第3話 I tame "Sí" u my...

Act.1


 男の手にしたスマートフォンには『肉のトミイチ』の表示があった。

 コールしてすぐに電話はつながる。

 相手はただ一言「要件は」と尋ねた。


「出荷したい。和牛六頭、とさつ済み。場所は――」


 彼は通話を切ると、おもむろに一服つけた。

 生臭い空気と共に部屋を漂うタバコの紫煙が、ゆるゆると換気扇に吸い込まれてゆく。

 革張りのソファーにどっかと座り、真っ赤に濡れたテーブルをカウチ代わりに脚を乗せて。


 開け放たれた金庫からは、大量の『お好み焼き粉の袋』が雪崩を起こしている。

 一部には焦げた穴が穿たれており、ぶすぶすとくすぶっていた。


 この部屋にはいま七人の人間がいるが、動いているのはたったひとり。

 ほかの面子メンツはただ、どす黒く変色してしまった高級そうな絨毯に突っ伏したままピクリともしない。


 しばらくするとさらに三人の人物がこの部屋に現れた。

 皆、『富一』と染め抜かれた揃いの前掛けをしているが、ふたりはガタイのいい若者で、いまひとりは長い眉毛が印象的な老人だった。


 若者たちは入室するやいなや、動かなくなった輩を手早くシーツにくるむと、さらにラップをぐるぐると巻き付けて即席のミイラを作り上げた。

 彼らはそれを軽々と担ぎ、ものの数分で部屋から運び出していく。


「派手にやったな」


 老人は男にそう語り掛ける。すると男は珍しく、不器用な笑みをもらした。


「おやっさんほどじゃない」


「褒め言葉として受け取っておくよ」


 部屋からはすでに最後の即席ミイラが運び出されていこうとしていた。

 老人は去り際に「そうそう」と、無地の紙袋を男に手渡す。


「頼まれていただ」


「確認していいかい」


「お好きに」


 男が紙袋のなかをのぞくとそこには、赤茶けた肉塊が無造作に押し込まれていた。

 脂肪が少なく良質な赤身のみを有した厳選素材を、職人の手仕事によって丹念に熟成された最高の一品。

 イタリアのパルマ、スペインのハモンセラーノと並び、世界三大ハムに数えられる、その偉大なる肉の名は――金華ハム!


「混じりっけなしの300グラム……末端価格でいくらになるか分からんシロモノだ」


「ありがてぇ……ふ、ふふふふ……」


「むふふふふふ……」


 だ~はっはっは!


 壊滅したヤクザの事務所で、狂気の声がこだまする。



Act.2


 男は【仕事】が済むと、金華ハムの入った紙袋を後生大事に抱えてアジトへ戻る。

 いつものフィリピーナに声を掛けられ、ただいま世俗の垢を落とし中だ。

 一通りの洗体を受けたあと、ごわごわのタオルが敷かれたベッドにうつ伏せになって特殊なマッサージをされている。


「コロシヤ、オマエ、ウラマレテル?」


 サービスを受けている間も横目でチラチラと金華ハム入りの紙袋を見ていた。

 恨まれてなんぼのこの稼業。

 身に覚えなどいくらでもあるが、はやる気持ちを抑えて「なんの話だ」と聞いてみた。


「キノー、ウチノコ、コロシヤノコト、キカレタ。ナニハナシタカ、シラナイ。キヲツケテ」


「……」


 最後にもう一度シャワーを浴びる。

 ほかほかにほぐれた身体は、いつにもまして軽かった。それは手にした紙袋のおかげか。


 男はフィリピーナの店を出ると、同ビル内にある自分のアジトへと駆けていった。

 まだまだ夜は始まったばかり。

 狭い階段では、上階の店から降りてくる登楼客とは何人もすれ違う。


 いつものことだ。

 そして金華ハムで頭がいっぱいになっていたことを差し引いても、男の油断を責められるものではないだろう。


 だから――。


 階下からドンっとぶつかられたひとりの暴漢。

 フードを目深にかぶり、低く構えたナイフの一撃に対応が遅れた。


「お、ッ!」


 一体どちらが襲っているのか。怯えた表情で暴漢が言う。

 きっと何度も練習したのだろう。ほかに言うべきことなどいくらでもあるのに、意趣返しとばかりに吐かれたセリフ、男は状況もわきまえずニヤリとした。


「『マサ』か……」


 あの日の【仕事】で掛かってきたスマホの着信画面。そこに表示された名前を思わずつぶやいた。予想しなかった男の反応に『マサ』は心臓を掴まれたかのように動揺して、後ずさり。文字通り階段を転がるかのごとく、腰砕けになって逃げてゆく。


 一方、男は刺された患部を手で圧迫して出血を抑える。

 長年の勘というヤツか『マサ』がぶつかってくるタイミングでとっさに腰をひねっていた。

 まともに食らっていれば腎臓か肝臓を突き破り大出血のところを、脇腹の脂肪と外腹斜筋を少しえぐられただけで済んでいる。

 即死は免れた。だが痛い。痛いなんてもんじゃない。

 プロならいざ知らず、チンピラの下手くそなナイフ傷はハンパじゃなく痛かった。


 それでも何とかアジトへと着くと、男はおもむろに戸棚から高度数のウォッカを取り出して傷口を洗い流した。


「――!」


 声も出ないほどの痛みが神経を貫く。

 普段は糸目のような切れ長な瞳もこのときばかりは大きく見開いた。


 さらに折り畳んだタオルで患部を圧迫止血すると、ダクトテープでぐるぐる巻きにし身体へ固定した。医者が見たらなんと言っただろう。

 念のために洗面台のミラーキャビネットからピルケースを探し出すと、震える手で化膿止めと止血剤を頓服した。


 ふぅと一息。

 せっかく外風呂シャワーを済ませてきたというのに、わずか数分のうちにまた血まみれである。

 しかし男はすぐさま厨房へ立った。真っ赤に染まったシャツのまま。


 紙袋から恋焦がれた金華ハムを取り出すと、一度頬ずりをしてまな板へ。

 それからネギ、生シイタケを一緒に刻んでバットに移した。


 つぎにフライパンを過熱させると、サラダ油を多めに投入。遅ればせながら換気扇を全開にすると、その間に炊飯器からほかほかのごはんを盛る。


「今日の【仕事】終わりはコレって決めてんだ……刺されたくれぇでやめれっかよぉ……」


 まるで自分に言い聞かせるように、男は熱されたフライパンに卵を二つ割り入れる。

 白身が高温の油を吸って瞬く間に膨れ上がっていく。じゅわーっという音色もまた、すきっ腹には堪える。無論、穴が開いていることの比喩ではない。


 男は手にしたおたまの背で玉子を崩していくと、すぐさまご飯を入れよく絡ませた。

 フライパンの温度が下がるので、こういうときのご飯はあったかい方がいい。とくに男は炊き立てを使うのが好きだ。だからこそ【仕事】まえに炊飯器をセットしていたのだから。


 家庭で作るには中火で調理し、鍋は振らないほうがいいとよく言われる。

 しかし男は豪快に鍋を振り玉子とご飯をよくなじませて、水分を飛ばすほうが好きだ。なんだかとっても料理をしている気になるからだ。

 さらにここで『肉のトミイチ』から仕入れた最強の金華ハムと生シイタケを投入。

 火を入れて若干の味見。

 ハムの塩気に合わせて調味料を調整し、ネギを入れる。ネギにはあまり火を入れず、シャキシャキ感を残したいところ。


 最後に鍋肌から昆布醤油を一回し。

 香ばしい匂いがアジトに充満してゆく――。


 出来た。

 男がどうしても今日食べたかった夜食サパー、金華ハムのチャーハンである。


 ほこほこに湯気の立った金色のご飯。

 炒めても艶やかさを失わない金華ハムの存在感に、脇を固める玉子とシイタケ。そして白さが際立つネギのひかえめな主張はどうだ。


 絶対うまいだろこれ――。


 作った本人ながら、優勝を確信している。

 男は傷口に手を当てながら椅子に座ると、苦痛に顔をゆがめながらも、もう片方の手でレンゲを掴み、丸みをもたせた山盛りのそれを突き崩して口に運ぶ。


 ぱらっぱらのご飯を包み込む玉子と昆布醤油の風味が、鼻の奥を通り抜けていった。

 本日の主役、金華ハムの食感は、予想以上だった。噛むたびに凝縮された旨味が口のなかを蹂躙してゆく。まさに暴君である。

 旨味を足すために入れたシイタケもいい【仕事】をしている。まさに職人肌だ、コイツとはきっといい酒が飲める。

 ネギのシャリシャリとした食感もまた、後味をよくさせてくれる。


 優勝どころの騒ぎではない。

 世界征服レベルのうまさである。これを夜食サパーなんぞと呼んでいいものだろうか。


 カラン。

 一気に頬張ったチャーハンが米粒ひとつも残すことなく、皿から消えるころ。

 男は手にしたレンゲを床に落とした。


 その顔はとても満足そうである。

 腹にぐるぐると巻き付けたダクトテープの隙間からは赤い血潮がとどめなく流れ、気が付けば床に大きな血だまりを作っていた。


 男は青白い顔をして、切れ長を瞳を閉じる。

 その目が再び明日の太陽を見たかどうかは誰も知らない――。

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夜食/サパーは返り血のあとで 真野てん @heberex

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