第2話 ジャンクフード(中毒メシ)

Act.1


 深夜。

 某所、地下駐車場――。


 省エネ対策のため意図的に落とされた照明はかなり暗く、周囲がコンクリートで造形されていることを除けば、まるで深い森のなかでにもいるかのような錯覚を起こさせる。


 いまに熊でも出そうだ、と。フルスモークにした高級外車の後部座席で男は――辰巳たつみは、子供じみた自分の感慨を鼻で笑う。


 仕立てのいいスリーピース。

 ジャケットの襟元には「組の代紋エンブレム」が。


 いかにも人工的な褐色の肌と、そろそろ頭皮に致命的な影響ダメージを与えそうな金髪とが彼にチャラチャラとした印象を抱かせるものの、顔に刻まれた年輪によってかろうじて年相応の風格というものが付与されている――。


 気を紛らわせようとタバコに火をつける、しかし車がガクンとつんのめった。

 運転手が急ブレーキを踏んだのだ。

 もっとも駐車場内である。スピードはあまり出ていなかったが、辰巳はフロントシートの背面に頭をぶつけることになった。


「おいっ! てめえ、うちで何年、わっぱ転がしてやがんだ! クビにすんぞ!」


 余裕のないカラスみたいに甲高い声で罵ると、運転手はバックミラー越しに視線だけを寄越して「スンマセン」と口を開いた。

 ガタイのいいスキンヘッドの大男だ。ごつごつとした太い指で、いまにもハンドルを握りつぶしそうである。


「ボス――さっきからちょいとおかしながまえにいまして……」


「ああ?」


 辰巳は運転手の肩越しにまえを見た。

 ただでさえフルスモークで薄暗い車内に、わずかな光量である駐車場の照明がフロントガラスに浮かび上がらせたのは一台の車だった。黒塗りの国産ステーションワゴン。こちら側のヘッドライトにかき消されそうな淡い光で、真っ赤なストップランプを瞬かせていた。


「むこうがちょっと離れてから走り出しても、近づいたらああやってまた止まりやがる。どっかの鉄砲玉ですかね……どうします?」


「――ちょっと見てこい」


 すると運転手は無言のまま、車を降りていった。

 辰巳は後部座席に深々と身体をあずけると、吸いそこなったタバコに火をつける。

 ようやくありついた一服に、すこしピリついた気持ちがほぐれていった。


 が、つぎの瞬間。

 後部座席、右側のドアを突き破って「なにか」が車内に侵入してきた。

 正体はすぐに分かった。

 さっきまで後ろから眺めていた運転手のスキンヘッドだ。

 うつぶせに突っ込んできているので、表情を窺い知ることは出来ない。辰巳はタバコを口から落とし、ピクリとも動かない運転手の肩をゆすった。


「お、おおい! い、一体なにがあ――」


 今後は左側のドアが突き破られた。

 飛び出してきたのは一本のナイフである。それはそのまま背後から彼の喉元にピタリと付けられて動きを止めた。ひんやりとした刃の感触に、ごくりと唾を飲み込む。


「だ、誰っ、なにっ」


 振り向こうとすると、ナイフは首に食い込んだ。

 皮一枚を斬りつけられて、大した痛みでもないのに脳がしびれるような感覚がした。


「わ、分かったっ。なにが欲しい……何でも言ってくれっ」


 辰巳の懇願に呼応するかのように、ナイフとは別にもう一本の腕が背後から忍びよる。手にはスマホが握られており、すでに通話状態になっていた。

 画面に映っていたのは、武骨な表情をしたひとりの中年男性の姿だ。


『ご無沙汰しちょります、辰巳たつみさん』


「――あ、あんた、近藤組の……」


加山かやま言います。オジキの襲名式んときには世話んなりました』


 辰巳は電話越しでさえ、すでに加山という男に圧倒されていた。明らかに格が違うのだ。スマホ越しに見える運転手のスキンヘッドに、彼は遠からぬ自身の姿を重ね合わせている。


『あんたウチのシマでずいぶん派手に覚せい剤シャブを捌いとるそうじゃないですか。先代が息しとる間は、なにするにもビビり散らかしとったくせに』


「そ、それは――」


『下部組織の若造がらんなっとるくらいで手ぇ引いといたほうがええんじゃないですか』


 加山の言葉に、辰巳は一気に老け込んでしまったかのようだった。

 自慢の褐色の肌が、いまではただの土気色だ。


『いまも手元に持っとるでしょう。悪いことは言わんけん。渡してつかぁさいや』


 辰巳はしばしの逡巡のあと。

 足元に転がっていた火のついたタバコを踏み消しながら「トランクだ」と言った。

 するとナイフとスマホは背後にある闇のなかへと音もなく消えていく。

 辰巳は恐怖のあまり振り向けないでいた。

 

 キュッキュッ。

 特徴のあるスマートキーの電子音がして、高級外車のトランクが開錠される。その後、かなりの重量がトランクから運び出されたことが車体の挙動で分かった。

 それは大量の「お好み焼き粉の袋」が入った、ジュラルミンケース。

 辰巳は動かなくなったスキンヘッドと共に、小一時間はその場から動けなかったという。



Act.2


 男は「お好み焼き粉の袋」が大量に入ったジュラルミンケースを手にいれると、ステーションワゴンを歓楽街まで走らせた。途中で適当なコインパーキングを見つけ車を放置。あとで別動隊が処分に来る手筈になっている。


 彼はその足で、古めかしい手売りのタバコ店を訪れる。

 時間が時間なだけに、すでにシャッターが降りていたが、構わずにノック。


 タン、タタタン、タン、タ、タン――。


 数秒後、シャッターが上がると、出てきたのはタバコ屋の名物おばあさん――ではなく、まるでアメリカのプロレスラーのようなムキムキマッチョだった。

 両腕にはトライバル柄のタトゥー。

 男はマッチョの顔を一瞥いちべつすると、ジュラルミンケースを渡した。


「ご苦労さん――早かったな」


「無駄口はいい……は」


 切れ長の瞳でねめつけられ、マッチョは「おーこわ」と肩をすくめた。

 ジュラルミンケースを店の奥へと引っ込めると、彼は替わりにA4サイズのアタッシュケースを手にして戻ってきた。

 男は周囲をもう一度だけ入念に確かめると、マッチョからそれを受け取る。


「これからかい、あんたも好きだねぇ……身体は大事にしなよ」


 男は肩をすくめながら、アタッシュケースをマッチョに見せつけるようにして持ち上げた。

 彼なりの愛想の見せ方なのだろう、マッチョは首を横に振って、ガラガラとシャッターを降ろすのだった。


 ここは男の暮らす街。

 日本であって、日本ではない。

 某国大使館の飛び地であり、いわば治外法権。国内で起こったもめごとや面倒ごとが、ここにまとめて捨てられる。


 男が帰ってきたのは、ごちゃごちゃとしたビル街の中心だった。

 耐震補強など夢のまた夢だと思われるエレベーターもない古びた10階建ての雑居ビル。無論、違法建築である。

 しかも入っている店舗がすべて違法操業の風俗店なので、深夜もおかまいなしに客引きの姿が絶えなかった。


「コロシヤ、キョウハ、シャワーシテカナイノカ、サービス、スルヨ」


 タガログ訛りの日本語を話しているのは、年齢不詳のフィリピーナだった。

 ホットパンツから伸びる脚線美に視線を奪われるものの、男は無言で彼女の横を通り過ぎる。階段をひたすら昇り、七階という中途半端な場所に彼のアジトはあった。


 打ちっぱなしのコンクリートに雑然と並ぶ家具。

 ベッド、一枚板の長テーブル、ガレージにでもあるようなキャビネット。

 テレビすらない灰色の空間に裸電球のケバケバしい光が灯った。


 この部屋で唯一、生活感があるのは台所だ。

 70年代風のレトロな丸っこいデザインの冷蔵庫に、オーブン付きのシステムキッチン。


 男は手洗いとうがいを済ませると、テーブルのうえに置いたアタッシュケースへとおもむろに手を伸ばした。


 ごくりと一息、生唾を呑む。

 さっき洗ったばかりだというのに、もう手汗をかいている。

 薄い唇を舌なめずりすると、ロックを外したケースのふたを一気に開け放つ。


 そこにあったものは――。

 辰巳たちから奪った覚せい剤シャブ……ではなく、ジッパー付きの調理用ビニール袋に封入されている鶏もも肉であった。

 マッチョ特製のニンニク醤油ダレに丸一日付け込んだ、究極の一品。


 それを男は――。

 揚げる!

 揚げる!

 揚げるぅぅぅぅぅ!

 一旦バットで休ませて、二度揚げだあああ!

 シュワシュワと沸き立つ揚げ物の音は、システィーナ礼拝堂の讃美歌にも勝る。


 テンションMAXのまま、男は山盛りになった唐揚げをまえに、缶チューハイをぷしゅっと開ける。はやる気持ちを落ち着けて、まずは付け合わせのキャベツで咥内をさっぱりさせた。


 黄金色の衣に身を包んだ、タレしみしみの鶏もも肉。

 さっとまぶした片栗粉もパリパリに、ほどよく油を内包してみせている。

 マッチョ鶏ももの唐揚げ――いざ。


「我ながらいい仕事だ……」


 パクッ。

 カリッ。

 じゅわッ。


 男は感動のあまり、額を手で覆って涙している。

 うまい。

 ただただうまい。

 マッチョが中毒性を心配するだけのことはある。

 缶チューハイもうまい。

 味変あじへんにマヨを付けるのもいいだろう。ただしレモン、てめぇはダメだ。


「やっべぇな……コメ食いてぇ……」


 男の夜はまだ始まったばかりである。

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