節の秋に徒歩の徒(と)で秋徒、田畑秋徒(たばたあきと)、それがあなたの新しい名前」


語り 「新しい人生のスタートは好調だった。優しくて可愛い妻に綺麗な家、生活費は妻の収入だけで賄えた、むしろ余裕のある贅沢な暮らし。主夫として過ごすことが暇になった僕はある日、趣味で書いていた小説をネットに投稿してみようと思った」


 顎に手を当てるなど、考える仕草。


利明 「ニックネーム、名前を考えないと。本名の秋徒から一文字とって、前の名前の利明や大久保を使ってもいいな。漢字を組み合わせて……名前を、考える?」


 照明暗く。


語り 「名前を考えるだって? 偽物の名前を自分につける、それは僕が秋徒という名前を与えられたことと、何が違うんだろう? 社会的には僕は田畑秋徒という人間だ。だけどそれは妻がつけた架空の名前、偽物。いや、それを言い出したらキリがない。産まれた時に与えられる名前だって、親や誰かがつけたもので……名前とは、その人の存在意義とは何なんだろう? 本当の自分ってなんだ? 僕は一体、何者なんだろう?」


 照明戻る。


利明 「あぁ、ごめん。考え事をしていたんだ。大丈夫、少し吐き気がするだけで……つわり? 違うよ、だって僕は……え?」


語り 「本当の自分とは何か。僕がその答えを探して悩んで彷徨っている間に、妻の腹には新しい命が宿っていた。妊娠二ヶ月、八ヶ月後に僕は、父親になる」


 照明変化。


語り 「わからない……僕が誰かの親になる? 無理だ、理解できるわけがない。自分のことすらわかっていない僕が新しい命と向き合えるはずがない。僕はどうしたらいいのだろう。本当の自分を見つけたい、自分が何者であるかを知りたかっただけなのに……だけどやはり答えは見つからず妻が臨月を迎え、出産予定日まであと二週間となった」


 照明戻る。


妻  「秋徒さん、りんごを切ってくれない? お腹の子どもが食べたいって言ってるの」

利明 「自分が食べたいだけだろう。いいよ、ちょっと待ってて」

妻  「皮は剥かなくていいわ、そのままでお願い」

利明 「僕はりんごの皮が嫌いなんだ、悪いけど皮は剥くよ」


 りんごを手に取り、ナイフを入れる。


利明 「そういえば、君もりんごの皮が嫌いだよね? どうして今日は、皮を剥かないでなんて……」


 後ろを向くと同時、りんごとナイフを放り投げて床にしゃがみ込む。


利明 「どうした? お腹が痛い? 産まれそう? ちょっと待って、すぐ病院に……」


 立ち上がろうとするが、腕を引かれて再びしゃがみ込む。


利明 「腹を撫でて欲しいだって? 先に電話を……わかった、ええっと……」


 探り探りで腹を撫でる動作。

 途中でぴたっと、手を止める。


利明 「今、声が……お父さんって、子どもの声が聞こえた……そんなはずないよな、だってまだお腹の中に……あぁ、ごめん。そうだな、病院に電話してくる」


 立ち上がって電話をかける。


利明 「妻が腹が痛いと言い出して、それで子どもの声が……あぁ、いえ、えっと……お父さんと、僕のことを呼んだんです。今日産まれる……僕は今日、父親になるんです」


 照明変化。


語り 「産まれたのは元気な男の子だった。きゅっと握り返してくる手が小さくて温かくて、新しい命が生まれたのだと僕に教えてくれた。……僕はその日、息子の父親になった」



〇新居(三年後、息子)


利久徒「おとうさん、りんごたべる。あかいかわはとらないで、キラキラしてきれいだから」


語り  「三歳の誕生日を迎えた息子が、僕にそう言った。どうやらあの時、僕がりんごの皮を剥こうとしたことが気に入らなくて、腹の中で暴れ回ったらしい。ありえない、偶然だとは思うが。僕たち夫婦は、それが正解だと信じている」


利明 「いいよ、うさぎさんにしてあげよう。これを食べたら、お爺ちゃんのところに遊びに行くよ」


語り 「息子には祖父が三人いる。妻の父であるお爺ちゃんと、僕の育ての父であるお爺ちゃん、僕の生みの父であるお爺ちゃん。孫の顔を見せに行ったとき、僕の父達は涙を流して喜んだ。また遊びに来るよと言った僕の目からもまた、涙が零れ落ちた」


  照明変化。


語り 「本当の自分が何であるかの答えは、まだ見つかっていない。だけど一つだけ確かなことは、僕はこの子の父親だということ。同じように、僕を育ててくれた人も、命を与えてくれた人も、僕の父親という確かな存在なのだ。そう思わせてくれたのは、僕に父親という存在意義を与えてくれたのは、三年前に誕生した息子だった」


  歩くなど、少し動きを見せる。


語り 「そういえば僕が小学生の頃、名前の由来を発表する授業があったな。この子もそれをするのだろうか。その時が来たら教えてあげよう、君の名前は漢字にするとこう書くんだ」


  空中に文字を書く。 (映像なら、文字を画面に映し出す演出なども可)


語り 「利用の利(り)、久しいとか永久の久(く)、徒歩の徒(と)、その三文字で利久徒(りくと)。お父さんの最初の名前は利明、利用の利(り)に明るいと書く。お父さんを産んでくれたお爺ちゃんの苗字は大久保だったね、大きいに久しいに保健室の保(ほ)、久(く)はりくとと同じクだよ。最後に、お父さんの名前は秋徒だね、季節の秋に徒歩の徒(ほ)。さぁ、もうわかったかな? 君の名前の由来はね……」


<幕>


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君の名前の由来 七種夏生 @taderaion

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