第17話 その後の二人
アンナを結婚させるにあたって、サラはあることをティスにお願いした。
――無理を承知で申します。まじない師というのであれば、我が夫からアンナの記憶を消し去って欲しいのです。そうしなければ、あの人はいつまでもアンナを権力を得るための道具に使うでしょうから……。
サラは何とか夫を説得しようと試みたが、もう彼の耳には妻の声が届かなかった。それは彼が守るべきものが「家族」ではなく「伯爵家」にとってかわったからかもしれない。そう思うとティスは、彼が過去に自分の父親から鞭を打たれていたことを思い出すと、ベルゼクト伯爵が自分とアンナの結婚を許さないのは、容易に納得できてしまうのだった。
しかし、ティスにはサラとの約束もあるし、このままアンナを屋敷に閉じ込めておくのも本意ではない。彼女自身、ティスと共にいることを強く望み、ベルゼクト伯爵以外が祝福してくれるので、彼はサラの依頼を受けることにしたのである。
もちろん、記憶操作のまじないを作るのは容易ではないし、母・シェスカにもいい顔をされなかった。それも当然だとティスは思う。記憶操作は、母の中にあるまじない師としてやって悪いことに部類する。本当であれば絶対に許したくない行為だったのだろうが、サラの何通にもわたる手紙による説得と、アンナの気持ちとティスの気持ち、そして何より今後二人が穏やかに暮らせることを祈っていたシェスカは、最後には折れて力を貸してくれることになった。
アンナのことを消し去るまじないは粉薬にし、サラにも協力してもらい、薬をお茶に入れてハントに飲ませたのである。
無事にまじないは発動し、彼の中からアンナの記憶は封印され、使用人たちには遠く離れた土地に嫁に行かせたことを伝えた。本当のことを知っているのは、サラとアンナの姉妹、メイドのアニー、そしてティスたち家族だけである。
その後何も問題が起きていないことを考えると、どうやら伯爵の周囲の人たちが上手く繕ってくれているようだった。お陰で、アンナとティスは静かな生活を送っている。
彼女はまじない師の家に嫁いだので、ティスだけでなくシェスカやルルとも生活しているが、新婚の二人に気を使ってなのか、頻繁に外に出て行くようになった。
しかし、家があるのは山奥である。しかも毎日、天気がどんな状況であれどこかへ出て行くので、アンナは申し訳ない気持ちになっていた。しかし、その度にティスたちは「気にしなくていい」という。
「でも、やっぱり申し訳ないわ……」
窓の近くで膝を抱えて、子どものように小さくなっているアンナはそう呟いた。
そんな様子を見たティスは、彼女と同じように膝を抱えて隣に座った。
「母さんは、アージェ家に行っているんだ。小さな子どもが産まれたんで、その子の様子を見ていなくちゃいけないんだよ」
「シェスカさんは、乳母さんなの?」
「そうじゃないんだけど、アージェ家にはうちの家系とは切っても切り離せない事情があるんだよ」
「それはどうして?」
「前に、母さんがアンナのところに来られなくなったときがあっただろう? そのときに、右手に異能を持つ人の話をしたよね。覚えている?」
「ええ」
「それがアージェ家。右手の異能の管理を、僕たちまじない師は先代から引き継いでいるんだ」
「そうだったのね……」
呟く彼女の肩をそっと引き寄せ、自分の肩に彼女を寄りかからせた。アンナは肩から伝わってくる愛しい人の体温を感じ、ほっとする。
「いつか、その人たちと会える日が来るかしら」
「きっと来るよ」
こうしてアンナは少しずつ、ティスの家のことやアージェ家について理解していった。
サーガス王国で起きた事件により、右手に「触れた物を石にする」異能を持った人物が生まれてしまい、それを管理するために数人の呪術師も共にジルコ王国へ移り住んだ。その頃は、まだ二つの国の国交は冷えていなかったので、行き来が出来ていたが、サーガス王国で内戦が起こり、ジルコ王国に飛び火するしたため、現在のように行き来ができなくなった。
そのタイミングで、ティスの一族はこの地に残ることを決め、アージェ家に生まれた子どもに引き継がれていく異能の管理を手伝ってきた。そして、その管理ができるまじない師もティスたちしかいない、ということを――。
アンナはその不思議な話を聞き、少しずつ「自分にできることは何か」と考えるようになった。まじない師の血を継いでいない自分が、何ができるかは分からないが、「まじない師」の妻としてやれることをやりたい、そう思うようになっていった。
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