第9話 帝国の魔術師
「……一体どうなっていやがる」
国境付近で夜を明かしたユリアスとリシャールは帝都めざし、はじめて村らしきものを見つけた時、ユリアスは思わず呟いてしまう。
彼らが帝国領に立ち入ってはじめて目の当たりにした村は、まるで嵐でも通過したかのようにめちゃくちゃに破壊されていた。
男女と言わず、遺体が転がっている。
「王国兵、でしょうか?」
「まさか。あの砦を落としたのは、俺たちだぞ。あの砦の目を盗んで帝国の村を襲撃できるはずがない……」
「では、盗賊ですね。なんて容赦のない……」
「……かもな」
そう言うしかない。
村の建物は焼かれ、犬さえわざわざ殺している。
相手はただ物を
「行くぞ」
「ええ……」
さらに街道を進んでいけば、またも死体を見る羽目に。
今度は村ではなく、だだっ広い平原。
鮮やかな緑に、十数人の男や馬が倒れている。
「野盗ですね。帝国も仕事をしていたようです」
「違う。こいつらは盗賊じゃない」
「?」
「この馬は軍用特有の筋肉の付き方だし、こいつらの剣を見ろ。帝国の国章が刻まれている」
「でも……鎧姿ではないです。まるで傭兵のように、みんな格好がバラバラなんです。馬は盗んだか、元々自分の持ち主かもしれません。素行不良の兵士が軍を追い出されて故郷に戻るに戻れず。野盗に身を堕とすことは、ままあることですし」
「たとえこいつらが元々帝国兵だったとしても……野盗って可能性はない」
「なぜです?」
「こいつらの剣は汚れてない。どれだけ血を洗い落としても、
「では……誰なのでしょうか」
「さあな」
ユリアスたちは街道をさらに進めば、ようやく街らしい街が見えてくる。
「また死体の山だったら、かなわねえな」
「不吉なことを言わないでください」
心配は杞憂にすぎず、普通の街だった。
市場は賑わい、行き交う人たちは活き活きしている。
ユリアスたちは表通りに面した、大きな酒場に顔を出す。
真っ昼間だが、賑わっている。
女性店員が忙しなくテーブルの間を縫い、酒や食べ物を提供していた。
ユリアスたちはバーカウンターに座ると、酒を注文する。
「ここから帝都まではどれくらい距離になる?」
バーテンのおっさんに声をかける。
おっさんが、ユリアスの琥珀に目をやった。
「へえ、スレイヤーか。久しぶりに見るな。……帝都はここから馬車の乗り継ぎで、二週間ってところだ。だが気を付けたほうがいい。賊が出るぞ」
「ああ。ここに来る途中に見た。村がひどい有り様だったぜ。あれ、賊の仕業だろ?」
おっさんは声をひそめる。
「いいや。あれは……皇帝陛下に逆らい、反乱軍を
「反乱軍?」
おっさんは余計なことを話してしまったと「い、いや。何でもない……」と突然、口ごもり、別の客のほうへ向かってしまう。
ユリアスとリシャールは顔を見合わせ、バーを出た。
「反乱軍……。気になりますね」
「確かにな。帝都に到着するまで、いざこざに巻き込まれなきゃいいが……」
大通りに出ると同時に、青空が不意に歪んだかと思えば、そこにフードを目深にかぶった人物の姿が映し出される。
(投影魔術……!)
魔術の気配に、ユリアスの中に潜む魔物たちが興奮しているのが、ざわめきとなって全身を駆け抜けていった。
「静聴せよ、
「マジか……」
「ユリアス、これは……」
「俺のこと、か?」
瞬間、街行く人たちの視線が、ユリアスたちに向く。
「衛兵さん、あいつだ!」
住人のひとりが衛兵たちを引き連れて現れた。
「リシャール、突っ切るぞ! 遅れるなっ!」
「無論ですっ」
ユリアスたちは衛兵たちめがけ突っ走る。
まさか向かってくるとは予想外だったのだろう、住人たちは両脇にどき、衛兵たちは驚愕して頭をかばう。
その頭を跳び越え、大通りを駆け抜ける。
「どけどけっ!」
ユリアスは右腕を大きくかかげれば、フェンリルに変化させ、空に向かって大声で吠えさせた。
ワゥゥォォォオオオオオオオオオオオオオオオオンンンン!!
大気をびりいりと震えさせるような声に、人々は怖れおののき、巻き添えはごめんと家に入ったり、店の中に入ったり、進んで道を譲ってくれた。
ユリアスたちのあとを衛兵が、「待て!」と追いかけてくる。
ユリアスは荷車を跳び越え、階段を駆け下った。
ユリアスの気配に、馬が「ひひひぃぃぃぃぃん!」と興奮したように暴れ回った。
それが妨害になってくれて、衛兵たちの足止めになってくれる。
暴れ馬に衛兵たちは足蹴にされ、踏みつけられ、悲鳴が響き渡った。
衛兵を引き離し、街を飛び出す。
「とりあえず、身を隠しましょう!」
「どこに? あの映像はきっと全ての街や村に映し出されてるぞ!」
(護国卿だかなんだか知らないが、一体なんなんだ!)
どうして自分が指名手配されなければならないのか。
さすがに砦の件が露見しているとも思えない。
(だったらどうして……)
そんなことを考えていると、
「――ユリアス!」
リシャールの声が響き渡った。
顔を上げれば、空から大人の男くらいの大きさの氷の塊が、ユリアスめがけ降ってくるところだった。
「っ」
後方に跳び、氷の塊を避ける。
「大丈夫ですか!」
「ああ、大丈夫だっ。氷? 何だってこんな天気がいいのに……」
唖然としているところに、声が上空から聞こえてくる。
「見つけたぞ、赤毛!」
はっとして声のするほうを見れば、フードをかぶっている人間が宙に浮いていた。
声からして、さきほど街の上空に現れ、演説をした男なのは間違いなかった。
男がフードをゆっくりと脱ぐ。
フードの下から現れたのは、青みがかった髪を後ろで束ね、切れ長の瞳は酷薄そうな青灰色の男。
整った顔立ちは幼げで、うっすらと笑みを浮かべていた。
「赤毛。私とともに護国卿の元へ来い」
「護国卿? 知るかっ。そんな奴と知り合った覚えはねえよ! 失せろ!」
「護国卿が仰せになるには……生きていれさえすればいい、口さえ利ければいい、らしい。人間、身体の一部を失っても生きていけるものだ」
男は右腕をゆっくりと動かせば、その周囲に魔法陣が十は描かれ、そこから、さきほど回避したのと同じ氷の塊が魔法陣より生み出された。
「リシャール、逃げろ!!」
一斉に氷塊が雨のごとく降り注ぐ。
大気を引き裂き、大地を抉る――。
土煙が濛々とたちこめた。
「無茶苦茶やりやがって……!」
「私が囮になりますっ。ユリアスは背後からあいつを……」
「駄目だっ。あの野郎を地上に引きずりおろす前に、こっちが穴だらけにされるぞ!」
「どこへ行くつもりだい?」
目の前に、フードの男が突然と現れた。
「くたばれ、魔術師!」
左腕を魔蛇に変え、ムチのようにしならせる。
「へえ。あんた、キメラだったのか」
しかし男は目の前に氷の壁を一瞬で築きあげ、ユリアスの攻撃をたやすく弾くと、返す刀で、再び氷塊を召喚し、飛ばしてくる。
ユリアスたちは逃げるしかない。
そんな様子を眺めながら、男は手をたたいてはしゃぐ。
「いいぞ、もっと走れ、もっとだ! 少しでも油断すれば、腕や足をもっていくぞっ! さあ、またたくさーん氷塊が襲ってくるぞぉ~!」
男はヒャハハハハハと大笑いする。
(あいつ、愉しんでいやがるッ。サディスト野郎がっ!)
「やっぱり私が囮に……っ!」
「余計なことをするなっ。第一、お前は生身の人間だろっ。あいつが止められるかっ!?」
「……ですがっ!」
頭をフル回転させる。
どうしたらこの状況を挽回できるのか――。
「――よそ見をしている場合かっ!」
すぐ間近に男が現れ、ユリアスの左側を並走している。
(いつの間に!?)
「左腕、もーらいっ」
「!?」
男が付きだした右腕。指先に魔法陣が現れる。
至近距離で氷塊を食らえば、どうなるかなんて考えたくない。
「ヒャハハハハハハ! いただきぃ――」
(間に合え!)
右腕をフェンリルに変え、男の付きだした腕を食らう。
男の右腕をもっていくのと、ユリアスは自分の右腕から肩にかけて鋭い痛みを感じ、そして強烈な風圧で吹き飛ばされるのは、同時。
「ユリアス!」
吹き飛ばされるユリアスを、リシャールが抱き留めてくれる。
「大丈夫ですか!?」
「ああ……。与えたダメージはこっちのほうが上だ……う……」
「ぐうわああああああああああ!! 俺の、俺の腕ぇぇぇぇぇえええええええ! この……この、この……このぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお……!!」
どくどくと血を溢れさせて右腕を押さえ、男はケダモノのように咆吼する。
「殺す殺す、殺してやるううううううううううううう……!!」
男は憤怒の表情を浮かべれば、左腕を天に向かって突き出す。
同時に宙空に魔法陣を描かれる――のだが。
「っ!?」
それはこれまでの魔法陣の大きさの比ではない。
ユリアスたちが逃げる全域を覆っていた。
ズズズ……。
魔法陣より現れたのは、途方もなく巨大な氷塊。
これまでの数十倍の大きさはあるだろうか。
「リシャール、お前だけでも……」
右腕に負った傷のせいで、意識が朦朧としてしまう。
心なし、ろれつも回らない気がする。
「馬鹿なことを仰らないでくださいっ! ……お父君のためにも、ユリアス、あなたはここで死ぬわけにはいかないでしょっ!?」
「だが……」
「ここで死ぬわけにはいかないっ」
「は?」
「そう思うのなら、そう繰り返してくださいっ! 早くっ!」
「ここで、死ぬわけには、いかねえ……っ」
「ですよねっ!」
リシャールは、ユリアスの肩を支えるように歩き出す。
「くたばれたばれくたばれよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
男の狂った声が聞こえ続ける。
「お、おい、待て。リシャール……!」
思わず声を上げてしまう。
ユリアスは自分たちが進むべき道が切れていた。
崖だ。
覗くと、はるか下に、白い糸のようなもの――川が見える。
「ユリアス……。覚悟をきめましょう」
「はあ?」
「これしかないと、思いますっ」
「…………………………クソッタレ!」
ユリアスはリシャールともども、叫びながら谷めがけ跳ぶ。
その直後――巨大な氷塊が大地と衝突し、抉った。
大気を震わせる音、大地が砕け、歪む音、衝撃波が静寂の世界を引き裂く。
その衝撃で、崖が崩れる。
粉々になった大小様々の岩が落ちてくる。
「くっっそ!」
ユリアスは自分めがけ落ちてくる岩の塊を、左腕を蛇に変え、粉々にする。
リシャールはその身軽さで、回避していった。
そうこうするうちに、谷底が間近に迫る。
糸のように見えていた谷底を流れる川がみるみる近づき――。
ドボォォンンッ!
大きな水飛沫をあげ、ユリアスとリシャールの身体は川に没した。
すぐに二人は水面から顔を出す。
「リシャール! どこだっ!」
「こ、ここに!」
水流は早い。
油断すれば、水面から付きだした巨岩に身体を打ち付ける羽目になる。
(捕まれる場所はどこだ……!)
ユリアスは岸に生える樹木の伸びた枝を右手で捉え、掴んだ。
「リシャール!」
ユリアスは右腕にはしる激痛をこらえながら、左腕を蛇に変化させ、流されゆくリシャールの右手首を締め上げると、引っ張り上げた。
どうにかこうにか岸に上がる。
「ユリアス……助かり、ました……ゲホッ、ゲホッ……」
二人とも濡れねずみになりながら、岸に寝そべった。
寒いは、疲れてるはで、最悪の気分だ。
「ユリアス!?」
「うるせーぞ……何だよ……」
「み、右腕が……」
「言うな……。ひどい有り様ってのは、痛みで分かる……。こえーから、傷口はみねえけど」
「なにを子どものようなことを! 早く治療しないと!」
「治療たって救急箱でもあんのか? ……俺の再生力を甘く見るなって」
「でも、あなたは人間なのでしょう。だったら、応急処置くらいはしないと。それから医者に診てもらいましょうっ」
リシャールは、ユリアスが何を言っても取り合わず、自分の服を引き裂き、右腕を縛り上げた。
危うく激痛のあまり、気絶しかけてしまう。
「……止血はどうにか。骨のほうは……再生力に頼るほかありませんが……」
「問題ねえよ。左腕一本だけでも、何とかやれるさ」
「さっきの魔術師に遭遇しても、ですか?」
「……あいつの右腕は俺がもらった。向こうだって、その衝撃から立ち直れてないだろ。俺たちはここでしばし休んで……」
瞬間、空にさっきの男が浮かぶのを見た。
「っ」
男はもう、フードをかぶっていない。
素顔を露わにして、目はぎらぎらと憤怒に輝かせたまま叫ぶ。
「さっきの男を俺のところにつれてきた奴に、金貨二百枚を与える! いいか、貴様ら! 生きたまま俺のところに連れてこいっ!!」
金貨に百枚もあれば、一生と言えないまでも、遊んで暮らすことができる額だ。
「……ったく。ブチぎれてんじゃねえかよ」
ユリアスは両足に力を入れて立ち上がった。
「休んだほうが……」
「あの男から逃げる方が先だ。今の宣言で、衛兵どもが総動員されるだろ。さすがにあんな滅茶苦茶な魔術師やら衛兵やらを、この状態じゃ相手するのはやばすぎるっ」
「……そうですね」
大陸最強の魔物狩り 魚谷 @URYO
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