第18話 不思議な風

 アンナがティスたちと暮らして半年が経った頃である。


 この日は天気が良く、シェスカとルルは町へ買い物に出て行っており、ティスは家より少し上に登ったところで薬草摘みをしていた。


 家に一人残されたアンナだったが、家の外に出て深呼吸をしてみる。雪が融け、土がむき出しになってきたので、土の香りがした。それと冬のときとは違う、草なのか花なのか分からないが甘い香りを含んだ、澄んだ空気の香りがする。


「気持ちいい……」


 半年ともなると、どこに何があるのかは大体把握できている。まだ、壁や柱にぶつかってしまうこともあるが、だいぶ慣れた。


「はぁ……」


(今日は何をしようかな。あ、ティスが戻ったら、薬草を洗う手伝いをしようかしら。あとは裁縫もしておこう。ガイスくんの手袋、成長に合わせて使えるようにしておかなくちゃ)


 セブルスの後継として異能が現れたのは、ガイスだった。

 今のところ異能が現れる規則性はよく分かっていないが、元々セブルスの父が持っていた能力ということもあり、どうやら男の子に引き継がれていいくようである。


 アンナはそんなことを思いながら、ぐっと空に向かって伸びをする。

 すると、ふと、下から風が来るのに気づいた。下は土なのに、何故風が来るのだろう。不思議に思って屈み、大地に手を付いた瞬間だった。まるで突風のような風がアンナを襲った。


「きゃあ!」

 驚いた彼女はバランスを崩し、その場に尻餅をついた。

「アンナ⁉」

 妻の叫び声が聞こえたティスは、急いで山から下りた。




 ――何があった!


 彼女がこんな風に声を大きくあげることなどない。焦る気持ちを押さえながら家の前までくると、そこには尻餅をついた彼女がいた。


「アンナ⁉ アンナ⁉ 大丈夫か⁉」


 彼女の肩を掴み振り返らせようとすると、何故か彼女はこちらに顔を向けない。優しく頬に手を当て、こちらを向かせようとすると、「待って!」と叫ばれ動きを封じられた。


「アンナ……?」

「ちょっと……待って……心の準備が……」

「?」


 深呼吸を何度かするアンナ。そして、ティスを振り返る。

「アンナ……」


 プラチナブロンドの前髪の間から見えたのは、瞼を開け、ずっと隠されていたロシュ色(柔らかな桃色)の瞳だった。日の光に慣れていないのか、瞼がひくひくとしていたが、それでもしっかりとティスを見つめている。


「ティ、ス……?」


 初めて見るアンナの目。それをじっと見つめていたティスは、ようやく状況を理解し目を細めて笑った。

「そうだよ」


 彼女は躊躇いながら手を伸ばし、夫の顔をペタペタを触り、そして両手で頬を包み込んだ。


「ティス……」

「はい」

「あなたはこんな素敵な……素敵な顔をしていたのね」


 アンナの瞳からは涙が零れ落ちる。ティスはそれを指で拭った。


「アンナこそ。とてもきれいな瞳をしている」

 アンナは嬉しさのあまり、夫に飛びついた。

「嬉しい!」

「うん、嬉しい。僕もとっても嬉しいけど、アンナ大丈夫?」

「え?」


 アンナは体を離し、夫の顔を見る。だが気恥ずかしくて、長く見ていられず、すっと視線を別の方へ向けてしまう。


「大丈夫って、な、何のこと?」

「嫌なこととか思い出していない?」

「嫌なこと? 嫌なことなんてないけど……」


 ティスは心配で、妻の背けた顔の方へ自分の顔を向ける。

「本当に、本当?」

 すると思い切り夫と目が合ってしまう。アンナは恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にして叫んだ。

「本当に、本当よ! それより、恥ずかしいからあまり見ないで頂戴!」

「ええ?」


 ティスはアンナの反応に、困惑したが、嫌な記憶が戻っている様子がなかったので、安堵した。

「全く、しょうがないなぁ」

 そう言うとティスはアンナの瞼にキスをし、彼女を横抱きにして家の中に入るのだった。


(完)


(おまけ)


 アンナの瞼が開いた理由について、ティスが母に聞くと「心の解放があったのかもしれない」と言った。

「心の解放?」

「ああ。分からないけれど、貴族の世界から離れ、あの家からも離れたことで、心を解放することができたのかもしれない。ただの推測だけれどね」

「そっか……」

「あとはこの土地のせいもあるかもしれない」

「どういうこと?」

「ここは私たちまじない師が住んでいるから、他の人に見つからないようにあちこちにまじないがかけてある。サーガス王国ほどではないけれど、この土地から力を分けてもらっているから、それが反応したのかもしれない」

「ふーん……」

「いずれにせよ、理由は分からないままさ。でも、アンナの目が見えるようになって良かったじゃないか」

「うん」

 今までも楽しい暮らしだったが、きっとこれからもっと素敵になる。

 そして、ティスは彼女が今まで見えなかった分、色々なところに連れていき、沢山のものを見せてあげたいと思った。それが出来る喜びを噛み締めて――。


(終)


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アイ・リッド ~瞼が開かぬ少女~ 彩霞 @Pleiades_Yuri

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